7月15日
時間の関係で本番に参加できないのでせめて事前レクチャーへ
今日はレスピーギ リュートのための古風な部局とアリアより第3組曲
そして 組曲 ’鳥’
とヴィヴァルディ ヴァイオリン協奏曲集 四季
レスピーギ が勤め先の図書館に眠っていた古曲を元に作った作品で いわばリサイクル楽曲 と説明される。
それでみんなに懐かしさを持って受け入れられるとか
お伊勢参りのようなものかしらん
ヴィヴァルディ は世の中に溢れている 四季 の作者なのに訳のわからない葬られ方をした哀れな作曲家 と昔ラジオで聞いた知識しか持っていなかったが
世の中に溢れていたのは1950年代の終わり イムジチ が出したレコード対する反響で ちょうどその盛りに居合わせた ということらしい。
バロック音楽が70年くらい前からやっとみんなに聞かれるようになった という話にびっくり。
生き生きした感じが好ましい とずーっとバロック音楽のことを思っていた。
古いものは今の流行より新しいものでもある と私の師匠が 今風に流されることの短略さを告げていたことを思い出す。
週刊新潮7月7日号 136ページの写真に 私の作品の半分くらいが写っています。
6月4日
羽田のクロネコヤマトの物流ターミナルを見学
6月3日
そうだ マクベス を見なくては と思い出してシャンテ へ。
私は夏の良い時期のスコットランドしか知らないけれど 古城や海を思い出しただけでも 今回の映画がマクベスの時代の 土地 その他を表現しているのではないかと思えた。
主を自分の城に迎えて殺すのだが 普通に思い描く城ではなく 部落、 野戦テントの集合のようで神を祀る小屋が一番まともな建物 といっても立派な掘建小屋クラス。
暗さ 雨 ぬかるみ と重い風景のみ。
マクベス夫人が ミッドナイト イン パリ の中で活躍したMarion Cotillard で この女性ならピカソもヘミングウェーもその他誰でも魅了されたのは頷ける と思わせた女優さんだが この映画では 戴冠式の場面も豪華な生地なのは解るが抑えた色調の衣装できらびやかなものはない。
それだけに 手と血の場面も抑えた演技で ’自分の胸の中で乳を飲んでいる子供も平気で殺すでしょう’ というくだりも冷たくなく淡々と述べている。
今までは 焚き付けておいて自分が先に神経的に参ってしまって 旦那のためにならなかった女性といった印象だったが この映画では最初から最後まで良心の呵責におびえ続けるマクベス、 一度も 達成感を得ることなく時を通り過ぎたような描かれ方で 夫人はある意味男性より広い気持ちで出来事を受け入れていた というふうに感じられた。
それにしてもなんとも上手な役者さんだ。
昨日受け取ったグローブ座からの雑誌にこの映画での衣装が8月まで展示されているとの記事が出ている。
今年の夏イギリスに行かないのが残念!
知人が切符を取っておいてくださり初めてスヌーピー美術館へ
以前森美術館でのスヌーピー展を楽しんだことがある。
この春の旅の機内では行きも帰りもスヌーピーの同じ映画を楽しんだ。
大学3年の受け持ちでいらした稲村松雄先生がフルブライト留学から帰ってすぐスヌーピーを日本に紹介しようとされたが時期尚早だった と残念がっていらしたことを思い出す。
1966年カリフォルニア ロスガトスの知人の家から私と同い歳の子供が赤ちゃんの時引いて遊んでいたスヌーピーの木製のおもちゃをもらって来た。全く普通のビーグル犬で 漫画とは大違いなのだけれど 今度家に帰ったら商標が付いているのかどうか調べてみよう。
昭和70年代はじめ’ハワイでスヌーピーのぬいぐるみを買ってきてね’ と両親に頼んだら 自分たちが気に入ってしまい私の手には渡らなかった。
作家がまだスヌーピー以前の漫画を描いていた頃の作品が載っている雑誌、 The Saturday Evening Post JULY16,1949 が並べてあったが その表紙の題が
Our Pacific Sub Boss Tells How WE GAVE THE JAPS A LICKING UNDERSEAS だった。
二世の方達の苦労やいかに と思わずにはいられなかった。
5月28日
世田谷美術館 竹中工務店 400年の夢
この春たまたまお目にかかる機会を得た 大工棟梁 阿保昭則先生の実演の前の 大工道具の歴史とものづくりの心 と題する 竹中大工道具館館長 赤尾先生の講演から出席する。
大変な人気で 会場満員
3ミクロンの薄さで鉋をかける記録を持つ阿保先生は ラップに包まれた大きな板と鉋を持っていらして素人の参加者に実際に削らせてくださった。
私もやってみようと並んだら後ろの人に’今までなさったことがおありですか?’と聞かれたので 考えたのだが ’鰹節を削ったことしかありません。’と答えた。
なんとなくのタイミングで実際に鉋を手にすることはなかったが 会場にはみんなが代わる代わる削る良い匂いが立ち込め 私も ひとひらいただいてきた。
3ミクロンの木屑は3枚重ねてもまだ透けて景色が見えるとか。
世界の大工道具と日本のそれとの違いの説明を受け 力で押すグループと繊細な手入れをした道具で引くグループの違いを教えられて納得。
5月29日
浅草ビューホテルで
結婚されて両国の新築のマンションに入っていらした舛田さんご夫妻と同時に入居した私たちはなぜかすぐに仲良くなった。
橋場に停年まで後12年を残し 平成16年に千賀ノ浦部屋を相撲協会55番目の部屋として独立。
門にかける部屋名の額を書かせていただいた。
’相撲をやめてからもさすが と言われる弟子を育てたい’ という目標で進んでいらしたとうかがい 親方の人柄 おかみさんの素晴らしさがあってこそ このパーティに大変大勢の人が集まり、 若乃花(二代、三代)、貴乃花 また 強い時の横綱千代の富士に勝った試合のビデオに懐かしい想いで大きな拍手が送られたのだと実感。
5月21日
銀座で 時間があると教文館に行くことが多い。
一緒に行ったことはないが父もそうしていたらしい。
信仰にあふれている と見える店員さん達はいつも物静かで丁寧な応対をしてくださる。
’読売の読書欄にでていた スパイがなんじゃら かんじゃら という本をいただきたいのですが’ と言うと
’スパイがなんじゃらかんじゃら、、、’と二人で目を合わせていたが ’あ!そのなんじゃら、、はこちらです。’ と私が興味を持った本をニコニコしながら差し出して下さった。
今 サマセット モームがスパイだった というところを読んでいる。
店員さん達は茶飲み場や 寝床で ’うっ! とこみ上げる笑いを解放したかもしれない。
ウクライナ ロシアに行く機会を作ってくださった千野さんが書かれた記事をご覧ください。
アドレスをコピーしてペーストする という作業を昨夜習ったので うまくいきますように。
http://www.nippon.com/ja/column/g00371
大丈夫でしょうか?
フランチェスコ トリスターノ という若い演奏家
トリフォニーホール 新クラシックへの扉。
私の席は 3列上手通路際なので演奏者の顔が見えるのだけれど 今日は演奏者に向かい右前の足が舞台際から10センチ 先の足が 40センチくらいという観客の目の前にピアノが置かれていたので、
ピアニストの顔も見えるが 天板にピアノの内部が映り その天板に当たる音がちょうど私の席に跳ね返り 直に全身に降り注ぐ といった感じの至福の時を過ごした。
一人で聞いていたら一緒にリズムをとって動いてしまうようなバッハだったが アンコールの曲は乗りに乗った演奏で聴衆を巻き込んだ。
ピアノから出る音がまとまっているのに一つ一つははっきりしている まるで淡墨で書かれた力量のある書作品に見える線 といった感じがした。
CDにサインをしていただき 掲示されたアンコール曲の題名を見たら 作曲は本人 ラ フランシスカーナ とあった。
アンコールといえば音楽会最後のアンコールの熱気も素晴らしく大盛り上がりだった。
バルトークのルーマニア民族舞曲。
和食堂 弁慶 に作品を置いていただいているホテル日航熊本から
このような写真が送られてきました。
広間の窓の熊本城の雄姿が素晴らしかったのに、報道されているような無残な姿に今はなっているかと思うと‥
どう表現していいのか言葉もありません。
東京国際フォーラムでの アートフェア東京2016 に知り合いの方が 30年以上かけて集められたというトラヴェリング.インクウェルを展示されたので拝見に。
初めてそういうものを見せていただいたが 大変興味深い 贅沢なものだった。
嗜好品ではないので 違う系統のものとは思うが 昨年の夏 ワーズワース美術館の中の図書館でキューレータのジェフさんに見せていただいたヴィクトリア女王がワーズワースに贈ったインクウェルと羽根ペンのことを思い出した。
大変繊細な小さい羽根ペンが インクウェルとセットで銀細工のケースに入っていた。
予定ではこのあと目黒雅叙園の百段階段での生け花展に回るつもりだったがちょっと気持ちの切り替えができない感じだったので マリオンで映画を見て帰ることにした。
64 前編
久しぶりにしっかりと大掛かりに作った日本映画を見た感じがした。
実感のある男性役者がたくさんいる良い時代になってきたのかしら。
群馬が舞台で これが群馬 と納得する景色だけれどエンドロールにも太田の名は出てこなかった。
県は違うが隣の足利の織姫神社が大変良い場面で美しく映されている。
山があって川が流れて、、
両方の市の病院で働いたことのある誠次さんはいつもその違いについて私をからかっていた。
ポストまでしか出かけないゴールデンウイークを過ごす。
以前は 部屋の中が すぐに反古でいっぱいになったけれど ここ数年 一枚書いて それが乾く間待っていられるようになってきた。
いろいろなことが時が経つに連れて変化することを実感している。
焦らなくなるのは ただの鈍化 だったりして
ウクライナ とモスクワのこともそのうちに
世田谷美術館へ。
前の多摩ナンバーの車が休日専用らしく動きが悪く 美術館に12時数分過ぎに着いたらもう12時から配布の講演会入場券は無くなってしまっていた。残念!
展覧会会場はもの静かで頭脳明晰風な人々で溢れていた。
見応えのある展示で 少し端折った後半中心にもう一度見に行かなくては と思う。
題字を 力のある 一流の芸術家の方に書いていただいている。
長い歴史にぴったりの味わいがある。
思い出すのは 最近新聞の一面を使った大企業グループの、、賞の発表の記事。
いろいろな分野の功労者の方達がその賞を受けているが この文字での題字が刻まれているトロフィーや 賞状は辞退します という人が出てきてもおかしくない と私には見えた。
以前 意気揚々と船出した新党の名前を見て この書風の字を旗印に進もうという人たちでは先が見えていると思ったことがある。
どうしてそこに意識をはらわないのか 比べるものが自分にはないのか 不思議だった。
しばらくしてその政党はあえなく空中分解してしまった。
先立つ者にものを見分ける能力がなければ流行に流されるだけ ということなのかもしれない。
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