サウジアラビア王国第83回建国記念日のパーティーでホテルオークラへ。
大勢の出席者が入った平安の間のほかに 大使夫人がもてなす広い婦人の部屋が。
しばらくその婦人の間にいたが にぎやかな出し物の映像を見て 日本だから許して と 映像の元の部屋に戻って 舞台のそばに寄り男性軍のダンスをしっかり見物。
本国では経験できない貴重な体験。
この春アラビアで買ってきたCDで聞いているあちらの調べと同じリズムの音楽が懐かしい。
数十年前空手で知り合った日本人男性と結婚して以来日本に住むという方によると亭主関白な旦那様より本国の男性の方が優しいけれど 人々と仲良く過ごす友人関係が日本は何とも素晴らしい とのこと。
二月リヤドのデザイン学校で書のデモンストレーションをした帰りにいただいた重く大きな箱入りナツメヤシのお菓子はとても特別なものと伺い 今日の会場に置かれていた布ばりの美しい箱に入ったそれを二粒頂いてきて仏様にお供えしました。
ジェトロに派遣していただき遠かった国、地方 が近いものになりました。
あちらはコーランを書く書家 は尊敬の対象なので日本の書のことも親近感を持って理解しようとしてくださり嬉しかったです。
知人の小牧璋子先生の関係で入会している国際アービック協会主催 赤いバラ大賞 贈呈祝賀会へ
受賞者の木村孝先生にお礼の気持ちで出席。
数十年前 東郷女子学園で私が塩月弥栄子先生のお手伝いをさせていただいていた頃木村先生もその学園でクラスをお持ちでいらした。
二回めの個展で実力が分かる とどこかで聞いて 二年続けて銀座越後屋ギャラリーで会をした時 思いがけず 木村先生が立ち寄ってくださり ”あなた これは いいわ” と
字にしてしまうと その柔らかい 何とも言えない言葉の真実が消えてしまうのだけれど、
あなた これは いいわ とおっしゃって下さった。
書の関係でなく 一般 普通の方たちに案内を差し上げての個展 が私の思うところだった。
時流 力 に関係なく 自分がこれしかない と思った勉強の仕方をしよう 人の考えなどどうでも良い 展覧会も見ていただく為ではなく勉強のためだけ という一途な気持ちだった。
初めての時 90%以上の人たちの これが好き という作品が同じだったことに衝撃を受け 私の中で書が広い世界に繋がった。
二回目 木村先生の一言が 私の目指すものが先生の美の感覚に反するものでないという 大きな安心を与えて下さった。
昨夕先生の素晴らしい受賞ご挨拶は
着物は 女を包み 隠して 隠して 包んでいても現れる とか 秘すれば花 それでいて花は美しい とか しっとりとした たおやかな 優しい とかいう言葉がさっぱりした正調京都弁でちりばめられていた。
大事な核をしっかり思い出してまた進んでいかなければ 多くの方に助けていただいている罰が当たります。
さあ昨日で長い夏バテから卒業。
話に聞いていた群馬県人会に明子ちゃんの附録で出席。敬老パーティーで私の目には出席者の80%がその該当者、と思えたが、そうでもなくて30%程だった。
その中の一人が君平さんという明子ちゃんのおじ様で、いかにもアメリカ生まれアメリカ育ちの雰囲気を持っている方だった。大変美しいガールフレンドとついに結ばれることなく独身を貫かれている。
写真の中央に立つ長男が明子ちゃんのお父様、左端が君平さん。
こんな男の子がいたら天使に思えるのではないか、と見えるが、今でもこの方自身が宝物の様な気がする。
一人旅で長く日本にいらした時も「次々と、一緒に行動しましょう、という若い人達が現れて楽しかった。」と聞いた話はまるで寅さん。
会の途中で、「今、ニューヨークで世界のエンタテイナーNO.1が決まろうとしています。ベスト6に日本のエビナ君が入っています。一位になれば、百万$とラスベガスの舞台が待っています。人民の(というところがちょっとユニーク)投票だけで決まるのです。皆さん、彼、エビナ君を是非よろしくお願いします。」と立ち上がって力説された。
皆様もエビナ君をよろしく。
このいい加減さ 楽しさ
とても人事とは思えない。
でも 自分だけへのおみやげにした方が
“無難”だと思いました。
六日にロスアンジェルスに来て、実家にいるのはこの様な感じなのかといういつもの溶け込み方なので、
まずは御報告しなければという気持ちにならないままに、日を過ごしている。
今日、八日はこれから三女の加代ちゃんが購入したアパートのお披露目に行くところ。
豪華なお刺身の盛り合わせを旦那様が作り、奥さんは引越しそばならぬ、
そば、素麺、つゆ、茹でる器具セット、私からのゴチャゴチャしたおみやげを長い時間をかけて分配、
プレゼント用に整えたところ。
では行って来ます。
久しぶりでロスアンジェルスに小学校の同級生を訪ねることに
彼女はアメリカの強制収容所で生まれ 戦後ご両親と太田に移って小学校を卒業、中学校からアメリカに戻った。
戻る手続きが大変で 東京の大使館に何度も通わなくてはならず まだ赤ちゃんだった妹を私の母が預かったりして仲がよかった。
太田ではお父様が米軍キャンプ、ゼロ戦を作っていた中島飛行機工場跡、に勤め、お母様は自宅で英文タイプを教えていらした。お母様の書かれる英語が美しかった。
鳥の丸焼きを初めてご馳走になった。
アメリカからの荷物があると中のものの彩り香りなどが新鮮だった。
ご両親は英語で会話を、 彼女にストロベリーを持っていらっしゃい と言ったら金槌を持ってきた、とお父様が笑っていらしたことが記憶にある。
さて アメリカに帰りみんなで仲良く働き、子供には教育を、 彼女は洋裁関係の会社へ
私が大学の三年生の時遊びにいくと飛行場に 小柄だけれど力持ちでキリッとした男の人が一緒に迎えにきてくれた。
その彼と翌年結婚 一週間どこにも休みがないというような働き方で日本のもののスーパーをつい数年前まで経営していた。
仕事柄いろいろな事情の日本人たちを見てきている。アメリカ生まれの人 戦後アメリカに渡り幸せになった人、気の毒な人、日本から仕事に来ている人の家族、、、
厳しい状況のとき子供にしっかり教育をさせる 社会でのびていく というのが周囲にいろいろな国からの人たちがいる彼女の実感 と言われる。
母はいつも言っていたが 彼女の旦那さんが元気で 鷹揚で 良い人だからこそ親類以上の様な といってもこちらが甘えっぱなしの付き合いを続けていられる。
では今日から行ってきまーす。
携帯の設定を直していただきに 日本橋docomoへ
お茶を頂きながら待っている後ろの席で 男性客が 息子さんの携帯を自分のものとして使えないか と相談している。知り合いの係の方らしく 大変分かりやすく説明をしているのだが 同じ言葉が何度も出てくる。男性は あなたの説明は分かりやすい と聞いていたが 私は赤羽橋に住んでいて 近くに西郷さんと勝海舟が会見をした所があるのだが あなたは知っているかなあ というところから、 泉岳寺には 義士 だけでなく 誰それの墓も有るのだよ というところまで話が進んでしまう。誰それの のあとは 何と大前田の英五郎 の名前が出てきてびっくり。 思わず 大前田英五郎はやくざで有名な群馬県 私の郷里の人です と話に加わりそうになってしまった。
これからの世の中 若い人たちが忍耐強く年上の人たちの相手をすることになるのだろうなあ と思い どうぞよろしく おつかれさま ありがとう お世話になります といろいろな感謝の言葉が心に浮かびました。
話相手がたくさんいればいいのに 忙しく過ごせる時間があればいいのに
今度又泉岳寺に行ってみよう。子供の頃いろいろなやくざの名前を聞いた中でも大前田英五郎はその名の音が良くて印象的だった。
めでたく終了の筈が、ここでのコースの最終日、壁一面に貼った作品を見ながら感想を述べ合う。
○六年続けてロンドンから参加 八十近い女性絵や書迄売れてしまうらしい。もう一歩深みが出せないで数多く習っていたが、今年数点驚ろくような充実感のある作品が出来て、変わるものだと私はビックリ。ここでどんどん、やたらに習う字を(何と言っても一週間泊まり込みでの合宿なので間がもたない)ちゃんと表にして、書体、誰の作品の臨書、等きちんと押さえている。驚き。
○初参加のデザイナー。昔中東に彼女の製品を売り込みに行く時、夫がデザイナー、彼女は附録の奥さん、ということにして入国可能になったとか。いかにもその方面らしくタランコしたダブダブ洋服を着て常にニコニコして柔らかいしゃべり方で周囲の人の雰囲気を上手にまとめるが、自分で納得する迄手元でしっかり習う。初日のかわいい漫画のような字がアッと言う間に変化。他の人のことは後にすることにして….。
夕食後、例の「ドイツ歩け歩けグループ」が見に来たいというので、去年、おととしとこちらの展覧会でお世話になった人達も混じり皆で待っていたら、何故かデモンストレーションをして、ということになってしまった。こちらの人に文字の説明を頼みあやしくなると私がしゃべり、例の表の女性に要点を英語で書いてもらい「幸」が良いというのでいろいろ書き分け、行成の本から「幸」を見せて千年の昔の字を理想として勉強するこの素晴らしさ、と盛り上がり、カタ仮名、平仮名、漢字….と日本人は何と複雑な世界に生きることができるのだろうと煙に巻かれた状態で参加者はワイワイし次の部屋のバーに。その後イギリス人がドイツ人に書の話をして夜中迄時を楽しく過ごした、とのことです。
私はそれどころではなく、部屋に直行してしまいました。
昨日から前庭に羊が戻ってきて、やっとハイアムホールらしくなった。一九七十年代にトルコで日本の商社の家族に英語を教えていたという女性が現れた。知り合いのジェニーさんの予告では「なかなか厳しくうるさい人だが、悪い人ではないのでよろしく」とのこと。「繊細で、自分の感情と線が密に繋がり、数字の美しさを持つ書にこの年になって初めて触れ、私の人生に新しい子供を持ったような気がする」という大きな感想をいただきました。興味の渦の中にいるようで、私は交通整理が大変。
「羊しかいない世界を体験してよ」と私は誘ってきたのだけれど、今年の前庭には一頭の姿もない!ひどい冬でたくさん羊を失った上に草が十分に生えなかったためらしい。羊が消えたのではなく、前庭の草がだめになったので羊を連れて来ないと解った。草がだめになり「羊がだめになりお互いちょうど良かったのよ」等と算数のようなことを言う人もいるけれど、農家は大変らしい。ある一種の羊の存続は一頭のおばあちゃん羊にかかっている、と笑えない話も聞いた。六年間で一番暖かいこちらの天気だが七年前はひどい暑さだったと一回目からの参加者・ジェニーが教えてくれた。新しい上部に代わった今年も出席者の熱心さには変わりなく、私は一日中一緒なので忙しい。昨日の午後皆で息抜きに近くの町に行ったが、数年前の大洪水で閉店になっていた町並みも殆んど復活。『この地点迄水が来ました』というサインが無ければ、もう外からは気づかない状態。では元気に今日のクラスを始めましょう。
幸い体制が代わっても書のクラスは貴重と来年も続けることになった。新しい校長先生が写真を撮りにいらっしゃることになり、どの状態で撮っていただくのが良いか、等と話していた。書のこと等何も知らない校長先生が現れた途端、皆それぞれにしゃべることしゃべること。二年前ワーズワース美術館での書展のこと、デモンストレーションに私が白い着物を着ていたとか、ワーズワースを巡る四名の女性を花という同じ意味の文字を異なる雰囲気で作品にしてみせたとか、私が台所用フキンを美術館長さんの目前に広げてそこに印刷されている「水仙」を朗読させてしまったとか、まあ皆良く覚えていることにこちらがビックリ。この先生のやることは….とか、全員がマネージャーになった様な熱心さで宣伝にあいつとめ、お陰で校長先生も気分良くお帰りになりました。皆さん、ありがとう。
昨夜自分のしていることで久しぶりに一寸法師の話をかみしめて元気を無くしていたが、この騒ぎでアッと言う間に元気になりました。
今年は十二ヶ月を題材にすることに決定。一週間前に思いついた。常備の紙の黒板を机に乗せてどんどん説明しながら筆で書いていく。隣にアンというロンドンから毎年参加する女性が坐って、同時に英語で説明を書いてもらう。どう書いたら良いものか皆で頭をしぼるので楽しい展開となり、アッという間に時間がたった。たとえば、一月。象形文字としての月。正月、正の字で数を数える。初日の出。日、象形、の、ひらがなの役割。初日の出を日本人がどう捕らえるか。門松。松竹梅。日本酒。うなぎの出前。笑い話に松を安い方に設定して、ふるまう客に見えを張ると話が広がること。皆で 一 と 二 を書いて今夜は終了。
今夜から書のクラスが始まる。湖水地方への電車のなか。昨夜ロンドンは雷と雨だったが、隅田の花火が途中で中止になったと東京の友人からメールが入りビックリ。
オペラ座の怪人を見に行っていた同行のお嬢さん達は幸い劇場を出る頃には小降りになっていたとかでホテルで心配していた私も安心した。
では又近くこちらの様子を御報告します。
今日からイギリスへ
湖水地方CumbriaのHigham Hallで一週間の書のクラスを持つようになって6年目。
ロンドンで働き成功した人たちが老後を過ごしたいと思う場所だとかでイギリスの中でも珍しい所と聞いている。
雨の多いところで夏のシェイクスピア劇も雨天決行とのこと。
いつも 悳子が太陽を運んでくる と言われるのだけれど 今年はどうなりますか、、、
行ってきまーす!