11月26日
愛の挨拶しか知らなかったエルガーだが
公演前に行われる事前攻略レクチャーに参加して
興味を持ってエニグマ変奏曲を聞く。
情感豊かな曲で会場は大盛り上がり。
そのままシンガポール生まれの若いハンサムな指揮者が
「皆様に特別にお届けするシベリウスのアンダンテ・フェスティーヴォです。」
と紹介したアンコールの曲に酔って帰路についた。
ところで、
鳩居堂さんでの展覧会は12月6日に始まります。
私は今、家の中で会場に持って行く荷物の隙間で生活しています。
三寸です
2時間かけて摩っていただいた金がのっています
12月6日〜 鳩居堂4F にて展覧会です。
お待ちしております。
小澤 蘭雪・蘭の会 書作展
平成28年12月6日(火)〜 11日(日)
午前11時 〜 午後7時
銀座鳩居堂4階
勁(ケイ、キョウ)は、字義は つよい すこやか かたい するどい
意味は まっすぐ まっすぐで力強い
直線的なものは強いので勁(つよい)と言う
勁草 つよきくさ
激しい風が吹いて、初めて強い草が見分けられる。
困難にあって 初めて節操の固いこと、意志の強いことがわかる。
勁松彰於歳寒
つよき松の節操は歳寒の時に至りてあらわる。
等と 辞書にありました。
このような思いで、書こうとしましたが
大変難しかったです。
皆さまどうぞ、おでましください。
会場でお待ちしております。
昭和3年に創業された清雅堂さんがお店を閉じ、
旦那様が書の研究生活のみに入られることになった。
私にはハッピーリタイアメントに思え、
今日、清雅堂さんからお招きをいただいた食事会に
嬉しく出席させていただいた。
天下の清雅堂さんからこのような小人数の会にお呼びいただいたことを
娘に書の楽しさを教えた両親としては、喜んでいるに相違ない。
出席者の一人の方が、「旦那様がいつもご自分のことを「手前どもが」とおっしゃっていました。
このような仕事に対するお姿が素晴らしいと常々思っていましたが これからこの「手前ども」がお店で聞けなくなるかと思うと寂しい。」とスピーチされた。
が
群馬生まれの私は「手前、生国発するところ上州でござんす。上州、上州と言ってもいささか広ろうござんす…」という台詞を思い出し、下を向いて笑いをこらえるのに必死だった。
11月4日
伊藤恵 さんのシューベルト
10分の休憩の後の21番
この曲は素晴らしいと思いながらも渦の中に吸い込まれていく感じで息継ぎが出来ず 疲れが溜まっているからか と 内心でもがいていた。もうこれ以上続いたらどうにかなってしまうのではないか と終わる頃には恐れたくらいだった。
シューベルトが大好きで 畏れから若い時演奏するのを控えていらした時期がおありでいらした という演奏者は10数年以前同じ音楽会で聞いた時もとても印象に残るかただった。
その方が 21番演奏後一旦引っ込んでから出ていらっしゃり 最後まで倒れずに弾けるかどうか不安だった と仰った。この曲の後ではどんなアンコール演奏もできません との言葉に会場のみんなは同感の強い拍手を送った。
10月28日
京の明け方の冷え込みが強く もっと寒い奈良の山奥に行く予定の私は テレビを見れば一日雨 とあるし、覚悟を決め近鉄特急に乗る。
先日書き足らなかった分を書くことと焼けたお皿に少し金を載せてみようかということからの奈良行き。
陶芸の先生が二時間もかけて擦っておいてくださったという金の取り扱いの難しさを聞いていたのだが これからその道の専門家になれる訳もなく、字 が本道なので その邪魔にならなければ良いのだから、 と気楽に 面白がってやってしまった。
と言っても
頭の芯がキラキラするのが収まらず 赤い靴を履いたような感じだったが
早く終わったから と 帰りに案内していただいた思いがけない美しい紅葉の円成寺で 運慶の若い時の作とされる大日如来像を そこに置いてある手製の紙の眼鏡のようなものをガラス戸にピッタリつけて拝見しているうちに少しずつ興奮が収まって、その後 暗い本堂に座って 室町時代に描かれたという柱の絵やご本尊様を前にしていると 敬虔あらたかな という言い回しを身を以て納得できる感じがした。
ありがとうございます。
去年ウィーンでの書のデモンストレーションの時 ウィーンフィルハーモニーの団員の方が大変興味と親近感を持ってくださり 今年の東京公演でお会いするのを楽しみにしていた。
病気になってしまいこられないとの知らせでがっかりしていたところ 今日のサントリーホールでの公演に私を誘ってくださる方がいて 軽食 飲み物 お土産付きの豪華な演奏会に参加することができた。
会場で プログラムを手に写真を撮っていただき その来られなかった演奏者に送った。
指揮者のズービン メータ氏はよくビデオで見るカラカラの三大テノールの時より随分お年を召されゆっくり舞台上を歩いていらっしゃった。
音に深みと厚みがある。
打楽器 太鼓もシンバルも真面目に出す以外の音にゆとりがあり小さくても大きな響きになる。
真面目でなくゆとり と言うとちょっと崩したものになってしまいがちだが それとは全く違うもので 基礎を叩き込んであれば芯があっての揺れとなってでてくる。
実は ’二日続けて音楽会に行ってその違いに驚き、 良いものは手を抜いていない。 何時も書のクラスで言われていることと同じだ。 と実感した’ という方の話を聞いたばかりだったのでよりしっかりと心に響いたのかもしれない。
ちなみにその方が感動した二晩目の音楽会 というのが昨夜のウィーンフィルだった。
中学校の音楽の時間 演奏が終わる 音の亡くなる瞬間が美しいのです と教わったが その素晴らしかったこと。
モーツァルトを聞きながら ウィーンの彼の家 そこから歩いてすぐのステファン寺院 石畳 その上を行く馬車の微妙な響き などを思い出していると 現地の人に実感として伝わっているものがあってこその本物なのではないか と思ってしまった。歌舞伎をどう上手に演じたとしても やはり外人ではおかしなものになるのではないか。 万国共通の音楽でもどこかに限度があるのではないか と感じてしまう。
文楽 一谷嫩軍記
各段熱演
開場50周年の大きな看板を見て 国立劇場が出来た年、二階の一番前の席で 割と大きい地震に遭ったことを思い出す。
そういえば 開場準備をしている頃 ある歌舞伎の会で蟹助さんに ”今度できる劇場では ガサガサ音のする袋に入った食べ物を売らないで欲しい” と言ったら ”若いお嬢さんなのにいいことをおっしゃいますね。” と褒められたことがあった。
圻の音が入りこちらは舞台の世界に入る心づもりをしている時 幕が開ききるまで寸暇を惜しんで日常会話をしているような人が周囲にいるとカーッとする。
9月1日
九團次の会 というのに市川新蔵丈が助演されるというので浅草公会堂に。
井上ひさしの義士残花抄ーそれぞれの忠臣蔵ー と舞踊太刀盗人。
新蔵さんは口跡が良く舞台の要になっている。
教えたり 地方公演などで9月から12月いっぱい休みなし と先日後援会に出席した時話していらしたが 歌舞伎の役者衆が擦り切れてしまわぬよう望むばかり。
9月4日
人身事故で乗った電車が北越谷で運行取りやめになってしまった。
同じ車両に乗っていた日本語がわかるアメリカ人がとても汚い間投詞を吐いているのでどんな顔かと覗いたら やはり と頷ける風貌だった。
映画 テレビの画面では耳にしても実際に聞くのは初めてなので そのイヤーな感じが実感できた。
家に帰って運行情報を見ると下の方に色々な感想が、、
全部が運行会社を非難している。
悪いのは原因を作った人であって 会社はいい迷惑をしている 被害者 なのだとどうして思わないのだろうか?
文句を言っても安心な相手に対してはここぞと大きな顔をする小物ぶりはいただけない。
8月17日から19日、秋田に行ったのは次の写真のような字を
書かせていただいたのがきっかけです。
十三代続いているという三浦米太郎商店さんからの依頼で
書きました。
8月19日
秋田県立美術館で藤田嗣治の大作を見る。
描きあげた作品を蔵を壊して外に出しそれを入れるために建てたという建物から最近新築したこちら 秋田県立美術館に移したと聞く。
引きが足りない。
年をとると視野が狭くなる と言われてしまうかもしれないが ドアから1.5メートル位後ろに下がった所でやっと畫全体の各部分がそれぞれの主張を平等に見る者に伝えてくる と私には思えた。
廻廊のように張り出した所から見るようになってもいるが高過ぎる。
なんとなく入口に広い場所を取っている螺旋階段を目立たせるために作った建物のような気がした。
注文主がこの絵の中に描かれているそうだが、現状をどう思っているか
以前この絵が置かれてあった建物
8月17日
台風一過の青空の東京から台風を追いかけるように秋田へ。
どうにかもっていたお天気が湯沢の料亭を出る頃にはひどい土砂降りに。
’晴れ女だから大丈夫’ と気楽に言えないワイパーフル回転状態で羽後町に着くと30分遅らせて盆踊りが始まるところだった。
ふと上を見ると黒い空にまん丸なお月様が
8時には雨が上がります と言って体育館ではなく本来の会場でやると決めた人たちの決断力に感心。
連れて行ってくださった方が抽選に当たった桟敷に用意の敷物 座布団などを魔法のようにバッグから出してくださり快適に見物できた。
篝火の両側を秋田音頭に合わないおっとりした 嫋やかな動きの踊り手が進む。
もう一つの曲も踊りを合わせるのはむずかしい、 そして伴奏に歌を合わせるのも難しい と思われるものだった。
こちらは砂が撒かれている通りの上で踊り手が四分の一位回転する時にたてる ささーっとざざーっとの中間の音がなんとも言えない雰囲気を醸し出していた。
代々受け継ぐという衣装も見物だった。
隣に座った現代舞踊の専門家が 合わない曲で踊っていると踊り手は自分の世界により深く入り込める と教えてくださった。ふーむ。
国劇部からプロになられた市川新蔵丈が摂州合邦辻の合邦を演じるので国立劇場での’音の会’へ
長唄 舌出し三番叟 で始まる。
ペン と最初の音がした時 何かちょっと違う と
国立劇場歌舞伎音楽既成者研修発表会 だからという偏見のようなものが私にあるのか と反省し 目をつぶって ベテランの人たちが演奏しているのだ と想像しながら素直な気持ちで聞き直したが 何か弾まない。
いろいろ考えてみた。
字を書いていて一画 一画ずつ落ち着いてしまって次の動きに続かないのに似ている。
丁寧なのは良いが一つのことにそのつどしっかり納得しないと次に行けない性格に似ている。
だから弾まない 神に捧げる三番叟 にならない。
でも 適当なベテランが上っ面で弾くと流れて 品がなくなるので そこもまた難しいところ。
新蔵丈はさすが。
口跡が良いのでいつか青果ものを拝見したい。
玉手御前はイメージが違う体型と声だが 熱演。もう虫の息なのに瞬間的な激しい動きと台詞で見ているほうが度々驚いたのも
ここ二日間の芝居に対する思い入れのためと感じられた。
8月3日
時間ができたのでウフィツィ美術館3Dの映画を。
1971年アメリカで知人にもらった当時のベストセラー ’ヨーロッパ一日5ドル’ をバイブルにして誠次さんとアメリカの帰りにヨーロッパの12カ国とイギリスを廻って歩いた。
’イタリア人の調子の良さに騙されてはいけない’ と素朴な人の良さに溢れ、ヨーロッパにコンプレックスを持つ人が多かった当時のアメリカの人達にさんざ脅かされていたので
珍しくフィレンツェの駅前でタクシーに乗った私たちは 若く大変ハンサムな運転手さんが ’ああ このホテルなら大丈夫!’ とパッと走り出した時 ’さあ 怪しいぞ’ と思ったものだった。
夕方下に降りてみるとホテルのオーナー一家と一緒に彼が食卓を囲んでいた。ホテルの名を見た途端に行先がわかったのも道理だった。
ルネサンスと同居しているような街は落ち着いていて行く先々で本物に会える幸せを十分に味わった。
ウフィツィ美術館 の名前は忘れていたが 今日映画を見てゆっくり見て歩いたところだったと思い出した。
まず何を記憶するか、できるか が能力の差なのだと思えて 私は残念なのだけれど 例えば そこ
ウフィツィ美術館では 制服を着た守衛さんが 私に ’このバーを跨いで出て行って構わないからそこのバルコニーからの眺めを楽しみなさい’ と嬉しいことを言ってくださった。私はこの親切な計らいばかりを覚えていて 楽しんだはずの町の景観は霞の彼方になってしまっている。