8日 9日 太田市 まちかど美術館で 恒例の書初展です。 お近くの方は 是非お出かけくださいまし。
以前は 社教センターという丘の上にある建物を会場にしていたが 一往復で精一杯だった。
まちかど は家から歩いて数分なので 数え切れないほど 行ったり来たりして二日間を過ごす。
写真を見ると年々良い作品が並べられるようになっていることがわかり 嬉しい。
今回は 書譜 を35人で二行ずつ書いたものを どこに飾るかをまず考えなくてはいけない。
7Cに書かれた書論に 良いものを見ることがまず第一 とか 流行を追ってはいけない とか
我ら天心書道会の指針にしている考えが書かれているので とても親近感を持っている。
さあ 今年も 一緒に元気で 嬉しい 良い年に という日々が始まります。
100分待ちの絵画は 時間がないのであきらめ 北京故宮博物院200選を見てから 本館へ。
元永本 の素晴らしさに酔う。
大昔 初めてしっかり京劇を見た時 隈取りの下に人間の顔があるという意識がない
と思ったことを思い出した。
この休み この休み と思っていたのに 時間がどんどんたっていく
今年は あれも これも と頭に思うだけで ことを運んだつもりになり 疲れてしまう という 悪い癖をどうにかしなければ
どんな 初夢を見るかしら?
写真は 太田の庭の桜です。
菊鮨の細井さんが 私の家の古びた 貧弱なお重に詰めて下さった おせち
開けてご先祖様に報告 そして
皆様ご想像の通り 私は 感謝しながら勝手に二日早く 嬉しいお正月を迎えてしまった。
朝)間に合うか とドキドキしながら出かけたら ポストの前に車を止め荷物の整理をしていた郵便やさんに持っていた小包を渡すことができた。
60年代 アメリカで 配達をしている郵便やさんに ”待って 待って” と手紙を手渡しできることをうらやましく思っていたが このところ こちらでも 気楽に 人間ポストになってくださるので嬉しい。
昼)朝から ”今日はハンバーグ 今日は ハンバーグ” と呪文を唱えていたので 大満足
その後) シャトルバス乗り場で10年以上ぶりに会ったホテルマンに ”前より 元気で 若くなった” と言っていただく。
誠次さんの49日の日の印象が 彼の目に残っていたのかもしれない。
ロビーでの第九合唱を耳にしながら)誠次さんは良い時代の三越に週一度の医務室勤務をさせていただいていた。
大店とはこういうものか という暖かい扱いで 私を助けて下さったことにいつも感謝している。
両国のアパートのドアを開けると ライトアップされた スカイツリーが見える。
形に合う 大変品の良い光の色で この先が 楽しみ
明日のお客様への食料品を買って少し時間があったので 教文館へ
二階の階段前の棚にその時々並べられる本を眺めるのが楽しい。
東京駅前の丸善の一角にある。。本舗も楽しい。 こちらは入口にあった軸がなくなってそれまでのようにそれを見ながら 心の中で ウーッとうならずに中に入れるようになった。
教文館で今日求めたのはケルト神話の世界、和田芳恵先生のひとつの文壇史、伊吹和子さんとおっしゃる方の めぐり逢った作家たち
二年の時和田先生が女子高の講演会にいらっしゃり樋口一葉のお話をしてくださった。
その時 ”今日は皆さんに珍しいものを見せてあげましょう” とおっしゃって 一葉が使っていた 紅を 着物の懐からお出しになったのを覚えている。
こう書いていて思い出したが その二年あと 金田一京助先生が同じ講演会にいらして 校長室にあった私の書をご覧になり ”いやー 近頃は 女学生でもこんな作品を書くのですかねー” と、後からその場にいらした国語の先生に伺ったことによると おほめいただいた とのことだった。
めぐり逢った作家たち は一気に読んでしまいそうなので はしがき だけ読んで あとはとっておかないと 明日の準備ができない と思っているところ
谷崎潤一郎 の口述筆記を 又、当時の大御所の作家たちの担当を中央公論社で という方らしい
文壇 文士 格の違い ということが はしがきからだけでも 漂ってくる。
近場に直木賞をとりたい という人もいるけれど 私だったら あの人が撰者にいるのなら その人に自分の作品をどうだこうだ言われて 審査などしてもらいたくないのが現状 と思うのに と不遜なことを考えてしまう。
伊吹さんも 書いておかなければ というお気持ちが強くていらしたのだと思う。
この世の中で どんな人に逢ったか、逢っているか、 これから逢うか が 私の財産です。
法然上人八百年遠忌の今年の内に 太田の受楽寺の山額を無事仕上げることができたお礼に 知恩院に詣でたいと願っていた。
二年前 たまたま左甚五郎のわすれ傘を捜し、天井を見上げていた御蔭で勝部師にお目にかかり、最終的には願文の書き方までお教えいただくことができた。
今日同じ場所に立つとまるですべてが夢であったように思われる。
大勢の信者さんが長年参拝してすり減った廊下に手をあて 昔 イギリスで この広い緑の草の上をヘンリー八世が馬で走りまわっていたと聞いた時と同じ 絶えることのない 今に続く時 を実感した。
7日
京都での平家物語の夕べ 物怪之沙汰 を 語り 窪塚洋介、笛 藤舍名生 舞踊 GORI.
昼夜同じものを観る。
GORI氏のヘアースタイル、衣装ではまるで杜子春、平家に結ぶなら福原に来た唐人が 清盛に面会できず 困ってしまった という風。
物怪は うらみを持つことで自身が苦しんでいる個人 というより もっと広い世の中に対する 負の勢力としての規模の大きな存在ではないかしらん。
昼の部 物語の内容はさておき 藤舍氏の笛に合わせて踊る 中間の場面に感心。
しかし 夜の部の同じ場面に私はずっと好感を持った。
勝手に考えるのだけれど 夜の部のほうが 藤舍氏の GORI氏を 追いかけ 追いつめ 励ましながらけとばす演奏に GORI氏が 背筋を伸ばし 同じ舞台で立ち向かう姿勢になった気がした。
あの演奏で踊るのは大変なこと
公演の間の数時間をどう過ごしたのか 興味のわく 同じ演目観賞でした。
6日夜
気持ちの良いお天気の午後神田古書店市へ
久しぶりに店内を覗くと 若旦那が白髪の主人になり母親、またその母親がいた場所に座っていたりして時の流れを 実感
インターネットで捜してなかった と聞いていた本が ちゃんとあったりして 良い気持ち
確かに あれ欲しい これ欲しい という時 パッと捜せて 入手できる という点で 大変助かるのがインターネットでの注文だけれど 本屋さんで 思わぬ展開 拡がりを経験する楽しさはたまらない。
インターネットでの本の入手はA子ちゃんにやっていただいているので 大きなことは言えません。ごめんなさい
来たからには と4時だというのに揚子江菜館に行って 古書店市特別焼きそば を いただいてしまった。 ちょっと恥ずかしかったけれど 次々人が入るので 面白い時間に たくさん食べる人も いるのだ と他人事のように 感心した。
お勧めに従い さぼうる でコーヒー。 おいしく頂きました。
大勢の人が 楽しそうに本を探している。
子供のころ書棚にならんでいた全集 話題になっていた本等を目にしながら 嬉しい時間を過ごしました。
それに
揚子江菜館で 以前いただいた白菜が忘れられず おみやげにして 先ほど 少々いただいたが これを口にしているときは どうぞお願い 何も私に話しかけないで という感じを独り堪能したことを付け加えなければ
1964年夏 二か月 私の家で生活を共にした アメリカ人の女子高校生 クリスティ が 66年に私とアメリカで再会した際 ”覚えている 日本語! いいきり いいきり!” と解らないことを言うので 様子を尋ねると ”悳子の口癖 気にしない 気にしない という意味で 常に耳にしていた。 だから 忘れなかった” と そういえば 心配性の母に対して しょっちゅう ”いいから いいから” と口答えしていたことを 思い出した。
これが私の本性なのだ とこの日曜日に改めて知ったのは、、、
大徳寺の大仙院で 京は初めてというドイツ人、 日本生まれの在日アメリカ人 と私を含め二人の日本人女性 計四人で 尾関宗園師にお会いした。
私以外は 英語を母国語のように使える。
アメリカ人男性は 臨済宗教徒。
私が持参したイギリスの苔の写真から 和尚さんがそこの廊下にあった結界を持っていらして
そこに書かれている 心径苔生 という言葉について説明してくださった。
和尚さんのお話は 早口でどんどん進み 話の内容は とんちの一休さんのお寺らしく 二転 三転
納得してから次へ などと思っていると ついていけないし その態度がそもそもだめ ということになってしまう。
いつもあわててノートをとるが 思い出しても キツネにつままれた様 というのが実態
解っていないけれど せっかく和尚さんが一生懸命良いことを 話して下さるし どうにか その渦のなかでも 初めての経験をしている ドイツ人に 断片のまま変な英語を まるで 流れる水を 隙間だらけの両手ですくって その人に向けてまき散らす という状態になってしまった。
いろいろな思いを重ねたうえで 仏教徒になられたであろう外国籍のかたと 南無阿弥陀仏の浄土宗の私の気楽さの間にはまことに大きな違いがあり ため息がでる。
“いいから いいから ” という言葉ではなかったが タクシーのなかで ドイツの方が 私が 安易にまき散らす 間投詞 をまねたので 久しぶりに クリスティ の件を思い出して 思わずその方の肩を叩いて笑ってしまった。
他の場面でも 早くその場で 何でも教えてあげたくて さんざ 間違ったことも言ってしまっていることに気づいた。 私はこうなのだ と反省した旅行だった。
でも さすがインパクトのある和尚さん 帰りの新幹線のホームで ドイツの方が いろいろ感じるところがあった事を 例をあげてらしたので やはり芸術家は本能的につかむところがあるのだなー と 安心し 嬉しく思いました。
良い一日でした。
副都心線 西早稲田駅 のホームにある ベンチ をデザインした あなたは プロではありません。
見た目きれい 腰を下ろせない 荷物置けない ベンチ あなたは一度でも自分で利用したことがおあり?
センスがよく見えても役に立たないベンチは 現代アートの美術館に持っていくか 同好会に置くべきでしょう。
現代アートの美術館にある座れない椅子はそれでも人の興味を 満足させることができる かもしれないという救いがある
足が短いと思ったことはないけれど 寄りかかり バランスをとると体が不安定になりきしんでくる。
寝られないように手すりを付けているベンチがでてきたときは 世知辛くなったものだ で済んだけれど このベンチには 人間性や 失敗と笑って済ませられるユーモアもない。
悲しい方ね
先日来の大雨で 戦前に建って書の教室に使っている家に雨漏りがするようになってしまった。
よくお芝居で 小さい桶や金盥などで あれここにも とか言いながら 漏る雨を上を見ながら受ける姿もおつなものだ と思っていたが
これを聞いた 大人の人が 先生それはだめです 屋根は 直さないと だめ と教えて下さった。
今日 Sさんの旦那様が 屋根に上ってブルーシートならぬ シルバーシートをかぶせてくださった。
多くの瓦の家が 同じようになってしまったらしい。
本職の屋根やさんは 地震でひどい目にあわれたSさんの家にさえその順番が来ないようなので 我が家は しばらく台風が来ないように願っていよう
この古い家で大勢の子ども大人が書を学んできた。
子供たちであふれていたときは 前の子供の背中に書いたり 葉っぱに書いたり 塀に書いたり 中には 天心書道会という看板の上に書いた つわものがいて まだそれが残っている
その日に習った字を書く子もいれば 中には 自分の名を書いてしまい ずっと証拠になっていまだに笑われているのもある
子供たちは周りがどんな状態であっても 書く時はしっかり書く
その姿を長年見て育った私は さあ まず心を整えて というのがよいのですよね とか言われると そういうことは一人の時に好きなようにやって頂戴 うるさいから とか なんだから書けません などというのは勉強する時言うことではない と 冷たく言ってしまうので
私はだめなのね
久しぶりに菊鮨さんへ
どうしてこんなにおいしいの というものばかり
きちんとしたものをいただいた
旅行、暑さ、台風 で 飢餓状態だった本屋さんへ
復刻版 雄山閣 の 芸十夜
八代目坂東三津五郎丈 と武智鉄二氏の対談
子供のころ 新聞などで変なおじさん と思った人と 太田に興行にいらした時 市内を 父とご案内した三津五郎丈 奥様と茶道の同じ教場だった
チョッと普通でなかったお二人の話ならさぞ面白いに違いない
芸一夜 うなずきつつ反省する点が多く 勉強になる
二夜からは これから読みます
本の末尾に編集部が
今日の観点から一部不適切な表現が、、、 と断っているが
このようなことを書かせる世の中の良い人ぶり も どうかなあ