長野のいとこからさくらんぼが、、、
荷物を開けて薄い色のさくらんぼが枝と一緒に入っているのを見て つまんだらおいしくないし、これは見て楽しむため と思っていたが 一晩おいて眺めたらずいぶん赤くなってやっと人心地がつくというかさくらんぼらしくなっていた。
そのままあるクラスに持っていったら初物 と皆さん喜んで下さった。
サクランボは子供には危ないと家では食べなかった。もちろんある程度の年になってからは楽しんでいる。
みんなはばかにするけれど アメリカに昔あったキーンとするような 甘いチェリーパイ 私だーいすき!
写真は昨日届いてすぐ と 今日三越の果物売り場に飾られていたサクランボ の晴れ姿 です。
午前中太田で書のクラスをしてから目白へ。
講演会後のお茶の会にだけ出席と思っていたが 総会のあとでの講演会だったので三分の二ほど伺うことができた。
文学部に出来た教育学科が良い滑り出しを見せているという。
2050年の社会を見据え,次代を担う資質と能力をもった小学校教員を育成します。とパンフレットにある。
質疑応答のとき 今世の中に多いといううるさい父兄をどう扱うか という訓練もした方が良いのではないか と余程言おうかと思ったが おとなしく黙っていた。
いつも思うことだけれど 日曜日でもいつでも学校関係者の方々がちゃんと出席してくださり後の会にもゆっくり一緒にいてくださるのには感心する。
学長先生に先生のお部屋においていただいている私の作品を見に友人と一緒に伺うとお話しする。
何とかいう御本にその作品の前で撮られた先生のお写真が出るそうで 今から楽しみ 楽しみ。
本の名前をそのうちご報告します。
同窓ということで 国劇部OBの私たちは中村鷹之資さん後援会に入っている。
今月喜撰に出演ということで仲良しと歌舞伎座へ。
平成7年国立劇場で私たちが助六を演じたときからの仲間。
私は振り袖新造その3くらいだったのが 当日私の前の二人に芸者さんの衣装がきてしまった。 芸者は働かないのが原則とのことで 振り袖新造その一になった私が後半揚巻と意休しかいない舞台に香炉を持って出て行くことになった。
何せ一回しかない大舞台 皆それぞれのことに熱中していて 私は一人 もうそろそろかと黒衣をしてくださっていた京蔵丈に ”私はいつ?” と聞いたらギョッとして”あら あなた どうしたの 駄目じゃない” と押し出された。 もう少しで話の根本になっている刀を意休が抜いても切るべきものがない という喜劇になるところだった。
私は高歯の下駄で中途半端な高さ大きさの品を持って出なくてはならなかったのでただ ただ 転ばぬよう転がらせないように気をつけるのがせいぜいだった。
前半大勢で出て終わりと聞いていた知り合いたちは私が一人で暖簾を分けて出てきたので大喜び拍手を送ってくださったらしいが本人の耳には届かなかった。
さて 初めて新装なった歌舞伎座に入ったが お帰りなさい という感じだった。内部を元のままにしたのは偉い と言い合った。内部探検は次回にしたので一階のことしか分からないが これから余計なものが増えて落ち着きを増すのだと思う。
いろいろなことがあったが 心穏やかに 諦めを懐に入れて前を向かわなければ というのが昔から足を運んでいる人々の感想ではないかしらん。
歌舞伎座が出来上がったところでJalの書のクラスが青山に移ったのであの辺りにちょっとご無沙汰していた。
国劇部員からプロになられた新蔵丈は4月の出番がなくなってしまわれたが 今月は夜の助六の後見。
がんばってくださいね。
鷹之資さんも見る度大きく素直にりっぱになってみんなで喜んでいる。
今バラ園でのブログを見て文章と写真の間の大きさに気づきました。
携帯画面でしか写真を見ていなかったので お正月の焼き網の上に乗った丸餅のような自分だったことに気づきませんでした。
ここにすばらしかったバラの写真を また小山さん経由でご覧いただき 丸餅からの気持ちとさせていただきます。
父にいつもおかぼ おかぼ(カボチャのことです)といわれていた悳子より
土曜日25日にウィンドゥずからマックに変更 試す暇なくそのままにしておき今日火曜日初めていろいろさわっている。 カタカナに変更できません。
メール返信が途中でできなくなって困り果てていたらスイッチを知らない間に切ってしまっていたのが随分たってから分かった。
これに慣れてからiPadにいった方が良いといわれたが 画面が 動く さわると動く というのが 実感。
さて 皆様 私が アラアラ アレー! といっている姿をご想像くださりメールが行かないのをお許し願います。
ほんと あらどうしましょう!
一週間前 5月17日の写真です。
今日が一番 という満開の真紅の薔薇園 香りが写真から匂い出すのではないか と
神田司町の交差点で三グループに分かれて右折してくる神幸祭をゆっくり見物。
おととい 三越に飾ってあったお神輿にお参りをした時 おさい銭箱の隣に おさい銭を入れた人はどうぞお持ちくださいと神田祭 という雑誌が置かれていたのでありがたく頂戴した。
記事を見るともうわくわくしてしまい 友人を誘って雨支度をしっかりして出発。 三時間ほど歩き続ける。
神社の周囲に貼ってある各町内のお神輿の写真を見ても、写真コンクール入選作品を見ても、宝物館の浮世絵を見ても 特別な日に見せる熱気 嬉しさが伝わってきて 気持ちがときめく。
離れたところから聞こえる大音響の太鼓演奏を見に行くと 私たちは千葉の富里から来ました。 スイカで有名です。 とのこと。一切れいただく。 今年一番の味早くも決定!
神楽殿での芸大卒の方たちの長唄、多分リハーサル、も素敵だった。きりっと硬い表情で演奏していたお嬢さんたちが 終了後知り合いの見物客にいつもに戻って花のような笑い顔を見せていた。
お祭りは粋でなくては
写真は交差点をあわててわたる行列。
今日は折角のお祭りが雨でしたが 明日は晴れるようですね。
明日は太田で書のクラスのお祝いの会があります。
クルーニー美術館、中世美術館は修道院跡でこじんまりとしたくつろげる場所。
中世 という名前にひかれてふと訪ねた場所だったので 貴婦人と一角獣のタペストリーを見た時 ここにあったのか と何かホッとしたのを覚えている。
売店でバロック音楽のCDをまとめて買うこともできた。
今年はパリに寄らないのだけれど今日東京で見たので4年続けて見たことになる。こちらでの展示は映像での解説の部屋が二つもあり美しく丁寧な内容でゆっくり楽しんだ。
気持ちの良い季節 良い時に生きていることに感謝
初めて現地を訪れた年に とても目の細かい櫛が気になったので 作る手際に驚いた と イギリスの書のクラスで言ったら ああそれは 虱捕りに使ったのよ 軽く現実を教えられてしまった。
それ以来どうも豪華な衣装の貴人達がかゆい かゆいと言っている姿がふと思われて、、、 困ったものです。
ほんと イギリス人の言う 愛して 憎んで という両国の関係は、、、
兼高かおるさん とお呼びしては失礼とは思うけれど 子供のころ白黒のテレビで画面に飛ぶJalの飛行機にあこがれていた自分としては先生 という一般的な呼びかけではちょっと違う感じがする。
4月26日 六本木のグランドハイアットの開業10周年のパーティーにお呼ばれ、テーブルの向いが兼高かおるさんだった。
番組を拝見して外国に興味を持ったと申し上げると ”それで日本から外に出て活動するといった状態になりましたか?”とおっしゃられた。
お若い時からずっとイメージが変わらず 食事もきちんと召し上がられる。
ある程度の歳になっても ごちゃごちゃ健康のことを言わず おいしそうに食事をすることがマナーと私は思っている。
ひょっとして書いたことかもしれないが グランドハイアットを建設している時 日本料理 旬房 に納める作品の打ち合わせに行って 係の方が入口に出ていらっしゃるのを待つ間 警備のおじさんと話をしていた。
おじさんは 毎晩夜勤でさみしいので釣りに行って捕った小魚を水槽に入れて机の上に置き 眺めているのだ と そこにいる魚の説明をしてくれた。
机の前に屈んで魚を見ながら感心していると おじさんが エスカレーターから会社の人がでてきたことを教えてくれたのであわてて振り向いたら 首をひねってひどい痛みに襲われた。 そして 秘書さんと思っていたのに現れたのは社長さんで 私の初対面のことばは”ウー イテテテ”だった。 ちゃんと着物も着て行ったのに、、、 どうして私は滑って転ぶのだ!
それから10年とは
六本木ヒルズ10周年記念パーティに濃紺の無地の着物に
この写真の刺繍のある帯を締めて行った。
美術館の出口でこの帯を下さった友人が私の後ろ姿の写真をとっていると
出ていらした男性が大変褒めて下さった。
外人に帯をプレゼントしたりしていたらご自分で収集するようになってしまわれたとか。
明治始めの物らしいけれどこんなに良い刺繍で汚れてないものも珍しい と言って下さった。
4月22日朝太田の庭です。古い木に小粒の花がたくさん咲いています。
我が家の桜です。朝8時です。
夏祭を一番前の席で見たと書いたけれど海老蔵丈がファーっとかフーっとか動作の時発する息遣いまで聞こえた。 ひとつひとつの動作を丁寧にしていることもよくわかり好感が持てた。
ふっとした瞬間十一代目の面影がよぎり何とも言えない 不思議な気持ちがする。
血がつながる という不思議さを思う。
3月12日
国劇部の後輩で歌舞伎のプロになっている市川新蔵丈のお陰で 今日は10人ほど一緒に ル テアトル東京で一、二列中央の席で夏祭を観る事が出来た。
殺しの場用にナイロンの風呂敷が配られ、みんなで身構えていたが 一度二席ほど隣の人の前にポチャリと着たくらいで済んでしまった。
昔新橋演舞場で楽の日にこの出し物を花道わきで父と見たときは 水より血糊がひどく そのおどろおどろらしさが忘れられない。
今回新蔵丈は大役、敵役、主人公 団七 の舅役だったがとても素晴らしかった。
以前新蔵丈の講演を聞いて 大変お上手なのでもっとたくさんの人たちに聞いてもらいたいと思ったことがある。海外公演に団十郎丈と一緒にいらした時の弥次さん喜多さんのようなおもしろい話もいろいろ伺った
。大きな損失感を持っていらっしゃるに違いない と お気の毒だけれど この先の市川家のためにしっかりがんばっていただかなくては とみんなで願うばかり
昨日友人と立ち話をしていてサウジに出発するのが来週 とふと 気づく。
数年前少しずつ支度をしていたら出発前に珍しく調子を崩し 用意してあった必要なものを持たずに出かけてしまい困ったことがある。
今回も少しずつ物を出していたけれど 何を用意していたのか忘れる始末。
というわけで 今日はのんびりゆっくり一つずつ荷物を詰めている。
少しでも軽くと単衣にする。
一週間も三週間も 荷物は変わらない。
私は洋服を持っていない ということに気づくが今回はアバヤで覆っているので大丈夫
準備と言えば 中谷巌先生にお送りいただいた 不識塾が選んだ 資本主義以後を生きるための教養書 という御本の中に紹介されている 小室直樹氏の 日本人のためのイスラム原論 を 明日本屋さんに受け取りに行くことになっている。どのあたりでギブアップになるかは解りません
いつも海外にはディックフランシスの本を持っていくのだけれど 今回はジェトロのみなさんがいらして下さるので 安心してまったく傾向の違う本 蛇 吉野裕子氏 を持っていくことにした。これも先ほどの 教養書 の中に紹介されていたもの。神として尊ばれていた蛇、平家物語の中の緒環(おだまき)には九州で平家を見限った緒方三郎の祖先の父親は大蛇だったという話がある。、 アラビアで読むのになにか適していると、、、勘 です。