元気がなくなるので振り返るのは得意でないが、 今回の書展は 最悪の状態になっても作品を陳列、
映像だけでも残すことで会場キャンセルは避けよう
という考えのもとに準備してきた。
開場前の時間を使い ホームページ用のフィルムを二日間撮っていただいた。
その場限りでの締まりのない話には慣れているが、
整理されていない頭脳はこの際全く頼りにならず、
相手がいないところで言いたいことを伝える難しさを思い知った。
まあ 自分は変われないので 素のままでいくより仕方がない。
1985年銀座の越後屋美術サロンでの会に始まり、
鳩居堂さんでは1991年から今回で15回。 ということが話に必要でわかった。 長い時間が経っている。 自分は変わっていないと思っていても
時代、世の中、周囲の人々の様子は時が流れる限り変化していく。 心の中は変わっていない皆様と会い、
もう会えない皆様のことを一緒に思い出し、 自己、個性、などという小さいことを考えないで書の古典を学んでいく、
という私の姿勢をもうこの際 大っぴらに言葉にしても許される かな
と思ってカメラに向かって話しました。
一条天皇
中宮定子
清少納言
早くも後半の三日間に入る。
今回の会場展示方法が今まででもこの先でも最上のもの との確信が その場に身を置いているとじわじわと湧いてくる。
私がどうにか仕上げることのできた作品を どう生かし どう より良く見せるか、、、 会場全体の空気感を掴んで細部にわたって考える能力を持つことはなかなか難しい。
現在際立つ能力を持つ人たちは世に溢れていると思うが それにプラスして 愛情と執着 が最後の切り札になるのではないか。
いいわよ いいわよ なんでもいいわよ の私の世界とは違う舞台で作品がどう生かされているか どうぞご覧下さいまし。
いらしてくださった皆様全員 会場の空気をおほめくださっています。
13年ぶりの私個人の会で 周囲の皆様のお力の強さを身にしみて感じております。
元気な私が 皆様を 待ってまーす。
遠くて近きもの 極楽 舟の道 人の仲
一時から開始、4時半には会場をでる という早業で 準備完了。
集まってくださった皆様の大働きのおかげです。
前回までの賑やかで 華やかで といった様子とちょっと違う会場を是非ご覧下さいまし。
空気清浄機も入れましたし、おしゃべりしなければ大丈夫です。
言はで思ふぞ と作品に書きましたが そのままの状態で皆様をお待ちいたします。
写真は友人に作っていただいたマスク 黙 と書いてあります。
もう一枚の写真は いつも担当しているお花屋さんと。 お花、一見の価値あります
10月14日
春 家の中に止まっている間 早朝の隅田川縁散歩、行成、道風、佐理、巻子本古今集の臨書、と ほぼ日の講座視聴 で一日を過ごしていた。
シェイクスピア、万葉集、歌舞伎 とそれぞれ 贅沢な講師陣によるいろいろな切り込み方の 宝石箱のような講座だった。
番外編として 京都先端科学大学教授 山本淳子先生の対談番組があり 枕草子に対するお人柄からでると思われる暖かな深い知識に感銘を受けた。
一昨年の書作展のあと 次も平安時代を取り上げようとは決めていたが 枕草子に的を絞ることにだんだん気持ちがまとまった。
2008年から8年続いたイギリス湖水地方での書のクラスや海外でのワークショップに平安時代を取り上げてきたので あちらこちら部屋の中に点在している枕草子関連の資料を集めていたら 以前興味を持って読んだ 枕草子のたくらみ という本が出てきた。
著者が山本先生だったと気がついた。
時間がないので 話をはしょると
この度 山本先生から 先生の訳文を書かせていただくお許しをいただくことができました。
ご親切な対応をしてくださった山本先生 ほぼ日関係者の皆様に感謝いたします。
詳しくは後ほど ぼちぼちと
10日11日と太田市まちなか美術館で書初展
父の代から60年以上続いている。
多数の子供達が習っていた時代と違い 現在はほとんどが大人の作品。
毎年皆一生懸命に書いた中から一番良いと思うものを出品するのだけれど 後になって以前の写真を見ると ああこのようなものを書いていたのだ と実感する。
会場に置かれた自分の作品を見る ということはとても良いことなので皆さんにお勧めしている。
さあ 周囲の大勢の方に助けていただきながらの忙しく楽しい時間が始まります。
父がいつも作っていたゆずの砂糖漬けで一息ついている。
ここで良かった良かったと体を安堵の内に沈めてしまうと立ち上がれなくなってしまうので、
寄り合い所帯での展覧会なのでいつもピタリと はいかないが お許しいただくことに。
なににしてもみんなで勉強している事が大事、進歩していることが解ればこれ以上の事はない、この大切な事が会場にいて今回は今までで一番強く感じられた。
難しい内容に取り組むということはこうしてその先の道筋を見せてくれるのか と 幸せな気持ちになっている。
バンザイ!
では 今週の波に乗りましょう
’異’ 展 はあっという間に本日最終日を迎えました。
天候に左右されず連日大勢の皆様をお迎え出来ました。
動いていて下さる方達が 仲良くなったり 人生の先輩からいろいろな話を聞いて 自分の悩みを 安心と納得に変化させていたりする状態を知るにつけ、展覧会は書の勉強以外の付録も大きい と 嬉しくなります。
今日はまた良いお天気になりました。
銀座で皆様をお待ちしております。
行ってきまーす。
関係者の皆様 読んでいて下さる皆様 いつもありがとうございます。
今朝起きたら ほほにお肉がなくなっている。
控え室に歯形のついたサンドイッチ たもとに封を切りかけの阿闍梨餅、、、 ほとんど食べずに時間を過ごして動き回っているため と反省。
もちろん周囲の方達は さあ食べて食べて と勧めて下さっているのだけれど。
のどを食物が通ったあたりで すぐ 元気になる私なので 御心配なく
さあ 行ってまいります。
書作展 異 早くも三日目
父が 90過ぎてから書いた 國 という作品がある。
注目を集め 涙を浮かべて下さる 生前の父を知らない方達も、、、
懐かしがって下さる方達ももちろんたくさんいらっしゃる。
書く人と作品の関係の模範 を 私への指針として残してくれたもの との実感が湧き 感謝。
大勢様の波にもまれるような時間を嬉しく過ごしています。
これをお読み下さった方 どうぞ 現場にお出かけ下さいまし。
銀座四丁目の角 鳩居堂さん四階 小澤蘭雪 蘭の会 書作展 ’異’ です。
お声をお掛け下さいましね。
大きな声で騒いでいるのが本人です。
書展 飾り付け もうすぐ出発 ブログを書くゆとりはない のが正直なところだけれど
今朝 6時ちょっとにドアをたたく音が、、、 (ドアフォンが使えないので ’叩いて下さい’ という札が貼ってある。)
何かがあったのならここ一週間動きがとれないのに どうしよう、と どきどきしながら開けると お赤飯を持った隣の方がいらした。
昨夜 部屋の中一杯広げたものが収まらないままに寝てしまった ’どうしよう’ という気持ちがパッと消えて と元気がでた。
さあ これで大丈夫
会場で皆でいただくおむすびをたくさん作って下さっている方のお部屋によってから
‘行ってまいります’
ブログに写真を入れる事が今まで出来なかったが 書展のテーマの写真をどうしても入れなくては、 と、
あと何日かで展覧会が始まってしまう、という今になって、やってみよう、 やらねば という気持ちになった。
出来ました。
この前のブログに入れたのが ’異’ です。
異 をどう認識するか、日本に文字が入ってきた時 私たちの祖先はどうこの 異 の世界に相対したか、
いろいろなことを考え 学んだ今回の書展です。
半紙 という同じ土俵での皆さんの作品をどう会場に並べるか、という、一番の楽しみであり 苦しみである 最終準備段階。
今回は今まで以上の実務的手助けをたくさんして頂いたので 大変楽にことがはかどるはずだった。
異 というタイトルにして、平安初期、日本人が異国 中国の書をそのままどん欲に吸収していたことから 多くの方達に 嵯峨天皇が書かれたとされる李きょう(漢字が見つかりません)の詩に取り組んで頂いた。
この日本人離れした というか 中国人そのものの横綱格書風に挑戦したのは無謀だったのでは と ずっと思わされた毎日だった。
いつもなら 皆の作品を整理して表具屋さんにお渡しした途端、私は明るくバンザイ三唱で楽しく次の計画を立てているところだが
今回は ’おとといおいで’ と拒否される事はなかったと思うが、私は今現在も ’肩で息をするのがやっとでまだリングに残っています’
という感じがしている。
という状態なので 今夜のイギリス大使館での大和日英基金25周年パーティー のこと、その後渋谷ひかりえでのファッションショーのことなどは またの機会に
11月25日から鳩居堂さんでの書作展 ”異” への出品作品、最後の追い込み、元気出し用、下見会を赤坂で。
暑く長い夏がすぎた頃から全員一生懸命に 急になって、
皆で集まってお互いの作品を見る、というのは 自分だけの問題 と思っていた事が 他の人たちと同じ悩みであった と解ったり、いろいろな角度からその問題を人事として冷静に見る事が出来るので ああそうなのか、 と思い当たる確率が増すことになる。
私はしゃべっりぱなしに喋り ちょっとここで五分休ませて と いただいた羊羹がのどを通ったあたりですぐ元気になりました。
なんという即効性
さあ この次のクラスに皆さんがどんな変わった作品を持っていらっしゃるか 楽しみ 楽しみ
今年 11月25日から鳩居堂さんでの書作展のタイトル 異 です。
是非実物をご覧下さいますよう。