昨夜 あっと思い出し 父が元気だった頃のサライ2001年新年号に挟んである宝船の絵を枕にして休む。
何度か映像が出てくるが イメージとしては残らず 違う 違う と頑張って、、
きちんと出てきたのが 綺麗な はっきりした目で正面を見据えた赤い鶏冠の鶏の頭のアップ
これは忘れられない
今年これからの元気付け
日の出る前の空の美しさを楽しみながら皆様に新年のご挨拶を
去年ウィーンでの書のデモンストレーションの時 ウィーンフィルハーモニーの団員の方が大変興味と親近感を持ってくださり 今年の東京公演でお会いするのを楽しみにしていた。
病気になってしまいこられないとの知らせでがっかりしていたところ 今日のサントリーホールでの公演に私を誘ってくださる方がいて 軽食 飲み物 お土産付きの豪華な演奏会に参加することができた。
会場で プログラムを手に写真を撮っていただき その来られなかった演奏者に送った。
指揮者のズービン メータ氏はよくビデオで見るカラカラの三大テノールの時より随分お年を召されゆっくり舞台上を歩いていらっしゃった。
音に深みと厚みがある。
打楽器 太鼓もシンバルも真面目に出す以外の音にゆとりがあり小さくても大きな響きになる。
真面目でなくゆとり と言うとちょっと崩したものになってしまいがちだが それとは全く違うもので 基礎を叩き込んであれば芯があっての揺れとなってでてくる。
実は ’二日続けて音楽会に行ってその違いに驚き、 良いものは手を抜いていない。 何時も書のクラスで言われていることと同じだ。 と実感した’ という方の話を聞いたばかりだったのでよりしっかりと心に響いたのかもしれない。
ちなみにその方が感動した二晩目の音楽会 というのが昨夜のウィーンフィルだった。
中学校の音楽の時間 演奏が終わる 音の亡くなる瞬間が美しいのです と教わったが その素晴らしかったこと。
モーツァルトを聞きながら ウィーンの彼の家 そこから歩いてすぐのステファン寺院 石畳 その上を行く馬車の微妙な響き などを思い出していると 現地の人に実感として伝わっているものがあってこその本物なのではないか と思ってしまった。歌舞伎をどう上手に演じたとしても やはり外人ではおかしなものになるのではないか。 万国共通の音楽でもどこかに限度があるのではないか と感じてしまう。
文楽 一谷嫩軍記
各段熱演
開場50周年の大きな看板を見て 国立劇場が出来た年、二階の一番前の席で 割と大きい地震に遭ったことを思い出す。
そういえば 開場準備をしている頃 ある歌舞伎の会で蟹助さんに ”今度できる劇場では ガサガサ音のする袋に入った食べ物を売らないで欲しい” と言ったら ”若いお嬢さんなのにいいことをおっしゃいますね。” と褒められたことがあった。
圻の音が入りこちらは舞台の世界に入る心づもりをしている時 幕が開ききるまで寸暇を惜しんで日常会話をしているような人が周囲にいるとカーッとする。
9月1日
九團次の会 というのに市川新蔵丈が助演されるというので浅草公会堂に。
井上ひさしの義士残花抄ーそれぞれの忠臣蔵ー と舞踊太刀盗人。
新蔵さんは口跡が良く舞台の要になっている。
教えたり 地方公演などで9月から12月いっぱい休みなし と先日後援会に出席した時話していらしたが 歌舞伎の役者衆が擦り切れてしまわぬよう望むばかり。
9月4日
人身事故で乗った電車が北越谷で運行取りやめになってしまった。
同じ車両に乗っていた日本語がわかるアメリカ人がとても汚い間投詞を吐いているのでどんな顔かと覗いたら やはり と頷ける風貌だった。
映画 テレビの画面では耳にしても実際に聞くのは初めてなので そのイヤーな感じが実感できた。
家に帰って運行情報を見ると下の方に色々な感想が、、
全部が運行会社を非難している。
悪いのは原因を作った人であって 会社はいい迷惑をしている 被害者 なのだとどうして思わないのだろうか?
文句を言っても安心な相手に対してはここぞと大きな顔をする小物ぶりはいただけない。
8月19日
秋田県立美術館で藤田嗣治の大作を見る。
描きあげた作品を蔵を壊して外に出しそれを入れるために建てたという建物から最近新築したこちら 秋田県立美術館に移したと聞く。
引きが足りない。
年をとると視野が狭くなる と言われてしまうかもしれないが ドアから1.5メートル位後ろに下がった所でやっと畫全体の各部分がそれぞれの主張を平等に見る者に伝えてくる と私には思えた。
廻廊のように張り出した所から見るようになってもいるが高過ぎる。
なんとなく入口に広い場所を取っている螺旋階段を目立たせるために作った建物のような気がした。
注文主がこの絵の中に描かれているそうだが、現状をどう思っているか
以前この絵が置かれてあった建物
8月3日
時間ができたのでウフィツィ美術館3Dの映画を。
1971年アメリカで知人にもらった当時のベストセラー ’ヨーロッパ一日5ドル’ をバイブルにして誠次さんとアメリカの帰りにヨーロッパの12カ国とイギリスを廻って歩いた。
’イタリア人の調子の良さに騙されてはいけない’ と素朴な人の良さに溢れ、ヨーロッパにコンプレックスを持つ人が多かった当時のアメリカの人達にさんざ脅かされていたので
珍しくフィレンツェの駅前でタクシーに乗った私たちは 若く大変ハンサムな運転手さんが ’ああ このホテルなら大丈夫!’ とパッと走り出した時 ’さあ 怪しいぞ’ と思ったものだった。
夕方下に降りてみるとホテルのオーナー一家と一緒に彼が食卓を囲んでいた。ホテルの名を見た途端に行先がわかったのも道理だった。
ルネサンスと同居しているような街は落ち着いていて行く先々で本物に会える幸せを十分に味わった。
ウフィツィ美術館 の名前は忘れていたが 今日映画を見てゆっくり見て歩いたところだったと思い出した。
まず何を記憶するか、できるか が能力の差なのだと思えて 私は残念なのだけれど 例えば そこ
ウフィツィ美術館では 制服を着た守衛さんが 私に ’このバーを跨いで出て行って構わないからそこのバルコニーからの眺めを楽しみなさい’ と嬉しいことを言ってくださった。私はこの親切な計らいばかりを覚えていて 楽しんだはずの町の景観は霞の彼方になってしまっている。
7月15日
時間の関係で本番に参加できないのでせめて事前レクチャーへ
今日はレスピーギ リュートのための古風な部局とアリアより第3組曲
そして 組曲 ’鳥’
とヴィヴァルディ ヴァイオリン協奏曲集 四季
レスピーギ が勤め先の図書館に眠っていた古曲を元に作った作品で いわばリサイクル楽曲 と説明される。
それでみんなに懐かしさを持って受け入れられるとか
お伊勢参りのようなものかしらん
ヴィヴァルディ は世の中に溢れている 四季 の作者なのに訳のわからない葬られ方をした哀れな作曲家 と昔ラジオで聞いた知識しか持っていなかったが
世の中に溢れていたのは1950年代の終わり イムジチ が出したレコード対する反響で ちょうどその盛りに居合わせた ということらしい。
バロック音楽が70年くらい前からやっとみんなに聞かれるようになった という話にびっくり。
生き生きした感じが好ましい とずーっとバロック音楽のことを思っていた。
古いものは今の流行より新しいものでもある と私の師匠が 今風に流されることの短略さを告げていたことを思い出す。
フランチェスコ トリスターノ という若い演奏家
トリフォニーホール 新クラシックへの扉。
私の席は 3列上手通路際なので演奏者の顔が見えるのだけれど 今日は演奏者に向かい右前の足が舞台際から10センチ 先の足が 40センチくらいという観客の目の前にピアノが置かれていたので、
ピアニストの顔も見えるが 天板にピアノの内部が映り その天板に当たる音がちょうど私の席に跳ね返り 直に全身に降り注ぐ といった感じの至福の時を過ごした。
一人で聞いていたら一緒にリズムをとって動いてしまうようなバッハだったが アンコールの曲は乗りに乗った演奏で聴衆を巻き込んだ。
ピアノから出る音がまとまっているのに一つ一つははっきりしている まるで淡墨で書かれた力量のある書作品に見える線 といった感じがした。
CDにサインをしていただき 掲示されたアンコール曲の題名を見たら 作曲は本人 ラ フランシスカーナ とあった。
アンコールといえば音楽会最後のアンコールの熱気も素晴らしく大盛り上がりだった。
バルトークのルーマニア民族舞曲。
東京国際フォーラムでの アートフェア東京2016 に知り合いの方が 30年以上かけて集められたというトラヴェリング.インクウェルを展示されたので拝見に。
初めてそういうものを見せていただいたが 大変興味深い 贅沢なものだった。
嗜好品ではないので 違う系統のものとは思うが 昨年の夏 ワーズワース美術館の中の図書館でキューレータのジェフさんに見せていただいたヴィクトリア女王がワーズワースに贈ったインクウェルと羽根ペンのことを思い出した。
大変繊細な小さい羽根ペンが インクウェルとセットで銀細工のケースに入っていた。
予定ではこのあと目黒雅叙園の百段階段での生け花展に回るつもりだったがちょっと気持ちの切り替えができない感じだったので マリオンで映画を見て帰ることにした。
64 前編
久しぶりにしっかりと大掛かりに作った日本映画を見た感じがした。
実感のある男性役者がたくさんいる良い時代になってきたのかしら。
群馬が舞台で これが群馬 と納得する景色だけれどエンドロールにも太田の名は出てこなかった。
県は違うが隣の足利の織姫神社が大変良い場面で美しく映されている。
山があって川が流れて、、
両方の市の病院で働いたことのある誠次さんはいつもその違いについて私をからかっていた。
ポストまでしか出かけないゴールデンウイークを過ごす。
以前は 部屋の中が すぐに反古でいっぱいになったけれど ここ数年 一枚書いて それが乾く間待っていられるようになってきた。
いろいろなことが時が経つに連れて変化することを実感している。
焦らなくなるのは ただの鈍化 だったりして
ウクライナ とモスクワのこともそのうちに
世田谷美術館へ。
前の多摩ナンバーの車が休日専用らしく動きが悪く 美術館に12時数分過ぎに着いたらもう12時から配布の講演会入場券は無くなってしまっていた。残念!
展覧会会場はもの静かで頭脳明晰風な人々で溢れていた。
見応えのある展示で 少し端折った後半中心にもう一度見に行かなくては と思う。
題字を 力のある 一流の芸術家の方に書いていただいている。
長い歴史にぴったりの味わいがある。
思い出すのは 最近新聞の一面を使った大企業グループの、、賞の発表の記事。
いろいろな分野の功労者の方達がその賞を受けているが この文字での題字が刻まれているトロフィーや 賞状は辞退します という人が出てきてもおかしくない と私には見えた。
以前 意気揚々と船出した新党の名前を見て この書風の字を旗印に進もうという人たちでは先が見えていると思ったことがある。
どうしてそこに意識をはらわないのか 比べるものが自分にはないのか 不思議だった。
しばらくしてその政党はあえなく空中分解してしまった。
先立つ者にものを見分ける能力がなければ流行に流されるだけ ということなのかもしれない。
以前ウクライナ大使夫人として書を一緒に勉強してくださっていたオレナさんはずっと いつか私にウクライナにきて欲しいと言って下さっていた。
この度個人旅行としてウクライナに私を誘ってくださった昔からの友人がいる。そして その友人に誘われた、 と言うか 二人で行く、 と友人が話したら ’ボクも行きます。’と名乗りを上げてくださった男性がいて 結局3人での旅になった。
と言うわけで キエフに行きます とオレナさんに連絡すると 私のメールを赴任したばかりのオーストラリアで受け取った という返事が、、、
知り合いに頼んで会場を設定するのでデモンストレーションをして欲しい、 とオレナさんが現地の方たちに働きかけてくださり 大使館主催と合わせて5回の実演をすることになった。
イギリスと違い 行ってみなければ様子はわからないが まあどうにかなるでしょう。
ブログで上手に伝えられると良いのだけれど 連日着物で動いて喋って という予定なのできっとばたんきゅうの日々になってしまいそうな感じがします。
では 行ってきます。
寒い国への旅は初めてなので どうも荷物がまとまらない。
ちょっと寒いと 現地ではもっと寒いのだから と不安になる。
やっとスーツケースの蓋を締めて送り出し,諦めがつき,空間もでき 疲れも出てしまう。
ウクライナ モスクワ 広いところに行って深呼吸してこよう。
キエフでは 連日デモンストレーションなのでほとんど着物で。
あちらで待っていてくださる方たちがいるのは嬉しいことです。
これであちらの紹介をご覧いただけます。
http://www.destinations.com.ua/events/ozawa-sensei-in-kiev
出先で時間があったので COREDOで ”5時前に終わる映画がありますか?”と尋ねると ”4時40分に終わるものが今予告編が始まったところです。 が、、、 私もまだ見ていませんので なんとも言えませんが、、、 大丈夫でしょうか?、、、”と何か口ごもっている。
”エグザイル の記録映画で、、、” と
こちらは時間を過ごす椅子が欲しいので ”大丈夫 行きます。” もちろんエグザイルは知っています。とは言わなかった。
三代目エグザイルが東京ドームでのコンサートを目指し そして成功 という内容だった。
会場を埋めた女の子たちがみんなとても可愛い。
自分が相対する人たちが全員笑顔 という会場にいることで性善説が身についた、自分がどんどん変わってきているのがわかる、
他のメンバーと自分を比較していたが 自分を磨いていけばそれで良いと思うようになった、
何気なく話すグループのメンバーの言葉は とても素直に心に浸みるものばかりだった。
切符の窓口のお姉さんに ”心配してくださったけれど とても楽しみました ありがとう” と報告をして 外へ