28日
”食べさせたくて 粉のついた手のまま持ってきました。” というつきたてあんころ餅は本当に素晴らしい歯あたりの美味しさだった。
帰ると玄関に置かれている野菜(冬の間は大根が必ず入っている)もおいしく いろいろな大根料理を考えるようになった。
大昔 挨拶もできない(という言い回しをしたものだけれど)親の子供がお習字のクラスに入ってきた。 ある時 遠足で行った河原で拾ったお土産 と言って黄色い石を持って来てくれた。あまり表情もない子だったのでこちらもびっくりしたが 今も棚の上にある。
いろいろ困ったことが重なっていた時 たまたま低学年の男の子がお皿に洗った苺を ”僕の気持ちです。”といって持ってきた時は思わず抱きしめて泣いてしまった。
別に教わらなくても 何かを誰かにあげたい という気持ちになるのはごく自然なことなのだから私は嬉しく喜んでその心をいただく。
27日
二人の子供が通知表を持ってきて見せてくれた。
ワープロで細かく色々なことが書かれている。
点数のようなものもあるがそれぞれが細分化されて どれがどれだか 同じような言い回しになってしまっている。
言わせて貰えば 読む気になれない 何を言っているのかわからない。 文字数だけ多い。
この調子で全部の子供に通知表を書く先生は大変。
後で聞くと今は ダメ いけない という否定的なことを書いてはいけないのだとか。
先生に これはダメ と言わせない社会はおかしいのではないか?
聞けば父兄会で先生を議論で追い詰める親がいるとか。
教頭先生は苦情電話の受付係になっているとか。
お気の毒に 同情します。
父が昔 ”教員が労働者という立場を選んだ結果がいつどんな状態をもたらすか?” とよく言っていたことを思い出す。
6日の 今藤長十郎さんの演奏会 残念ながら私は伺えなかったのだが パンフレットを いらした方にいただいた。
チェロとお三味線の曲を作られたそうで、解説に
”歩み寄らずに融合出来る事は可能かどうか?迷いましたが、、、”と書かれていた。
素晴らしい方 と感心感激した。
和楽器と洋楽器と一緒の演奏はただ日本の楽器を使って楽譜に合う音を出しているに過ぎないものが多くがっかりする。
ただペンペン ポンポン同じ音階の音を出しているだけのように感じられる。 前後の余韻 間を取り入れる、 特性を残して異質のものと一緒に、 というのは難しいことなのだと思う。。
ただ音を合わせるのならコップの周りやドラム缶やその他の音の方がまだ楽器の主体性が残っているのではないか?
歩み寄らずに融合を という 考えのもとにできた曲をいつか聞く機会を持ちたい。
富士松小照師匠久しぶりの演奏会
数十人で聴ける贅沢な会
残菊物語、明烏雪責の段と流しの形で蘭蝶を少々。
子供の頃大映映画で長谷川一夫 と淡島千景の残菊物語を見たのだが 暑い夏の場面 西瓜をおとくと二人で食べるところで息が白く写っていたのが忘れられない。
現代の人は 師匠の言いつけは絶対、好きな人のためなら自分を犠牲にできる という当時の考え方に同調できなくても そういう考え方があった と素直に飲み込んでしまわないとしらけてしまうことだろう。
同じテーブルの方たちが ”その古い考え方は間違っている と思って聞いていても 泣けてきてしまうのですね”とおっしゃっていたがそれが芸の力なのかもしれない。
音符では決して表すことのできないこの調べ どのように伝えられるものなのか
夕方は打って変わってモーツァルトのクラリネット五重奏曲 と動物の謝肉祭
20年前同じ出し物で第一回のコンサートが開かれてから 会員制の音楽会が20年続いている。代々木上原駅近く 建物が素晴らしいので稼働率がすごいらしい。
今日はお祝いで会主がピアノを 旦那様の井上道義氏もピアノ 指揮 と全員和気藹々と大変盛り上がった。最後に ”伴奏とどう音楽を合わせて進めるか等 打ち合わせはいらない” と井上さんがおっしゃってみんなで合唱したが さすが スムーズにことが運び 少し指揮者の働きを直に理解することができた。とても気持ちの良いものだと実感。
銕仙会能楽堂での平家語り に
祇園精舎 小教訓 福原落 木曽最期 敦盛最期 と後半 俊寛 として足摺 有王 僧都死去 という演目
木曽最期 ハゴロモ社のDVDで聞いている野村万作氏による朗読が あまりに素晴らしく、 耳に残っていて、 今回の舞台では 原作の時代を感じさせる という点で二人の間に違いがあると思った。
両者とも原文そのままを言葉にしているのだけれど 木曽育ちの義仲の素の気持ちの揺れ と 特に主従の繋がりの強さ の現れ方が違う。
主従 という点では 理解出来ない現代人が 理解しようとして演じるのと 理屈から入らず そのまま全てを飲み込んで演じてしまう取り組み方との違いではないかと思った。
書かれた文章の内容だけでなく 世の中の大きな流れの中での人間の哀しさ までを見えない空間に表現できるかどうか
古典の世界で生きた人と 新劇出身の人の違いなのかもしれない。
しかし 有王 僧都死去 は淡々とした語り口が 大変内容にあっていて とても感心、
良いものを拝見させていただきました。
週一度歩いて通る石原の交差点に出るまでの道にはプラタナスが植えられている。
それはそこに長くあるというだけのもので、 これから葉を茂らせるという時に、無残に丸坊主にさせられ 毎年枝を極端に詰められている哀れなずんどう状態の木々で 日陰を作って夏の日差しをさえぎることもできない 味もそっけもない、太いマッチ棒が立っているような街路樹になっている。
しかし 足元の数十センチ四方の土にいろいろな花や小さい植木 その他が長年共生していて 緑と色とりどりの花が 面倒見の良い人の家の前は美しく 何もしない人の家の前でもまあそれなりに根ついてそれなりの風景になっていた。
ところが 一ヶ月ほど前 切ります 片づけます というお役所の札が下がっていたと思ったら、 そのままの という野性的花壇ばかりか 数十年も見事なバラ 芍薬 その他 でミニ庭園のように手を尽くして美しく保たれていたところまで 全ての植物が一度に全部取り去られてしまった。
先週 見事なバラの花が三本窓辺に飾られているのを見て ああ今まで手をかけてきた人のいうに言えない気持ちがこの三本に込められているのだ と気の毒でならなかった。
昔 ここ墨田区に越してきた時 広報に質問コーナーがあり 家の前の公道に花や木が植えてありますが? という問いに対して 区役所からの答えとして 墨田区は緑が少ないので 家の周りに自分たちで植えたり 置いたりしている植物で 味気ない風景にならずにいるのです。 みんなでそれを楽しみましょう と書いてあったのが 忘れられない。
今回のことは 前に 少数意見は常に正義なのか を書いた時のような やっかみから 市役所に言いつけて 人の家の角の美しかった緑を丸坊主にさせた と同じことなのか それともお役所が ただ面倒なので 元の状態に数十年ぶりに戻したのかはわからない。
何れにしても なんでも同じでなければいけない、 ただ決まったところにそれがあれば良い といった単純な考えからは情は生まれてこない。 マニュアル以外の挨拶 返答ができない空っぽで人形のような人を育てている仕事場の多さ と同じことなのではないか と空恐ろしくなる。
11月7日
今ポストへの郵便物を持って下へ降りたところ ポストの前には何かの車が、、、 集配の方がポストから出した袋を持って 後ろに止めた自分の車に向かって歩いている目の前に私が手を振っていたというわけで めでたくセーフ。
今年は日本桜の会設立50周年で春に大会が憲政記念会館で行われたが 今日は桜の女王OG が十数人集まり親交を深めた。去年までお役目を務めていた3人のお嬢さんと各年代にばらけている他の参加者。
最初このOG会が出来た時 名前を 姥桜の会 としようか とみんなで明るく笑っていたが 今になってみると もしその名前だったら 悪い冗談としか思えない事態になっていたことだろう。
学校、結婚と重なり 私は地方での植樹祭には参加することもなく 都内でのパーティー、その他気楽な活動しかしなかったので 今日集まった方たちの間に入ると小さくなっていなければならない立場なのだけれど まあ遠い昔のこととしてお許しいただいている。
全体の印象は 選ばれてから改めていろいろ勉強する機会を与えられ 明るく はきはきと 姿勢良く という感じが共通している。
来年2月新女王が選ばれるが応募締め切りが近いので どなたか推薦していただける際は次のアドレスへご連絡くださいまし。アメリカ、ハンブルグ、ハワイ、サンクトペテルブルグ など訪問するそうです。
http://www.sakuranokai.or.jp
お習字のグループで 井上氏のオペラへ
日本語と原語両方を場面場面で使い分け 細かいところをいろいろ考えた演出だった。
ひどい早口、早い動作、 役者が舞台を走り回る姿ばかりが目に付いた鼠小僧よりよほど楽しめた。
音楽が元にある というのが演出する方には枷 かもしれないが 見る方には安心の因。
3分の1くらいまでは 原語で歌う場面になるとホッとしたが 段々まとまってきて耳になれてきた。
群舞 コーラスが兵馬俑か唐三彩の出土品といった感じなのが気になったが 大きな髷で大きく見せる必要があったのかもしれない。
さて会場の前の広場で古本市が開催されていて 昭和2年3月の歌舞伎座のプログラムを入手。細かい活字でびっしりといろいろなことが書かれている。
裏表紙の宣伝が三越で 描かれた若い女性の着物姿がなんとも良い。
ショールと言うよりエリマキといった感じのものがお振袖の肩から膝くらいに細く垂れ 今このままこのお嬢さんが目の前に現れたら 独創的でなんとこの先が楽しみなセンス、 と記憶に残ると思う。
多くの紙面を読者の俳句、川柳 劇評に割き、観客と座本の関係が近かったことがわかる。
印刷が鮮明でないので読みづらいが内容が密なのでゆっくり楽しむことにしましょう。
10月17日
昨夜たまたまパソコン上でケネスブラナーのヘンリーVを見ることができた。
ずいぶん昔テレビからとったテープで何度も見て楽しんでいた劇なのにここ10年ほどテレビが変わり見る機会がなかったので 懐かしく嬉しかった。
’12の夏 湖水地方のハイアムホールに私を訪ねてきた知人が ”今夜 ヘンリーVが BBCであるから、”と教えてくれて いつもラジオだけの一週間を過ごすところで 夜の書のクラスも早めに切り上げ応接間に一台あるテレビで新作を見たことがある。
画面が綺麗なせいか なんとなく薄い感じがした。ブラナー編の方は周囲の役者が誠に特異な風貌の 演技も上手な人たちばかりで印象が深く 主役も放蕩時代を過ごしたのちに国王になったという役にぴったりで。声 台詞の間がなんとも言えず英語でほとんど理解できなくても良い心持ちになるものだった。
この夏現地の人といろいろなところで話をしていて ”あの場面のあの言葉” を思い出せずに歯がゆい思いをしたが今回フィルムを見たおかげで ちょっとお勉強をしましょう という元気が出て 英語と日本語訳の厚い本をひっくり返して ”コレコレ ”と引っかかっていた原因をその中に幾つか見つけて落ち着きました。
9月19日
友人と久しぶりのところに散歩に
週末など閑散としていた地下鉄の周囲に気の利いた小物を扱うお店が数多くできてこのところ人が出てきたらしい。
一つのお店は非常階段を綺麗に塗り直し 内壁上部が頭の高さと体の幅に気をつけながらぐるりと歩ける回廊のようになっていた。
そこに27の窯元からの豆皿が30cmくらいの面にそれぞれ数点ずつ並べられていた。
大変名のある会社も多く 勢揃い といった感じだったが 照明と観客の目線の関係かどれも一山いくらで売られているようなものにしか見えなかった。色がぼやけ 絵柄が平板で 訴えてくるものがないように思われた。
私の目のせいもあると思うけれど
店の人は隙間をどう無駄なく使うかということしか考えなかったと私には感じられた。
27社の関係者が実際何処まで承知で参加したのかはわからないけれど 自分の作品を人に見ていただく 時は いろいろ大切に考えなければいけないものだなあ と悲しくなって早々に失礼してしまった。
9月18日
今月からトリフォニーホール 新クラシックへの扉 2015・2016シーズンが始まる。
金曜午後組には初めての参加
客層は土曜の方が広いようで来季はまた土曜にしようっと。
拍手だって全員同じような聴取者からでは変化がなく面白くない。
音より演奏者に興味があるので今回は3列目。
堀米ゆず子さんの演奏を聞くのはたぶん初めて と思うけれど最初の音が出た途端 実際には行ったことのないフィンランドの光景が目の前に広がった感じがした。
名声 演奏能力をどう保つか 見かけの助けはいつまで有効か などなど余計な心配を本人も世の人々もする必要がない安心感があり 格の違いを感じた。
次の曲 バーバー 弦楽のためのアダージョ、 イノウエ氏の指揮が 剣の立合いのようで 一度途中で ハッと(フッと)息を吸う音が聞こえ なかなか興味深かった。
昔からの友人が将来私もどこかで書の紹介が出来るようになって欲しい、 と知り合いの陶芸家 道川省三氏を紹介して下さった。 イギリスの陶芸では一番というギャラリーに認められたのを発端に 目覚ましい活躍を始められていた道川先生は大変気さくな方で 「では、来年の夏一緒に湖水地方でクラスを開きましょう」とおっしゃって下さった。 ‘08の初回から今迄つながったクラスはデモンストレーションを見に来た人々、 一日コースで書にふれた人々、自分の勉強したいことを一年かけて準備して来る 人々、家族の動静で来られなくなっても顔だけは出しに来る人々、 又知識を得るのが大好きな人々(インターネットのお蔭で彼らの調べているものを 私は取捨選択するだけなので本当に助かっている)、 感覚が鋭く、初めて筆を持って書いた字はアラどうしましょう、といったものの でも、一週間で自分も驚く程の上達ぶりに喜ぶ人々 (こちらも知識組が新入組に漢字、カタカナ、ひらがなから藤原行成までを教えてく れるので私は救われている) 皆様が推量できるように日本の書というマイナーなクラスに興味を持つような変わった パーソナリティーの人々との8回目の夏はその都度に私の目を覚まさせた。 上層部が代わり、何となく変って来た去年、今年を区切りの年にしようと決めた次第です
ロバート・バーンズ生家記念館に行き、ゆっくり勉強して来ました。
墓地でシュミーズ姿で踊る魔女達を見た酔っ払いのタムが追いかけてくる彼女からやっと逃げて橋を渡り終わってホッとしたら馬の尻尾がちぎられていた、という話の橋にも行きました。
赤い赤いバラがたくさんバーンズ庭園に咲いていました。
帰りにこの写真のKELPIESに行きました。
30m、重さ300t以上の馬の上半身が二つ立っています。
100万ポンド以上で2年程前に出来たと聞きました。
初めていとおしくなる巨大な野外オブジェ作品を見ました。
2008年夏、初めて湖水地方ハイアムホールという生涯学習のカレッジで1週間の書のコースを持った。
2009年、クラスの中の二人の女性がその地の文化方面有力者のところに私を連れて行き、展覧会をさせてあげたいと紹介した。
相手はこの地方での北に対する重要な砦 ISEL HOUSE の跡取りでロンドンの美術界で力をふるい引退した85歳の女性だった。
詳しいことが解らぬまま、作品を持ってついて行った。公開されている大きな暗い建物の裏庭で一緒にお茶をいただいた。私を連れた二人の女性は明るく普通にしてはいるのだけれど、腰を少し引き、尊敬しながら奉仕する、という態度で手伝っていた。作品を見てすぐに「まるで現代アートの様でとても良いわ。ラスキン記念館でも、ワーズワース美術館でも好きな所で来年にでもいかが?」と言って下さった。
次の日、パリに行く予定だった私は次の年では現地を見る暇もないと考え2011年にワーズワース美術館でUnadorned(飾り気のない、スッピンといった意味)という展覧会を開くことが出来た。6月8日から8月一杯の予定が飾った途端、10月末まで展示することにしようという嬉しい決定をいただいた。
2012年エジンバラでの二つの展覧会、この夏のリンリスゴーでの展覧会へと道が続いている。
2013年には所有者が留守にしている大きなお屋敷に私と、私を彼女に紹介したジェニーさんを呼んで「この景色、あの景色がそのままピーターラビットのこの本に出ているでしょう?」と案内して下さった。
子供の頃「ここを訪ねると全部が凍っていてその上を滑って遊んだものよ」とおっしゃった。
太田の庭でそこにいる方が少しの間でも手を動かして草を抜いて下さるという嬉しいことがあるが、貴族でもある年老いた彼女が友人の庭で働く姿は気の利く個人が優しい気持ちでパッと手を動かすというのではなく、そうするのだと幼少時からしつけられた固いものを感じさせた。
私がこちらに来ていると、会えない時は御自分の書いたカードを届けに学校を訪れて下さるのが常だった。
昨年亡くなられた知らせを受け、知人に相談したらこちらではカードを と言われたが知らない関係者に出しても仕方がないと思ったので昨日ジェニーさんにお墓参りに連れて行ってもらった。無人の ISEL CHURCH を雨の中、まだ石碑は立てていないかも、あの盛り上がっているところがそうではないか、等と捜したが知らない人の土の盛り上がりに花を供えてしまうのもおかしいので好きな木を選んでその下に供えたらどうかということになった。私が皆と 後でブログに書くワーズワース美術館を案内していただいている間にジェニーさんが街まで歩いて行って花束を買って来て下さった。帽子を忘れたと言って彼女の頭からしずくがしたたり落ちてたので私がゴシゴシ拭いてあげたけれどこれが我等なら肺炎ものだと思った。こちらの人達は骨でも噛める様な美しい歯をしているが体の出来そのものが違うような感じがする。この様な感想を書くとバチがあたるかも知れないけれど ホント です。