4月17日
20日オープンするGinza Sixの内覧パーティーへ
まずは地下三階の能楽堂へ
入り口にスヌーピーのクリアファイルがたくさんあって ’全部一通りください’ と一気に幸せになる。
松濤から移築したという能舞台。多分見るのは初めて。昭和40年に描かれた舞台の松羽目、 私は入り口ホールに置いてある同じ作者の松のほうに親しみを感じた。
地下2階の食品に行ったら出られなくなってしまった。
試食すると皆欲しくなる。
仕切りの中で作っているのを見ているとそこのシェフと何度も顔が合い 横のカウンターでワッフルにのせたモッツァレラとトマトの一皿と クイニータタン アイスクリーム盛り合わせ を知人といただくことにした。横で6人ぐらいのグループが撮影をしながらテレビで聞いたことのあるようなダミ声や嬌声をあげている。
働く人たちはまだその場に慣れていず開店直後の大変さが思われるが 熱いものは熱く としようとしていることはわかるし二つの異なった料理を同じナイフとフォークで食べさせない気遣いが嬉しい。味もとてもしっかりしている。シェフが目の前でグラスに盛り付ける姿も丁寧で、慣れない店員さんたちにもイライラする様子を見せずゆったり指示を与えている。
賑やかな一群が出て行き私たちだけになった。
もしサインをいただけたら嬉しいのですが と言うと 喜んで フランス語 それとも英語で? といろいろ話し出した。
今まで一生懸命働いてきたこと、日本に昔初めて来た時 他の国と違っている、歴史のわかる国民だ、と感激してからなんども足を運んでいること、世界中に場をひろげてやっていたが ある時なんども一度に手術を受けるような病気になり 家族にも心配をかけ 考えが変わったこと。芸術だと思っているこの仕事を53才になった今自分のことを考え 自分の為にやっていこう と思うようになったこと。そして今度初めて日本に店を出したこと。
などと話が止まらなくなってしまった。
あなたはまだ若い と慰めるつもりで 53才といえば私の息子のような年じゃないの と言ったら そうか! と真面目な顔をするので テーブルを叩いて ’冗談!’ と言ったが もし私が早熟な娘だったら その可能性もあったかも知れない と少し反省した。
落ち着いた頃また美味しかった品を楽しみに訪ねてみよう
4月14日
酷く遅いお昼 とゆっくり食べる時間のない夕食 になりそうだったので これはうなぎだ と思いデパートの地下のお店へ。2時を過ぎているのに 一時間ほどお待ちいただくこといなりますが 最後尾はここです と売り場の間の壁の前に点々と置いてある椅子に案内される。
お腹が空いた 疲れた なんだかんだと独り言を言いながら杖をついた女性が現れた。 これはこれは と買ったばかりのワーズワースの’湖水地方案内’という今まで読んだことのない訳本を読み続けることにした。お腹が空いていることをまだ言っているので余程 ’あちらにすぐいただけるところがありますよ’ と指し示そうと思ったが それをきっかけにされても困るので 黙っていた。
彼女の隣に座った女性とおしゃべりが始まった。整骨か何かの話が止まらない。自分が通っているところより良さそうだと思った隣の彼女がどうにか紹介してほしいとあれやこれや聞いても 混むからとか言って教えようとしない。
そんな意地悪だからいつまでも治らないのよ と言いそうになってしまった。
私の右隣の男性二人は もう何も目標がない とこぼしているし
みんなこれからうなぎを食べようというのに一体何を言っているのよ。
感謝して食べないと身につかないことを幼児期に叩き込むのが健康保険料問題解決の一要素かもしれない。
3月29日
初めてのマレーシア という題にするには気がひける数十時間クアラルンプール滞在の旅から昨日戻った。
飛行場から市内への左側が夕焼け前方と右に雷と強い雨 パーム椰子 赤い土 沼?、
開発が続く都市 優しくおとなしい多くの人々 美味しいいろいろごちゃごちゃした食べ物 こんなにあるのかという程たくさん のショッピングモール 歩く場所のない道路
この 歩く場所のない道路 というのが驚きで 車道だけで歩道がない道路の脇を歩く 信号がないところを左右を見て渡る という行動は 一種若返りの方法になるのではないか と思うほどだった。一人では無理 頼れるような人や人々を探し一緒に素早く行動する。縄跳びに入るのは他の運動が全くダメだった私にしては得意なことだったが数十年ぶりにそのタイミングを思い出した。
今年中に書のデモンストレーションに再び訪れることになるマレーシア、 良いところなのでみんなで賑やかに行くことになると嬉しいと思っている。
スコール
ランドマークのツィンタワー
ベンガルブレッド
普通のパンが蒸し器に入っているが
蒸しパンのような水っぽさが無くて美味しい
3月26日
回教芸術博物館 と国立博物館に行こう とまず国立博物館でゆっくり中を見たら本日はここまで となってしまった。
10以上の違う民族が集まっている これは大変
1966年にアメリカで 曲がりなりにもこの国はよくやっている それに比べて日本は楽なこと と思ったのもアメリカには異なった人種が一緒にいることを実感したためだった。
その時は 他に比べ中西部に長くいたので 北欧からの移民が多く地味で信仰心が厚く真面目な人たちの中で安心して日を暮らしながら この辺りの人たちが この大きな国を実際に背負っているのだと思った。
日本だって、、、 とすぐ反論する人とは私は友人になれない。
3月26日
来て良かった と思う一瞬がある。
何かこの国を知る手がかりがないか と思いながらも一人で遠出をするほどの勇気がない私は 朝の 無料おはようクアラルンプール に参加(私しかいない)、最終地点であるショッピングモールの紀伊国屋書店の中をゆっくり見て歩いた。
’16年版マレーシア内 エッセイ集 というのがありどうにか読めそうなので 店員さんに聞くと ’マレーシアを知る と言う本ではありません。読みやすい現代小説はこのあたり、歴史ならこちら、、 それともホラーがよければこちら、、’ と教えてくださったがとても根気が続きそうにない。
子供向きの本で探そうということになり売り場に案内してもらった。
気づかなかった明るく広い売り場で親切な店員さんたちが二冊出してくださる。
一つはボタンを押すと曲が流れ サヤサヤゲ、、 ’私知ってる これこれ!’ と
中学の教科書にあったかJRCでみんなで歌ったか、、、
Malaysian Children’s Favourite Stories と一緒に入手。
さっきの店員さんにお礼を言ってから出よう と思ったが見当たらなかった。
お茶にしようと外でバッグの中味を点検していると(なんでも持っているが役に立つ時にそのものが出てこないという特色がある)
思いがけない方向からその彼が現れた。
もちろん成果を報告。良かったですね と喜んでくれた本人に本を持ってもらって撮ったのがこの写真です。
パソコン検索からは得られない空気を感じました。
来て良かった
では 一休みしたら国立博物館へ。
今年中にマレーシアで書のデモンストレーションを行えることになり いろいろ思いを巡らそうとしたが どうにも今ひとつ掴みきれないので 百聞は一見に如かず と考え、と言うより思いつきで 2泊4日という酷いスケジュールで現地を訪れてみることにした。
ただ空気を吸って来るだけになりそうだけれど 相手の国に対する誠意かな?
では明日から行ってきます。
3月14日
引窓の母親役と助六の後見で 市川右之助丈熱演。
ひょっとして引窓の主役は母なのではと思うくらい。
新蔵丈と共に長らく学習院国劇部のご指導をいただいている。
助六は前の歌舞伎座で最後に観た時より演者に馴染んできている。
場を踏むということなのだろう。
花道から離れた席だったので瞬間私が一番好きな11代目がそこに と見えることがあってこれが伝統芸 と嬉しかった。
いろいろ考え自分のものにしているが時にリアクションが 助六という古いゆったりしたリズムから外れる。
外部での新規観客獲得用演技との使い分けが必要と思われる。
兄 白酒売りに喧嘩の仕方を教える ”屋形船を蹴こむぞ” は悪くないが 11代目にはもっとほわっとした間があった。
家に帰ってはその仕草を一人で試し悦に入っていた頃が懐かしい。
祇園精舎の鐘の声 に一番近いと思われる音 クリスタルボウルの演奏をお聞きください。
手のひらを上に リラックスして 演奏中寝てしまって構いません。皆さんあっという間に寝ます。
とのこと
素直にその通りにしていたが どんな動きでどう演奏するかに興味が行ってしまい いつまでも同じボウルの周りを擦っているのがポイントなのか とか それを定音部にしながらちょっと入れる他のボウルの音を さあ次はどこに行くか 私ならあの赤いの などと見ていたらあっという間に30分が経ってしまった。
無常堂に寝ている和尚さんたちのためにはもっと澄んだ 間の良い玻璃の音でなくては
聞かせよう という意識がいけないのだと思う。
なかなか難しいものです。
ロシア文学に日本の文字を当てはめるヒントを という私の問いかけに プーシキン の名をあげてくださった方がいらしたので早速丸善へ。
そういえば モスクワの通りで プーシキンと奥さんの像を見た と思い出すだけの情けなさ。
以前お世話になった書店の方が 岩波はすぐ切れてしまうので と言いながら 数冊選んでくださった。
同時に 誰の作品でもいいので興味の持てるもの とお願いしたら トルストイのクロイツェルソナタをご本人がいかにも楽しんで読まれたことがわかる様子で勧めてくださった。
ベートーベンの曲は知っているが クロイツェルとは何なのか 音楽のテンポの名前か?などと分からないままに読んでみた。
長い独白で一人の男性の考え方が延々と述べられている。昔なら飛ばし読みか途中でやめるかしたかもしれないが 今になれば小さい頃聞きかじった世間での様子 や 小説その他で表面に現れる態度の内面にはこうした揺れる思いがあってのことか と理解できる。
と考えていたところに突然クロイツェルソナタという文字が 私の知っているクロイツェルソナタのままの意味で文面に現れた。ああここで使われたのか と分かった途端曲が頭の中を駆け巡り ちょっとそのまま読み進められなくなってしまった。
ロシアとヨーロッパの近さが分かっていなかった。
ものを知らないこと 手がかりからちょっと知っていたことに結びついたこと ドキドキしたこと 面白い体験だった。
しばらくしたら最後まで読むことにしよう。
20年近く銀座 東銀座 外苑前 と場所は変わりながらも続いていた元JALのカルチャーセンターのクラスが4月から青山一丁目のビル内にあるNHKの教室に移ることになった。
かって 特別機のアテンダントをされていらした方達が優雅に気を配ってくださる恵まれた環境でのんびりとやってきたが 先日打ち合わせに伺ったNHKカルチャーセンター受付に置いてあるチラシの多さ、たくさんの部屋でいろいろなお勉強をしている様子を見ると私も少ししっかりしなければいけないと ちょっと 思った。
大判チラシのトップに 話に聞いていた門倉多仁亜さんの教室紹介があった。 人気で パッと満員になってしまうと聞いている。
彼女も彼女の旦那様も灰汁のない落ち着いた大変良いお人柄で細く長いおつきあいをさせていただいている。
先日お二人から聞いてフムフム と思ったのだが あちらは 私が 何も気にせず 好き勝手なことを言うのを見るのが楽しいのだそうだ。 アレー!
彼女のお父様が 私を銀座の教室でクラスを作れないかと 紹介してくださった。
’ ”大変混んでいて空きがないので しばらくお待ちいただくことになると思います。” とのことなのですが 一度行ってみてください。’ と言われ行ってみたら その場で時間調節をするから次期からどうぞ ということになってしまった。
私の返事を聞いて ”あのように 難しい と言っていた私の立場はどうなる とカルチャーセンターの事務局に言ったところです。”と笑いながら面接無事通過を喜んでくださったことを思い出す。
さて 昨日伺ったところによると 14日バレンタインの前日 NHKテレビのあさいちで門倉多仁亜さんのチョコレート作りが紹介されるとのこと。楽しみにしよう。
皆様もね
13日
国立劇場開場50周年記念 新春歌舞伎公演
尾上菊之助筋交いの宙乗り相勤め申し候
玉手御前 と猫騒動 が一緒になったよう話だが あまりこちらが善であちらが悪 といった感じの物語ではない。
お正月 おとぎ話を賑やかに となかなかよくできている。
宙乗りで 蜘蛛の糸を広く華やかに撒き 会場効果は一番
筋の下の席ではなかったが 花道に落ちたのを幕間に入手 隣の二人の女性にお福分けをしたら山田やのお饅頭をいただいた。
昔 ちびっこ歌舞伎全盛の頃 幼い役者のみんな 楽屋で蜘蛛の糸をもらい遊ぶのが楽しみだった と何処かで読んだことがある。昭和30年代後半ではないかと思うが 確か一つ 当時で750円かかってる とあったような気がする。
とても薄く表面がツルツルして裏はひっかかるような細く長い長い紙だった。
花道 といえば これも国立劇場で 團十郎丈の大変大粒な汗が落ちていたのを指ですくった感覚が忘れられない。
でも なんとなく 国立劇場は着物で晴れやかに という感じでないのが 悲しいところ
ロビーの広さ高さは素晴らしいが 小屋の中の濃い茶色 花道の低さ(役者を見上げるという感じがない)桟敷の無さ 提灯など経費節約しすぎ だからではないかしらん。
昨夜 あっと思い出し 父が元気だった頃のサライ2001年新年号に挟んである宝船の絵を枕にして休む。
何度か映像が出てくるが イメージとしては残らず 違う 違う と頑張って、、
きちんと出てきたのが 綺麗な はっきりした目で正面を見据えた赤い鶏冠の鶏の頭のアップ
これは忘れられない
今年これからの元気付け
日の出る前の空の美しさを楽しみながら皆様に新年のご挨拶を
去年3月 キエフ大学で 書のデモンストレーションをした時に会場にいた学生が現地の日本語弁論大会で 下記のような内容の話をしたと聞いたので 要約文章をそのまま転載させて頂く。
大学に入って日本語の勉強を始め 新しいこと 日本の文化についてたくさん学びました。
大学のワークショップで ’雪’ という漢字に色々の書き方がありニュアンスがあることに感動しました。書道家の話も面白かったです。
その後 書道の勉強を始めました。
頭の中に一杯考えることがあると上手に書けないことがわかりました。
書道は川のようです。
川の水も漢字も外から見ると変わりません。川の水が絶えることなく流れているように漢字の中にある意味も書道のスタイルによって変わってしまいます。
書道は私の生き方を変えてくれました。
’ものごとをやる前にいろいろ考えるのではなくとにかくやってみる’という気持ちが大切だとわかりました。
’私はどんな人ですか’ という問いかけの答はまだ見つかっていません。でもそれを気にしなくなりました。考えるより何かをする方がもっと大切だと思えるようになったからです。
多数の皆様においでいただき、慌ただしい一週間を過ごした。
自身としては不完全燃焼だったが次回への戒めとしたい。
パーティーで、細く長くお付き合いいただいている評論家の先生と
この十二月でお店を閉じ研究生活に入られる神田清雅堂さんの御主人との対談をお願いした。
地味なお話になると思い、書の世界に本当に興味を持っているかどうかあやしい出席者の方々にどう受け入れられるか不安だった。
「あちらが痛い、誰がどうした、という様ないつでも出来る話に時間をさくのはもったいない。
今夜はこちらの話に注目して欲しい」と私が最初に頼んだのが効を奏し、耳を傾けていただけた。
お二人とも本物は何かを常に考えていらっしゃる方達なので話がぶれず、今働き盛りの方達にも共感いただけたようだ。
いままでの蘭の会のパーティーではゆっくり戴けなかった外国人記者クラブのローストビーフも
今回は抽選会の間にしっかり楽しませていただいた。
次の日からの活力を生む一日だった。
1986年 銀座越後屋ギャラリーでの最初の展覧会から 今回までなんども書展を開いてきているがこの30年間 先へ先へ と希望と嬉しさで自分の思うままに進んでこられたのはなんと幸せだったのかと改めて思った。
世間の書のプロの世界から遠く離れた場所で 好き勝手なやり方を続けている。
書く人 仕立てる人 会期の軌道に乗せる事務 写真 水屋 気分を盛り上げるイベント その他、
キリがないが それぞれの分野に適した方達の存在なしにはことが運ばない。
今までは恵まれすぎる状態できたが 需要が少なくなっている世界でのすぐれた技術の継続 がこれからの大きな課題になってくると思う。
小さい個人の力ではどうにもならないことなので 皆様のお知恵をお借りしたい。
では 良いお天気の初日 これからおめかしして行ってきまーす。
皆様会場でお待ちしております。
お声をお掛けくださいましね。