今朝日本橋で玉三郎丈の映画 日本橋 を見る.
丁寧に丁寧に作られていることがよくわかる。
着物の裾が畳の上でたてる音を久しぶりで聞いたような気がする。
一場で ”春で朧で御縁日” という台詞を聞いたとき 大学一年頃鏡花の古い本を家から持ち出し読んでいたこと 中でもこの言葉が気に入り 一人よい気持ちで 抑揚をつけて口にしていたことを思い出した。
みっともない ことを嫌って生きる人たちが多かったのが日本人 と最近とても人が増えた日本橋を歩きながら考えていた。
さて
夕方 ロスからの三人のお客さんをパレスホテルに迎えに行く。
ユニクロに行きたい キティちゃんの歯ブラシを買いたいということで 二人をユニクロに 銀座の三越にはキティちゃんはないが西銀座デパートにあるというのでまたまたおまわりさん達の間を通って銀座通りを往復、ぐるっと回った道すがら子供用の浴衣まで買う事が出来て三人は大統領と同じ銀座にいた事も合わせお土産話が出来たと大喜びだった。
昔ロスにいる日系の方達が私の大きな作品を現地の領事館に寄贈してくださった。
ちょうど谷内氏が総領事をしていらして 現地の日系人の方達にとても好かれていらした。
領事館に父と私をつれていってくれた友人にいつも思い出し笑いをされるようなことを例によっていろいろしてしまったのだけれど書くと長くなるのでカット、
今考えると谷内氏が優しい方だったと思うのは ”私がどなたかにお目にかかるときは大体周囲の人たちのネットワーク内でご紹介いただけますのに谷内さんにはどこからも繋がらなかった” と面と向かって不思議な顔をして言い始めたら ”谷内さんには” あたりから ”つながらなかったのですね”とにこにこしながら話を続けて下さったその自然な態度によってだった。
その方が 大統領とご一緒にお寿司を召し上がっていらっしゃったと思うと不思議な感じがする。
4月8日
平家物語のDVDを作られた橘氏にお誘いいただき 御殿山ヒルズのマリオットでのロータリークラブ観桜会へ。
まだ美しく咲いている大島桜や咲き始めた八重桜をお庭で楽しんでから平野啓子さんの語りを
瀬戸内寂聴氏の しだれ桜
橘氏は これを聞く度眠れぬ夜を過ごす と講師紹介でおっしゃる。
学生時代大人ぶって何作か読んで以来瀬戸内寂聴氏の作品に近づいたことはなく しだれ桜 も知らなかった.
ざっくばらんな前置き、解説から物語に入った途端 場の空気を締め、40分間以上客の気持ちを引き込み掴んで離さない演者の力はさすが。
平家のDVDで平野さんは 祇王 を担当。
全巻の中でも目立った佳作となっている。
橘氏に平家物語の奥深さを教えられたのが宝になったとおっしゃっていらした。
スピーチをした方の一人が日本桜の会のことをお話しになり 懐かしくて思わず 私 二代目準女王です といってしまった。
考えないで行動するスペイン人的血が今日も又出てしまった.アレー!
府中の市長さんを長く勤め 市のためになることをたくさんなさった国劇部先輩の野口氏が府中の顔としての平野さんを応援していらしたこともあり おかげさまで平野さんと直接お話させていただくことができた。
我が家の菩提寺太田の受楽寺に平野さんが講演にいらしたことをお話しすると浄土宗なので法然上人の会で活動していらっしゃるとか
私が書かせて頂いた山額の写真をお送りすることになった。
ということでこの記念写真です。
3月29日 新日本フィルハーモニー 新クラッシックへの扉
今日はブリテン青少年のための管弦楽入門 とドヴォルジャークの新世界より。
新世界より を聞くと 西部劇 荒野の決闘 の舞台になった景色を思い出す。
マイアミでの国際学会の帰り”車は運転するのでそちらに一緒に行かないか?” と今思えば何とも素晴らしい申し出をしてくださったご夫妻がいて 砂漠 荒野 を堪能した。
”恋はフェニックス” アルバカーキーに僕が着く頃あの子は、、、フェニックスに僕が着く頃彼女はやっと隣に僕がいない事を知って、、、という甘い曲が流行っている頃だった。
西部劇の舞台を訪ねる前にアルバカーキー近くの原住民保護区で医者をしている方の家に泊めて頂いた。
お酒に酔った保護区住民がしょっちゅうハイウェイで何事もないように車にはねられ、 お土産屋さんに入ってくるとひどい態度であしらわれていた時代だった。
お医者さんは ”診療所でしっかり働いてくれている人たちもいざ生き死にになるとまじないに救いを求めるので彼らを指導している身としては何ともやりきれない” と嘆いていた.
さて 今日の新世界より はアメリカが年をとったのか 私が老けたのかは知らないが、 日本のうすピンク 少し薄茶の土ほこりも混じった春霞の紗を透かして 広大なアメリカを見ているような気持ちがした。
優しい感じの指揮者の方はアンコールにスラブ舞曲の10番 と2番を演奏してくださった。
小学生の時父が初めて私のものとしてのレコードを東京で買ってきてくれたのが アルルの女のLP とスラブ舞曲などの入ったドーナッツ版、 もう一枚は 万人好みの何か協奏曲だった。
”アルルの女”は目が覚めるような素晴らしい美女のレコードジャケットに父が一目惚れしたに相違ない。
スラブ舞曲のジャケットも中年の魅力一杯のハンサムな指揮者のものだった。
余韻に浸りながら徒歩10分で自宅に帰る事が出来るこの幸せ。
3月19日
叔母の祖先が日本刀の名工 源清麿を世に出した師匠,窪田清音だということで 案内をもらい根津美術館へ。
刀匠といえば太田市に人間国宝の大隅俊平先生がいらした。お家がそのまま記念館になり市外からの愛好者が訪れる場所になっている。
私は20代だったと思うのだが 太田市に社会教育センターというのが出来た頃で、我が家の天心書道会の展覧会の準備か打ち合わせに父とそこの事務所にいた時 大隅先生の第一回の個展のための立て看板を市役所の方達が書こうとして寸法出しに大変時間を費やしていらした。
後から聞いたところによると 厳しい大隅先生のところには皆恐ろしがって出来るだけ近寄らない 御用がすむとほっと安堵の息を継ぐ というのがお役所内でのもっぱらの話だったらしかったのだが もちろんそのようなことは私の知るところではなく
私でよければ書きましょう と気楽に書いてしまった。
先生は喜ばれてにこにこしていらした。
数年前未亡人になられた奥様に先日久しぶりにお目にかかった際、 奥様も看板書きの時現場にいらしたとかで その第一印象が強く 私のことが忘れられなくなった とおっしゃられた。
以前伊勢神宮の宝物館の係の方が大隅先生の刀は素晴らしいと案内してくださる途中でおっしゃったのを思い出す。
縁あって知人の紹介で先生の刀がオマーンの国王殿下にお嫁入りした事もある。
刀との縁は博物館で見る以外はそのくらいしかないが今回の 清麿展はポスターなどに使われた 清麿 という文字が何とも言えない味わいのあるものなので親近感を覚えた。
先に山本兼一氏の清麿に関する小説から入ってしまったので酒飲みの天才刀工のイメージが出来てしまっていたところ タイトルの文字を見て感じた 清潔さ、清純さ、甘い魅力で どんな人だったのか楽しく思いを巡らせるようになった。
会場に置かれた刀は今まで博物館などで見ていたものとは雰囲気が違い これは何だ と思ったら お師匠さん すなわち 窪田清音 が 切れない刀は刀ではない と言ったことで開眼 と書いてあった。
好きになったサインの実物を探して首を直角に傾け見て回った。
角があるところに刻してあるので見分け辛かったけれど 多分これに間違いない と思ったものの説明に 源清麿銘の第一作 とあり妙に嬉しく納得するところがあった。
携帯で写したチラシの 清麿 ご覧下さい。
13年前に開業したホテル日航熊本に次の年二回続けて伺って以来そのままお正月の干支の軸のみのおつきあいが続いていた。
去年ホテルを会場にした大きなイベントが続き その為に立ち上げの時のトップの方がまたそのお席に戻られたらしい。
何はともあれ懐かしい初期の皆様にお会いしたく 忘れられない美味しい食事を頂きたく 意味が分からないまま気楽に誘いに乗ってくれた友人と一緒に出かけた。
空港からバスに乗ったとたん伺ったのは去年の事だったのではなかったか という変わらぬ懐かしい風景だった。
暖かくもてなされるというのはこの事 という嬉しい時間について話しだすときりがないので 感謝しつつ 飛ばして
次の日天草に行きイルカウオッチングの船に乗り もやで周囲が何も見えない有明湾の上で次の展覧会に想いの何を中心にするかについて想いを巡らせた。
前からこれ と思っていたが なかなかまとまってこなかった。
もやの中で船が立てる波を見ながら 頭の中のなにか をこれもゆっくりもやのなかにひたして 自分をせかさず 考えるのではなく 思っていたら何となく筋道がついてきた。 この旅でたまたま感じたり聞いたりしたことがこのまとめのヒントになったようだ。
自分にしか解らない文の書き方をしてはだめ と子供のとき母によく言われたけれどこのもやについての文はまさにそれで みなさますみません。
11月の展覧会場で皆様に あの時ごちゃごちゃ言っていたのはこれだったのね と思って頂けますよう 気持ちの伝わる書作展になるように これから相務めます。
ところで 弾丸バス旅行の目的だったイルカは 大変たくさん姿を表し 最後には船が作る波に二列になったイルカが乗るところを長いこと見せてくれた。
たった一泊の熊本往復 ホテルで美味しいものを というだけの目的の旅で天草でイルカまで見る事が出来たとは 驚きました。
ホテル日航熊本の和食堂 弁慶 のなかの書の作品は私のものをお使いいただいている。
オープン当時に二度伺って以来 本当に久しぶりに 干支の”馬”を見ながらホテルを訪ねる事にした。
父と訪ねたときホテルの皆様があまりに良くしてくださったので 父も大変喜びそのときの事は 今でもとても良い思い出になっている。
島田美術館は思いのほか寒かったのでアフリカの絵画のような柄の厚手の大判ハンカチを求め父の首に巻いた事とか 前年アメリカの空港で五輪の書の英語版を買ったら表紙が赤穂浪士だったことを館の方と話したことなど 今でも使っているそのハンカチを見る度思い出される。
ただ一つ 今こうして書いていて思い出してしまったことがある。
ホテルの隣の美術館でのこと 楽に動き回れるように父は車いすにのっていた。
美術館も新しく出来たばかりで出し物にも力が入っている時期だった。
若手の美術家の人たちの部屋で 次の部屋に行くのにどうしても通らなくてはならない所にヨーロッパの有名画家の絵が床に敷き詰めてあった。父も私も次に続く他の作家の展示を見続ける為にはその絵を越えて行かねばならなかった。
二人とも人の絵を足で踏む事を拒否して父は車いすから降りお互い端を伝い歩きするようにして次に進んだ。
もし過去の偉大なものを踏んで進む事に意義を見いだすのなら自分だけで好きなようにするべきだし他人に作品を踏ませたいのならまず自作をそこに置くべきだったのではないか。
と あのときの不愉快な思いは今でもその現場にいるようにカーッとさせられる。
さて 今回は天草日帰りが可能だとかで 楽しみにしている。
遠くて天草でイルカを見るのは無理 と思っていた私が 提案者に ”イルカは食べられないし、行かなくてもいいや” と言ったとかで、例によって本人は忘れているのだけれど、そちらの家族では大笑いをしたらしい。
では
今日初日のラファエル前派展へ。
昔ロンドンで買ってきたロセッティが描いた女性達のカード、 なかなか使えず置いておいたので今日彼女達の絵が飾られた部屋に入ると懐かしく豊かな気持ちになった。
会場内の説明ビデオで ロイヤルアカデミーオブアーツ の名前がたくさん出てきた。
その会のパトロンの方達の前で書のデモンストレーションができたと思うと嬉しかった。
サウジアラビア、ファイサル王子が書かれた物、熱意という意味。
会場の風景
1月8日
四谷の大和日英基金のオフィスで奨学金を受けて日本にきているイギリスの学生6人に書き初めをしていただく。
日本に来て3が月ほど。筆を持つのは皆初めて。
選抜されてきている人たちだけあって飲み込みが早く粒がそろっている。
別の意味のリラックス状態では困るので ”日本の子供は字を習う為ではなく集中力をつけ、学ぶというマナーを身につける為に書を習うのだ” と本当は今の世の中に言いたいようなことを言って驚かせる。
噂にきくと 世には 自分が解らないのは教え方のせい と組織の上に文句をつける人がいるとか。
そんな存在を生み 許す世も情けない。
なんだか かっかしてきたので やめよう。
正月 を普通の字と 空海の字とで習った様子をご覧下さい。
1月6日
頂いてあった切符 気づいたらこの草乃先生は私が2012年の夏エジンバラで書展をさせていただいた前の年に同じセントジョンズ教会で刺繍の展覧会をされたかただった。
総領事館にも大きな作品が置かれていた。
会場に飾られた写真の中にその教会の祭壇に関係者一同が並んだものがあり懐かしかった。
1月5日
上野の国立博物館へ
随分の人
久しぶりに太田の近くから出た大きな馬の埴輪を見る。
中学の教科書に出ていた。
昔誠次さんは群馬には国宝がない とばかにしていたけれど今は何かがあるはず。
あまりたくさん埴輪が出るので建築関係者は時に ”見なかった事にしよう” という事にしたこともあった とか
そのうち写真をいれるが すっきりした良い男ぶり に見える好きな品。
元旦
今年は湯島の天神様に初詣。
昨日太田でお正月のお飾りをしてから両国へ
以前はこれもあれもと買ったものだが それは家族 腕力があってこそ。 それでもクロークで預けておいたバッグにデパートの袋一杯そのままを入れかねていると親切な係の方が お手伝いしましょうか?と
”ごぼうの頭がつかえて入りません” と答えると”中のものを整理してからの方が良いかもしれませんね” とごもっともなご指摘
パンパンにふくれたバッグを見て その方が ”やあ 見事に入るものですね”とにこにこして感心してくださった。
さてそれから菊鮨さんにおせちをいただきに
いつもの大正時代のみすぼらしいお重が見当たらなかったのでもっとみすぼらしいプラスチックの小さい二重のお重をお預けしたところ これでは数の子が入りません とのことで その後出てきた大正を届けたら 何と三つ全部にいろいろつめてくださった。
去年までは家に帰ると誘惑に勝てずすぐ頂き始めてしまったが 今回はずれないようにとラップでしっかりくるんでくださったので 我慢しています。
そのうちその写真をごらんいただきましょう。
食べ物の話で暮れそうです。
反省
来年 書き初め展は太田市まちかど美術館で 12、13日 10時から
イギリス ハイアムホールでの講習会は7月27日から8月1日
銀座鳩居堂さんでの蘭の会は11月25日から30日
です。お待ちしております。
今までのように今年も皆様にとても助けていただきました。お礼申し上げます。
良いお年を
あるクラスで粘葉本和漢朗詠集を書き初め展に臨書することに。
槿 という部分を選んだ方に 私がたまたま前に読んでいた 利休にたずねよ の中で大事に扱われている詩がそこにあることを伝えて本をお貸ししたところ、思い入れができ特別な気持ちで勉強ができたと喜んでいただいた。
書く字 と気持ち という点では
体は一生懸命その文字をしっかり書こうとしているのだが字の周囲 背景 また思ってもみなかった関連を感じて、体は筆と紙 墨の感触を持ちながら、心が浮遊することがある。
何とも言えない複雑な不思議さでそれまでとは少し違うものが出来ることがあるのだけれど いつも とはいきません。
12月17日
渋谷オーチャードホールでストラディヴァリウス&N響チャリティー コンサート。
指揮者の井上道義氏作成のプログラム。11列の真ん中で奥様の隣という良い席を頂く。
誠次さんが代々木に出来たばかりのNHKの診療所に週一回行っていた関係でN響の音楽会に招かれ こんな上手で乱れのない楽団があるのかと驚いたことを思い出す。
ここしばらくN響にご無沙汰だったので 安心感が懐かしかった。
プログラムにコメントを寄せられていたので多分いらしていらっしゃると思ったオーストリア大使に休憩時間お目にかかることが出来た。
前回の書のクラスに仕事で来られなかったことを残念がっていらした。
その前のクラスで色紙に上手に書かれた作品があるので太田での書き初め展にお出しいただくと申し上げると 明日から本国に帰るが書き初めの時は日本に帰っている予定なので他に用事がなければいらっしゃりたいとのこと。
皆様太田まちかど美術館で1月12日 13日10時から開かれる書き初め展にお出まし下さい。65年ほど前父が始めたものです。