一ヶ月もブログを書かなかったことに気づきました。
今年8年目を迎えたイギリス湖水地方ハイアムホールでの書の講習会にまいります。26日から31日です。
31日にスコットランドに移動 8月6日先ほど書いたオープニングパーティーがあるのは
Letters for Rabbie A Homage From Scotland, Iran And Japan という展覧会です。
8月7日から11月1日まで スコットランドの Linlithgow Burgh Halls で開かれます。
どうぞお出かけくださいまし。
あと数日で出発という時になって 展覧会用小冊子の最終ドラフトをちゃんと読み出したら 人が書いている文章に私の名前がずいぶんでてきているのに気付いた。
何を言われているのかわかりませんでしたとは言えないことを認識、有能な友人に相談。
誠に私にとってわかりやすい解説が彼女から帰ってきて これでまあ大丈夫 と思ったところ 夜遅く 事務局からのメールが、、、
”私は寝ます。明日読んで返事をします。”と書いて失礼してしまった。
昼間出先で読んでみると、
オープニングパーティーで出品者3人とバーンズ生家の記念館館長さんとでギャラリートークをすることは知っていたが 何か食べながら作品の前を歩いて 実際は喋る人に任せ自分はニコニコしていようと思っていた私の予想は全く外れ、、、
担当者の挨拶や出演者紹介の完成された文章が書かれている。
そして真っ先に大変興味を持たれる目玉 のように私のことが述べられている。アレー!
四人で壇上に座って 何と何と何について述べて という内容でビックリ
また 友人を騒がせおります。
明日朝早いので ここまで
出先からまたご報告を
近所に最近未亡人になった可愛い女性がいる。
角地の家で 緑が美しく家の周囲を巡り 歩くひとたちの目を楽しませていた。
急に亡くなったご主人は町内会のこと お稲荷さんのこと など一生懸命になさっていらした。
”その後元気?” と先日声をかけたら 道に緑が出ているのはいけない というひとが区役所に告げ口をして 、、、主人が元気な間は何もそのようなことは言われたことがなかったのに、、、と寂しい顔をしていらした。
”正式に区役所から何か言われてから考えれば良いので それまではそんな余計なことを言うひとのことは気にすることはない、元気を出して。”
くらいしか言えなかった。
今日通ってみたら 角のコンクリートの囲いが昔のペンキが色あせ はがれた状態でむきだしになっていて 緑は無残に刈られてしまっていた。
自分の顔を出すことなく 見えないところで文句を言って 汚くしてしまった人間 あなた と呼びかけるのも嫌だけれど あなたが一人で 大勢の人たちが周囲の風景として楽しんでいたものを取払ってしまったばかりか 薄汚い景色にした事実が判るのか?
自分は今 思い通りになって良い気持ちになっているかもしれないが 切られた植物 残念がるひとたちの想いがマイナス要因になって残るのも事実と思われる。
ウィーンでのデモンストレーションの日、
準備をしていて、 このまま夜遅くまで休みなしではきっと参ってしまう と思い 店員さんにお茶を飲めるところを教えてもらった。
一分とかからない大通りに面した飲み物だけのお店で濃い紅茶を。
ふと 道に立っている広告塔、丸い筒で中に三種の記事があり 時々クルッと向きがかわるもの、を見ると、これからデモンストレーションをするお店の ”明日オープン” という広告が、、、
自分も道路の椅子に座って煙草を吸いながらくつろぐお店の経営者らしいお兄さんとなんだかんだと話を、
徳川家康が一番好きだ とポッチャリ型の彼が言う。
次の日帰る前にまた一休みに行くと、アメリカ人夫妻とわかる観光客が お金を払いながら、”いやー 良い所だった、ただ 私の後ろから煙草の煙さえ流れてこなければなー、、、”とか言っている。
私が大笑いしていると 家康くんが ”それは私なんだよ。” と言ったのでみんなでまた笑ってしまった。
顔を赤くしてその客が帰ったあと、 お兄さんは ”ここに来る人は観光客が多く、彼らは皆 心がウキウキしているので そういう人たちを相手のこの仕事が楽しくて好きなのさ。” と言っていた。
昨日6月14日ウィーンから戻りました。
今回の旅は 秋田の菊地合板木工という会社のヨーロッパ進出活動の一環。
ウィーンの家具専門店に本格的組み立て和室を作りそのお披露目パーティー。
奥様が全部の面倒を見てくださる。素晴らしい力を持った方です。
これから太田に戻るので ゆっくり書けないのですみません、月刊ウィーンというのをパソコンで探し6月10日分をご覧くださいまし。
いろいろ写真が出ていますが 最後の人混みの写真、真ん中下テーブル(見えないところ)に私がいます。
6−7時間人に囲まれああだこうだ といろいろ書いておりました。
私が書きたかったもの3点の作品 についてはゆっくりした気持ちの時に書きます。
ものがわかる人はいる 波間を漂って暮らす人もいる 国の性格がある 時の経過を知る などなど思うことにはきりがなく、、、 本当におもしろいですね。
1971年、誠次さんと数日間立ち寄っただけのウィーンへ。
10日に市内のdesignflagshipというショールームで
Cherry Blossom Summer,The Art of Japanese Livingのオープニングパーティーがある。
2日間で組み立てられるという秋田杉を使っての日本間キットを
ヨーロッパに紹介するのが目的。
300人程の出席者だそうで、私の役はその場での日本書道のデモンストレーション。
殆どの荷物はコンテナで現地に着いているが、全て行ってみてからの話で
私は明日、小屏風を持参する。
結果はウィーンからお知らせします。
英国大使館で開催された日本スコットランド交流協会総会 に出席。
パーテーイの準備の間 廊下に出ていて 竹鶴氏のお孫さんの竹鶴氏にお目にかかる。
テレビのマッサンを一度も見ていないので私は申し訳なかったのだが お話しさせていただく。
お髭のおじいちゃまと同じ時間を過ごされたことがあるのですか? と伺うと おばあちゃまは8歳まで おじいちゃまとは26歳までご一緒だったとか。
歴史がぐっと身近なものになる。
テレビの内容に満足なさいましたか?とお聞きしたら 個人的な話ですし現在の会社につながっているということもあり難しかったと思いますが とても考えてよく作られていたと思います。とおっしゃられた。
あなたはスコットランドとどんな関係が?と聞かれたので ’11年のエジンバラでの展覧会、 ロバートバーンズの詩10点をスコットランド国籍 イランのクヲーターの女医さんがペルシャ習字で、わたしが日本の書で書いたもの の説明をしたら それはなんとも 稀有な発想ですね。と驚かれた。本当にびっくりされたようなので そう言われれば エジンバラででも同じことを言われ 内容的にも好評をいただいたことを思い出した。
パーテーイでのスピーチで 竹鶴氏は おばあちゃまの目は緑で お洋服を同じ色に 暗くなると目の色が灰色になるので お洋服の色もそれに合わせて変える方だった。家の中では日本語で話していらしたがお孫さんを叱るときは英語だった。これから北海道にあって、彼女の女性としての活躍について調べたこと知っていることを記録に残していきたい とおっしゃていらした。
6日からのウィーンへ8月スコットランドでの展覧会用資料を持って行ってお勉強しないと間に合わない!という感じになってきているのが現実!あれー!
周囲に助けてくださる素晴らしい方たちがいるので私はどうにかこうしていられるけれど 着実 堅実に一歩一歩 ということができない性格がホント 災いしております。
太田の郵便受けに赤ちゃんとママ社 という封筒で何かが送られているのを発見。
孫でもいると思ってのことか?とお腹の中でウーっと唸って開けてみると
このたびは、いじわるばあさんかるた がま口プレゼントにご応募いただきましてありがとうございました。
厳正なる抽選の結果、見事当選いたしました。 とのこと。
半年ほどたってのことなのですっかり忘れていた。
しっかりしたものなので感謝を込めて お金ではなく 大事なものを入れさせていただくことにする。
ありがとうございます。
5月15日 歌舞伎座夜の部へ
丸橋忠弥 が 幕府転覆を考える浪人でなく ただのすっきりしない酒飲みとしか見えない。
酔っていても そのふりをしているにしても着物が体に添っていなければ乱れた美しさも出てはこない。
犬役が活躍するので 犬に会ってから思いついた行動で石をお堀に投げてみたと見えてしまう。
もし話が その時思いついた という設定になっているのなら もっと犬を利用した感じにしなければ間が持たないのではないか?
由井正雪は美しく、丸橋忠弥は苦みばしった玄人好みの男前 と決まっていたものだった。悪い方としての存在なのだから よほど魅力的でないと人は注目しない。
日本人の体型が変わってきたのが浮わついた感じになる原因とは思うけれど 化粧、鬘、着付け、身の動かし方で少しはカバーしないと。
芝居は何かお祓いをする効果がある と実感する蛇柳。
若い人もたくさんでる め組の喧嘩 もっともっと立ち姿の良さを勢揃いの場で全員から見せてもらいたかった。
鳶の衣装は誰が着てもカッコよく見えるものなのだから鏡の前ですくっと立って自分に見惚れて良い気持ちのまま舞台に出てきてもらいたい。