驚きました。偉い!

2014.5.9

5月9日

ハーバードの有力関係者である外国人女性を都内のあるところへお連れする前に、たまたま思いついて、待ち合わせたグランドハイアット東京で そこの和食堂、旬房、に案内、私の作品を見て頂く事に、、、

何と彼女は和室の入り口でハンドバッグからソックスを取り出したではありませんか。

驚きました。偉い!

蘭蝶 紀尾井ホール 富士松小照さん

2014.4.27

4月27日

第70回 富士松小照の新内を聴く会 へ

蘭蝶を聞く度に小照さんが変化していることが解る。

今日はお三味線に人間国宝の新内仲三郎丈を迎え聞く方の我等も背筋が伸びている感じ。

四谷で初めて逢うた時

そりゃ誰さんでも関はぬが、コレ此糸さん、お前はナア、お顔に似合わぬ恐ろしい恨めしいお人ぢやなあ

縁でこそあれ

などの聞かせどころを実に渋く 細やかに 丁寧に謡い上げられた。

これを聞いてしまうと この先跡を継げるような人が出るのか 恐れることなくこの道を進んでみようと思う人が出るのか と不安になってしまった。

良いものを見てしまった 知ってしまった者の幸せ そこを目指す遠い道

小照さんは 勉強 勉強 また勉強 とおっしゃっている。

 

ところで 今年の蘭の会 書作展 は11月25日から鳩居堂さんです。

“異” を念頭に置いています。

 

 

春で朧で御縁日

2014.4.23

今朝日本橋で玉三郎丈の映画 日本橋 を見る.

丁寧に丁寧に作られていることがよくわかる。

着物の裾が畳の上でたてる音を久しぶりで聞いたような気がする。

一場で ”春で朧で御縁日” という台詞を聞いたとき 大学一年頃鏡花の古い本を家から持ち出し読んでいたこと 中でもこの言葉が気に入り 一人よい気持ちで 抑揚をつけて口にしていたことを思い出した。

みっともない ことを嫌って生きる人たちが多かったのが日本人 と最近とても人が増えた日本橋を歩きながら考えていた。

さて

夕方 ロスからの三人のお客さんをパレスホテルに迎えに行く。

ユニクロに行きたい キティちゃんの歯ブラシを買いたいということで 二人をユニクロに 銀座の三越にはキティちゃんはないが西銀座デパートにあるというのでまたまたおまわりさん達の間を通って銀座通りを往復、ぐるっと回った道すがら子供用の浴衣まで買う事が出来て三人は大統領と同じ銀座にいた事も合わせお土産話が出来たと大喜びだった。

昔ロスにいる日系の方達が私の大きな作品を現地の領事館に寄贈してくださった。

ちょうど谷内氏が総領事をしていらして 現地の日系人の方達にとても好かれていらした。

領事館に父と私をつれていってくれた友人にいつも思い出し笑いをされるようなことを例によっていろいろしてしまったのだけれど書くと長くなるのでカット、

今考えると谷内氏が優しい方だったと思うのは ”私がどなたかにお目にかかるときは大体周囲の人たちのネットワーク内でご紹介いただけますのに谷内さんにはどこからも繋がらなかった” と面と向かって不思議な顔をして言い始めたら ”谷内さんには” あたりから ”つながらなかったのですね”とにこにこしながら話を続けて下さったその自然な態度によってだった。

その方が 大統領とご一緒にお寿司を召し上がっていらっしゃったと思うと不思議な感じがする。

 

 

しだれ桜

2014.4.9

4月8日

平家物語のDVDを作られた橘氏にお誘いいただき 御殿山ヒルズのマリオットでのロータリークラブ観桜会へ。

まだ美しく咲いている大島桜や咲き始めた八重桜をお庭で楽しんでから平野啓子さんの語りを

瀬戸内寂聴氏の しだれ桜

橘氏は これを聞く度眠れぬ夜を過ごす と講師紹介でおっしゃる。

学生時代大人ぶって何作か読んで以来瀬戸内寂聴氏の作品に近づいたことはなく しだれ桜 も知らなかった.

ざっくばらんな前置き、解説から物語に入った途端 場の空気を締め、40分間以上客の気持ちを引き込み掴んで離さない演者の力はさすが。

平家のDVDで平野さんは 祇王 を担当。

全巻の中でも目立った佳作となっている。

橘氏に平家物語の奥深さを教えられたのが宝になったとおっしゃっていらした。

スピーチをした方の一人が日本桜の会のことをお話しになり 懐かしくて思わず 私 二代目準女王です といってしまった。

考えないで行動するスペイン人的血が今日も又出てしまった.アレー!

府中の市長さんを長く勤め 市のためになることをたくさんなさった国劇部先輩の野口氏が府中の顔としての平野さんを応援していらしたこともあり おかげさまで平野さんと直接お話させていただくことができた。

我が家の菩提寺太田の受楽寺に平野さんが講演にいらしたことをお話しすると浄土宗なので法然上人の会で活動していらっしゃるとか

私が書かせて頂いた山額の写真をお送りすることになった。

ということでこの記念写真です。

 

春霞のドヴォルジャーク

2014.3.29

3月29日  新日本フィルハーモニー 新クラッシックへの扉

今日はブリテン青少年のための管弦楽入門  とドヴォルジャークの新世界より。

新世界より を聞くと 西部劇 荒野の決闘 の舞台になった景色を思い出す。

マイアミでの国際学会の帰り”車は運転するのでそちらに一緒に行かないか?” と今思えば何とも素晴らしい申し出をしてくださったご夫妻がいて 砂漠 荒野 を堪能した。

”恋はフェニックス” アルバカーキーに僕が着く頃あの子は、、、フェニックスに僕が着く頃彼女はやっと隣に僕がいない事を知って、、、という甘い曲が流行っている頃だった。

西部劇の舞台を訪ねる前にアルバカーキー近くの原住民保護区で医者をしている方の家に泊めて頂いた。

お酒に酔った保護区住民がしょっちゅうハイウェイで何事もないように車にはねられ、 お土産屋さんに入ってくるとひどい態度であしらわれていた時代だった。

お医者さんは ”診療所でしっかり働いてくれている人たちもいざ生き死にになるとまじないに救いを求めるので彼らを指導している身としては何ともやりきれない” と嘆いていた.

さて 今日の新世界より はアメリカが年をとったのか 私が老けたのかは知らないが、 日本のうすピンク 少し薄茶の土ほこりも混じった春霞の紗を透かして 広大なアメリカを見ているような気持ちがした。

優しい感じの指揮者の方はアンコールにスラブ舞曲の10番 と2番を演奏してくださった。

小学生の時父が初めて私のものとしてのレコードを東京で買ってきてくれたのが アルルの女のLP とスラブ舞曲などの入ったドーナッツ版、 もう一枚は 万人好みの何か協奏曲だった。

”アルルの女”は目が覚めるような素晴らしい美女のレコードジャケットに父が一目惚れしたに相違ない。

スラブ舞曲のジャケットも中年の魅力一杯のハンサムな指揮者のものだった。

余韻に浸りながら徒歩10分で自宅に帰る事が出来るこの幸せ。

とら

2014.3.25

今日は父の祥月命日で ここ二、三日いろいろな思い出を皆さんが話してくださった。

10年前のその時は庭の桜の大枝を切って飾り、もっといっぱい とお願いしたら 社長さんに ”お前どこかで切って来い”といわれた葬儀社の新入社員の方が ”僕 捕まりたくありません”と言っているのをそばで聞いていた園芸を大きくやっている知人の方がたくさんの見事な桜の枝をどこからか集めて持って来てくださり悲しいけれど美しく明るく華やかでとてもよい雰囲気になった。

さて今日さっき地下鉄の車内広告を見たせいと思うのだが改札を出るあたりで次のような事を思い出し笑いを我慢するのが大変だった。

昔 事業をしている女性が私と父を大手町の彼女のおなじみのお寿司屋さんに連れて行ってくださった。

カウンターで注文しながら食べる ということは父と二人の生活になってから久しくなかったので ”最後に先生もう一つ何か” と言われた私は しっかり木札を眺め ”私 まだ とら というお寿司を食べた事がないので それにします” と一枚の札を指差した。

彼女は ”先生 それは とらではありません。 とろ です。” とお寿司屋さんと二人で困ってしまわれた。 父は いい年をした我が娘の一言にあきれてものも言えなかった。

私は恥ずかしがりもせず ”これは とろ とは読めない どうしても とら だ” と言って、 気取って変な字を書くのが悪い、とはさすが言葉にはしなかったが、平気な顔をしていたので 傍の二人はもっと恥ずかしくなってしまったらしい。

さて この話をあとで違うお寿司屋さんでしたら ”私なら 卵焼きに焦げ目で縞を書いてお出しします。” と言われた。

父がいたら ”座布団一枚差し上げて!” と喜んだことだろう。

 

清麿

2014.3.20

3月19日

叔母の祖先が日本刀の名工 源清麿を世に出した師匠,窪田清音だということで 案内をもらい根津美術館へ。

刀匠といえば太田市に人間国宝の大隅俊平先生がいらした。お家がそのまま記念館になり市外からの愛好者が訪れる場所になっている。

私は20代だったと思うのだが 太田市に社会教育センターというのが出来た頃で、我が家の天心書道会の展覧会の準備か打ち合わせに父とそこの事務所にいた時 大隅先生の第一回の個展のための立て看板を市役所の方達が書こうとして寸法出しに大変時間を費やしていらした。

後から聞いたところによると 厳しい大隅先生のところには皆恐ろしがって出来るだけ近寄らない 御用がすむとほっと安堵の息を継ぐ というのがお役所内でのもっぱらの話だったらしかったのだが もちろんそのようなことは私の知るところではなく

私でよければ書きましょう と気楽に書いてしまった。

先生は喜ばれてにこにこしていらした。

数年前未亡人になられた奥様に先日久しぶりにお目にかかった際、 奥様も看板書きの時現場にいらしたとかで その第一印象が強く 私のことが忘れられなくなった とおっしゃられた。

以前伊勢神宮の宝物館の係の方が大隅先生の刀は素晴らしいと案内してくださる途中でおっしゃったのを思い出す。

縁あって知人の紹介で先生の刀がオマーンの国王殿下にお嫁入りした事もある。

刀との縁は博物館で見る以外はそのくらいしかないが今回の 清麿展はポスターなどに使われた 清麿 という文字が何とも言えない味わいのあるものなので親近感を覚えた。

先に山本兼一氏の清麿に関する小説から入ってしまったので酒飲みの天才刀工のイメージが出来てしまっていたところ タイトルの文字を見て感じた 清潔さ、清純さ、甘い魅力で どんな人だったのか楽しく思いを巡らせるようになった。

会場に置かれた刀は今まで博物館などで見ていたものとは雰囲気が違い これは何だ と思ったら お師匠さん すなわち 窪田清音 が 切れない刀は刀ではない と言ったことで開眼 と書いてあった。

好きになったサインの実物を探して首を直角に傾け見て回った。

角があるところに刻してあるので見分け辛かったけれど 多分これに間違いない と思ったものの説明に 源清麿銘の第一作 とあり妙に嬉しく納得するところがあった。

携帯で写したチラシの 清麿  ご覧下さい。

アレレ

2014.3.6

しばらく元気がなかったが 今日行った本屋さんに積んである 老後が何とか という本の表紙隅に 自己チェックする文章が並んでいた。

おまけが好き

必要なものでなく好きなものを買う

紙袋を捨てない

などなど 最後の

下さるものは全て頂く

まで

全て 私 その通り 一つも いいえ がなかった。

 

だから老後をどうするの という本の中身をのぞく気持ちには全くならなかったが

この表に当てはまる人はホープレス ということなのね きっと。

でもね

”希望は自分で持つものよ”

 

バレンタインの月

2014.2.22

バレンタインの月 ということで今日はスカイツリーが 淡いチョコレート色になっている。

スカイツリーは今ひとつ という方も多いけれど 住んでいるところから良い位置にあり 少しずつ 形になるところから見てきたので 情がわき、パッと姿を見せるこの家の角まで来ると ただいま帰りました と言う気持ちになる。

何度も大変な思いをした墨田区には 和蠟燭のような形で 麻布をまとっているように見え 強い自己主張がなく 老成しているようなこの塔がふさわしいと私は思っています。

12年ぶりのホテル熊本日航

2014.2.4

13年前に開業したホテル日航熊本に次の年二回続けて伺って以来そのままお正月の干支の軸のみのおつきあいが続いていた。

去年ホテルを会場にした大きなイベントが続き その為に立ち上げの時のトップの方がまたそのお席に戻られたらしい。

何はともあれ懐かしい初期の皆様にお会いしたく 忘れられない美味しい食事を頂きたく 意味が分からないまま気楽に誘いに乗ってくれた友人と一緒に出かけた。

空港からバスに乗ったとたん伺ったのは去年の事だったのではなかったか という変わらぬ懐かしい風景だった。

暖かくもてなされるというのはこの事 という嬉しい時間について話しだすときりがないので 感謝しつつ 飛ばして

次の日天草に行きイルカウオッチングの船に乗り もやで周囲が何も見えない有明湾の上で次の展覧会に想いの何を中心にするかについて想いを巡らせた。

前からこれ と思っていたが なかなかまとまってこなかった。

もやの中で船が立てる波を見ながら 頭の中のなにか をこれもゆっくりもやのなかにひたして 自分をせかさず 考えるのではなく 思っていたら何となく筋道がついてきた。 この旅でたまたま感じたり聞いたりしたことがこのまとめのヒントになったようだ。

自分にしか解らない文の書き方をしてはだめ と子供のとき母によく言われたけれどこのもやについての文はまさにそれで みなさますみません。

11月の展覧会場で皆様に あの時ごちゃごちゃ言っていたのはこれだったのね と思って頂けますよう 気持ちの伝わる書作展になるように これから相務めます。

ところで 弾丸バス旅行の目的だったイルカは 大変たくさん姿を表し 最後には船が作る波に二列になったイルカが乗るところを長いこと見せてくれた。

たった一泊の熊本往復 ホテルで美味しいものを というだけの目的の旅で天草でイルカまで見る事が出来たとは   驚きました。


熊本へ

2014.1.31

ホテル日航熊本の和食堂 弁慶 のなかの書の作品は私のものをお使いいただいている。

オープン当時に二度伺って以来 本当に久しぶりに 干支の”馬”を見ながらホテルを訪ねる事にした。

父と訪ねたときホテルの皆様があまりに良くしてくださったので 父も大変喜びそのときの事は 今でもとても良い思い出になっている。

島田美術館は思いのほか寒かったのでアフリカの絵画のような柄の厚手の大判ハンカチを求め父の首に巻いた事とか 前年アメリカの空港で五輪の書の英語版を買ったら表紙が赤穂浪士だったことを館の方と話したことなど 今でも使っているそのハンカチを見る度思い出される。

ただ一つ 今こうして書いていて思い出してしまったことがある。

ホテルの隣の美術館でのこと 楽に動き回れるように父は車いすにのっていた。

美術館も新しく出来たばかりで出し物にも力が入っている時期だった。

若手の美術家の人たちの部屋で 次の部屋に行くのにどうしても通らなくてはならない所にヨーロッパの有名画家の絵が床に敷き詰めてあった。父も私も次に続く他の作家の展示を見続ける為にはその絵を越えて行かねばならなかった。

二人とも人の絵を足で踏む事を拒否して父は車いすから降りお互い端を伝い歩きするようにして次に進んだ。

もし過去の偉大なものを踏んで進む事に意義を見いだすのなら自分だけで好きなようにするべきだし他人に作品を踏ませたいのならまず自作をそこに置くべきだったのではないか。

と あのときの不愉快な思いは今でもその現場にいるようにカーッとさせられる。

さて 今回は天草日帰りが可能だとかで 楽しみにしている。

遠くて天草でイルカを見るのは無理 と思っていた私が 提案者に ”イルカは食べられないし、行かなくてもいいや” と言ったとかで、例によって本人は忘れているのだけれど、そちらの家族では大笑いをしたらしい。

では

納得

2014.1.29

昨夕何気なく耳にした第二放送の 明治時代の女優 についての話。

明るく若そうで元気で良い感じの女性講師が 昔の女優 について語っていた。

当時の新聞など現在目にする事の出来る資料が話の元になっている。お勉強 です。

大変素直な事柄の受け取り方で好感が持てる話の展開だったし このお授業はよしとした上での話だが、

聞きながら 過去を知る ことの難しさ 危うさ を思った。

自分で過去を体験する事は出来ないのだから 書かれているものや 人の話を参考に ということなのだが 人の話 というのが 私にはくせ者に思えてならない。

世にいわれていることとと 実相はまるで違う ということは身の回りでさえたくさんある。

頭の中で話が広がりすぎてきたのでここまでにしないと

 

 

 

ラファエル前派展

2014.1.25

今日初日のラファエル前派展へ。

昔ロンドンで買ってきたロセッティが描いた女性達のカード、 なかなか使えず置いておいたので今日彼女達の絵が飾られた部屋に入ると懐かしく豊かな気持ちになった。

会場内の説明ビデオで ロイヤルアカデミーオブアーツ の名前がたくさん出てきた。

その会のパトロンの方達の前で書のデモンストレーションができたと思うと嬉しかった。

書き初め展風景

2014.1.22

サウジアラビア、ファイサル王子が書かれた物、熱意という意味。

 

会場の風景

初めてのお習字

2014.1.9

1月8日

四谷の大和日英基金のオフィスで奨学金を受けて日本にきているイギリスの学生6人に書き初めをしていただく。

日本に来て3が月ほど。筆を持つのは皆初めて。

選抜されてきている人たちだけあって飲み込みが早く粒がそろっている。

別の意味のリラックス状態では困るので ”日本の子供は字を習う為ではなく集中力をつけ、学ぶというマナーを身につける為に書を習うのだ” と本当は今の世の中に言いたいようなことを言って驚かせる。

噂にきくと 世には 自分が解らないのは教え方のせい と組織の上に文句をつける人がいるとか。

そんな存在を生み 許す世も情けない。

なんだか かっかしてきたので やめよう。

正月 を普通の字と 空海の字とで習った様子をご覧下さい。