子供の頃は鰹節やお赤飯の中の小豆など口の中に違和感を感じて あまり好きでなかったけれど このところ美味しいかつおぶしのかかった子持ち昆布などをいただき 開眼。
菊鮨さんで削り器と鰹節を入手していただき けがをしない削り方を教えていただく。
ご主人が使っているものより良い品 とかで 大切にしなくては。
これを受け取りに行く寸前の出先で ”伊勢神宮でいただいた鰹節 大事にしないと罰が当たるので誰かにあげたい”という方がいて ありがたくいただく。こちらの鰹節は太田で神棚にお供えしてから新春に使い始めをいたしましょう。
神話学からみた遷宮 という平藤先生の講演会に出席 満員
ハキハキと解りやすく とても良いお話だった。
中で
天照大神のお話のとき 日本誕生 という映画の写真を示された。
エキストラ人材豊富な時代の映画だったのでそのスチール写真からは今の画像処理で出来た映像の薄っぺらさがなく、むんむんとした群衆の熱気がただよってきた。
当時の映画会社が大宣伝を仕掛けた作品で 日本誕生 という題を書で書くコンテストが有り 入賞 廻り回って太田の映画館に私の作品がが飾られたことを思い出した。本部から何を頂いたか覚えていないが 映画館からピンクのドレスを着たフランス人形をいただいた。
思い出しました! 本部からは何かと一緒にトロフィーが送られてきてそこにかけてあるたすきのような布に書かれた文字の中の日本誕生 という文字が立派だったので子供の私でも自分が恥ずかしかったことを
15日書のデモンストレーションで私が一番最初に
話を始める前にまず一つ作品を書きます。言葉に表すと思っていたことが薄く小さくなってしまうことが有るからです。 と言って 黒い屏風に金泥で 心 と揮毫した。
いたく感激してくださった方が ”日本人の心を解って日本語を話したいと思って勉強しました。” とよどみないきれいな日本語で話しかけてきた。 ただ外国語を話すのではなくその言葉を話す人たちの心を理解しようとする心がけで習う外国語の必要性をあつく語り 私の書いた”心”に自分のこの考えをあらためて実感した とおっしゃった。
少し話そうということになり 昨夜30分の都合をお互いつけることができた。
ロータリークラブの交換留学生で一年を日本の外人のいない地方で生活し、同席した彼女の友人は同じ年伊勢で一年を過ごしたとか。
立派な社会人の年頃になっている同期の人たちとの交流もあるらしい。
若い時の経験がとても生きている人生 ということで話が盛り上がった。
今住んでいるアメリカでは彼女の年頃(多分40代?)の人たちが 美術館 音楽会 などに興味を示さなくなってきている 子孫にそれらを楽しみ伝える必要を強く感じていると力説していた。
交換学生やいろいろな方法が数十年後その成果になって人の世界に役立っているのだ と実感、それを理解できるということは私も長く生きているのだ と不思議な気持ちがした。
幸せなことにスヌーピー展の内覧会へのご案内をいただく。
何かとってもよい気持ちになる大好きなスヌーピーの世界。
長年親しみ楽しんでいることへの感謝の気持ちでこの帯留めをしていきました。
良く出来ていますでしょう?
話に聞いていた群馬県人会に明子ちゃんの附録で出席。敬老パーティーで私の目には出席者の80%がその該当者、と思えたが、そうでもなくて30%程だった。
その中の一人が君平さんという明子ちゃんのおじ様で、いかにもアメリカ生まれアメリカ育ちの雰囲気を持っている方だった。大変美しいガールフレンドとついに結ばれることなく独身を貫かれている。
写真の中央に立つ長男が明子ちゃんのお父様、左端が君平さん。
こんな男の子がいたら天使に思えるのではないか、と見えるが、今でもこの方自身が宝物の様な気がする。
一人旅で長く日本にいらした時も「次々と、一緒に行動しましょう、という若い人達が現れて楽しかった。」と聞いた話はまるで寅さん。
会の途中で、「今、ニューヨークで世界のエンタテイナーNO.1が決まろうとしています。ベスト6に日本のエビナ君が入っています。一位になれば、百万$とラスベガスの舞台が待っています。人民の(というところがちょっとユニーク)投票だけで決まるのです。皆さん、彼、エビナ君を是非よろしくお願いします。」と立ち上がって力説された。
皆様もエビナ君をよろしく。
このいい加減さ 楽しさ
とても人事とは思えない。
でも 自分だけへのおみやげにした方が
“無難”だと思いました。
六日にロスアンジェルスに来て、実家にいるのはこの様な感じなのかといういつもの溶け込み方なので、
まずは御報告しなければという気持ちにならないままに、日を過ごしている。
今日、八日はこれから三女の加代ちゃんが購入したアパートのお披露目に行くところ。
豪華なお刺身の盛り合わせを旦那様が作り、奥さんは引越しそばならぬ、
そば、素麺、つゆ、茹でる器具セット、私からのゴチャゴチャしたおみやげを長い時間をかけて分配、
プレゼント用に整えたところ。
では行って来ます。
久しぶりでロスアンジェルスに小学校の同級生を訪ねることに
彼女はアメリカの強制収容所で生まれ 戦後ご両親と太田に移って小学校を卒業、中学校からアメリカに戻った。
戻る手続きが大変で 東京の大使館に何度も通わなくてはならず まだ赤ちゃんだった妹を私の母が預かったりして仲がよかった。
太田ではお父様が米軍キャンプ、ゼロ戦を作っていた中島飛行機工場跡、に勤め、お母様は自宅で英文タイプを教えていらした。お母様の書かれる英語が美しかった。
鳥の丸焼きを初めてご馳走になった。
アメリカからの荷物があると中のものの彩り香りなどが新鮮だった。
ご両親は英語で会話を、 彼女にストロベリーを持っていらっしゃい と言ったら金槌を持ってきた、とお父様が笑っていらしたことが記憶にある。
さて アメリカに帰りみんなで仲良く働き、子供には教育を、 彼女は洋裁関係の会社へ
私が大学の三年生の時遊びにいくと飛行場に 小柄だけれど力持ちでキリッとした男の人が一緒に迎えにきてくれた。
その彼と翌年結婚 一週間どこにも休みがないというような働き方で日本のもののスーパーをつい数年前まで経営していた。
仕事柄いろいろな事情の日本人たちを見てきている。アメリカ生まれの人 戦後アメリカに渡り幸せになった人、気の毒な人、日本から仕事に来ている人の家族、、、
厳しい状況のとき子供にしっかり教育をさせる 社会でのびていく というのが周囲にいろいろな国からの人たちがいる彼女の実感 と言われる。
母はいつも言っていたが 彼女の旦那さんが元気で 鷹揚で 良い人だからこそ親類以上の様な といってもこちらが甘えっぱなしの付き合いを続けていられる。
では今日から行ってきまーす。
携帯の設定を直していただきに 日本橋docomoへ
お茶を頂きながら待っている後ろの席で 男性客が 息子さんの携帯を自分のものとして使えないか と相談している。知り合いの係の方らしく 大変分かりやすく説明をしているのだが 同じ言葉が何度も出てくる。男性は あなたの説明は分かりやすい と聞いていたが 私は赤羽橋に住んでいて 近くに西郷さんと勝海舟が会見をした所があるのだが あなたは知っているかなあ というところから、 泉岳寺には 義士 だけでなく 誰それの墓も有るのだよ というところまで話が進んでしまう。誰それの のあとは 何と大前田の英五郎 の名前が出てきてびっくり。 思わず 大前田英五郎はやくざで有名な群馬県 私の郷里の人です と話に加わりそうになってしまった。
これからの世の中 若い人たちが忍耐強く年上の人たちの相手をすることになるのだろうなあ と思い どうぞよろしく おつかれさま ありがとう お世話になります といろいろな感謝の言葉が心に浮かびました。
話相手がたくさんいればいいのに 忙しく過ごせる時間があればいいのに
今度又泉岳寺に行ってみよう。子供の頃いろいろなやくざの名前を聞いた中でも大前田英五郎はその名の音が良くて印象的だった。
現在国立博物館で開催中の 和様の書 という展覧会の第一室 まず最初に
これが唐様 和様の書 というのと これが和様 和様の書 という文字が飾られている。 もちろん周囲は全て日本の書の宝物
出所が思い当たらないので 出口のアンケート用紙に出典を教えて下さい と記入してきた。
今日返事がきて
出典をお知りになりたいとのことでしたが、こちらの文字は、特別展 和様の書 の為に二名の書家の先生に特別に揮毫して頂いたものです。したがいまして、出典はございません。
貴意に添えずまことに心苦しい限りではございますが、あしからずご了承いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。、、、
とあった。
なんだかすれ違い という感じの返事の書き方だけれど
あの二種類の書は やっぱり という 当たった嬉しさと 古典のにおいがしない悲しさと と とても複雑な思いでした。
写真は上野広小路駅の壁の看板です。いつも見とれてしまいます。
原典 平家物語 のDVDを作られたハゴロモ社での 平家物語サロンin 神田 へ
いよいよDVD鑑賞会も最終の 女院出家 大原御幸 女院死去 の回
女院死去 97歳の島田正吾氏が建礼門院の史跡でこの段を朗読された後 杖をつかれて寂光院の石段を上がっていらっしゃる映像を見るたびに涙が出てしまう。
今日のワークショップは藤舍呂英氏の鼓
小鼓 大鼓 の組み立てから見せてくださる。
ハゴロモ社長の橘氏が 静寂 を鼓で表現してほしい とリクエストされた.
呂英さんは では 花が音もなくしばらく散って 間があり 花がはっと咲く といった感じで とおっしゃり しばらく考えていらっしゃったが では 情景は何も考えずにやってみます と言い直されて なかなか深みのある演奏をされた。
紐を調と呼ぶそうだが それをきゅっと締める音がとても 静寂を表現するのに 印象的 効果的に思えたので意識して使っているのか伺ってみた。
”良くそこに気がついてくださった” とおっしゃってくださった。バンザイ!
子供の頃大鼓にあこがれ習いたいと思ったことが有るけれど 厳しさが身にしみる感じで言い出せなかった。
小鼓の皮は100年ものの馬 大鼓は勧進帳を二度演奏すると取り替えなければならない牛の皮 と伺って 初めて近くで実物を見ることが出来たので写真を取らせていただきました。
来週二度みんなで 和様の書 を見に行く前に予習をしておかなければ と平成館へ。
宝物ばかり 豪華な会だけれど 分かりやすく親切に並べてあるので全体像が味気ない感じがした。
と 勝手なことを言ったら罰が当たります。
佐理の離洛帖と国申文が並んでいる。
数十年前の初夏の数ヶ月、時間が許す限り2尺×8尺の紙に国申文の最初の部分をルビンシュタインのショパンを聞きながら書き続けたことがある。
子供の頃 ちょっとマッチの先で書いたような字だと思っていたのだが
とんでもない!
と身をもって知ることが出来た。
いろいろな古典を周囲の方たちと勉強してきて ああだ こうだ そうだったのか などとその都度少しずつ世界が広がるような気持ちでいるけれど それにつれて 素晴らしいがために古典としてこの世にある良いものは より輝きを増し より高いところに遠ざかってしまう。
この季節出てくる 星に願いを という小さな籠入りのお菓子があってイギリスにお土産にしてここ数年喜ばれている。
以前Jalの書のクラスは銀座の真ん真ん中にあったので七夕の前のクラスでは書いた短冊を鳩居堂さんの前の竹に結んだ。そのうち竹がプラスチックになって数年たち 建物の建て替えで クラスは歌舞伎座の隣に移り ということで 七夕飾りからしばらく離れていた。この春J何とかに名前だけ替えた教室は本社のある外苑前の建物に引っ越し、クラスの前後に銀ぶらをという楽しみがなくなってしまった。
でもクラスや会社の雰囲気はかわらず青山のゆったり しっかりした建物の中で気持ちのよい時間をみんなで過ごしている。
今日行ったらビルの一階に本物の竹を数本使った七夕飾りが有るのに気づいた。そこにある短冊を人数分いただき 行成の白氏詩巻の臨書をして 帰りがけに皆で枝に結んだ。
言わせていただければ マジックペンで書いてあるものに混ざったとたん 風情が出た。
子供を育てるとき最初から良い器で というけれど うそものの中ばかりにいるとだんだんいろいろな感覚が麻痺してくるような気がする。
当日の子供たちです。
同学年の友人が長年ボランティアで参加しているという雷門前の案内所へ。
昔時間を知らせるかわいいお人形さんが金竜の舞や白鷺の舞を舞ったりしていたビルが新しくなったところ。
道行く人たちがみんなで見上げている景色も良いものだった。
さて 時間があったので洗面所に入ってみた。
扉が重いと聞いていたが 本当に重かった。
観光客はおみやげを抱えている人も多いと思うが荷物をかける器具がない。置けるような場所もない。
出ようとするとさっきは体で押して開けた扉が今度は手前に引くのでさあ大変 厚い金属にコンクリートをかぶせたようなものなので レントゲン室に閉じ込められたような気持ちになってしまい 気合いで引くと今度は狭い洗面台との間に挟まれてしまった。
おデブちゃんはお気の毒!
洗面所にそのお国柄が出るものだけれど 清潔 テキパキ ゆるみがない といったところでしょうか。
去年のブログにはスバースデーケーキの上を飾ったヌーピーのお盆のようなかわいいプレートなどいくつかの写真をのせたけれど 今年は何か有るかしら と思っていたら
半年位前に思わぬところからお話をいただき書の勉強をご一緒させていただくことになったクラスの方々が たまたま食事の会を設定してくださった。
幸せなことにブログを読んでいてくださった方がいらして 皆さんで誕生日を祝ってくださった。
歌舞伎座や大磯の吉田邸を設計した方が作られた立派な料亭さんで 大広間の見事な秋田杉の天井、お茶室など 見せていただいた。
昔胸部疾患会議の婦人部の会で吉田邸でお昼をいただき中を見せていただいたことがあった。
初恋の人のお家と思うと何ともいえない気持ちがしたが今になるとお庭の緑と船の形の湯船だけが記憶に残っている。
今日伺った日本建築の中で 何となく なくてもよいものが何気ないところに丁寧に作られて存在していることを再認識した というのが我等の感想でした。
写真はお店のおいしいお酒を手にしている本人です。