情報通のMさんが昨日有楽町のルミネに桜があると教えて下さった。彼女は その話を聞くとすぐ見に行ったとのこと。
雨の中 大勢の人が楽しんでいる。
傍のお花屋さんで思わず小さな桜の花束を入手。
先日 プライベート テーブルマナーコースをお願いしたレストランに差し上げたらこんなふうに飾って下さった。 ありがとうございます。桜も喜んでいます。
3月23日
先日小照先生の新内を聞いた後 ふと入手した切符で 国立大劇場 一谷嫩軍記
このところ 平家物語のDVDを見ているので 細かいところが解ることがあって舞台が近づく
一幕 義経の義父になった平時忠が出てくると 若い娘を嫁にやるのが惜しくて 年増の娘をやったが義経は喜んだ というのはここだ と思う。
三幕 熊谷陣屋 今までは 登場人物の中には ちょっとはしょって話が進むとよいのに 等と思ったものだが それぞれの事情がのみこめ 初めてゆっくりと話のすみずみまでを楽しむことが出来た。
平成6年 虎ノ門のギャラリー日鉱で ”シェイクスピアの世界を そのII” という展覧会をした時
会社の社長さんが 豪華なパーティを開いて下さった。
シェイクスピアの劇と私の書を結びつけて たとえば 凌 という字は先生の御本には出てこない字 だったが 書としての出来がよかったので ”私が良いと言えば良いのです” とおっしゃって 訳を凌を使う言い回しにして下さった 小田島雄志先生
その頃の事情を御存じで ホテル以外の場所でのお客のパーティには出ないことにしているとおっしゃっていらした村上信夫先生も出席してくださった。
父と私はいろいろなことで一緒にお団子状態の底に長くいた時だったが
父が挨拶で ”16年は一昔、夢だ ああ夢だ” と言った。
今日 團十郎丈の背中を2メートルほどの近さで見ていてその頃の父の無念さ 切なさを思った。
直実は法然上人の導きを得たそうだが 短い花道で ハッと求道者の澄んだ目つきになり ホラ貝の音に本能的に武士の反応を示し もだえながら幕に入る という そこだけで十分一場面になる名演。
長い年月同じ舞台を何度も見る幸せ 等というと申し訳ないような 観劇だった。
3月7日
ここ数十年折にふれ富士松小照先生の新内を聞かせていただいている。
美しく新派の舞台から抜け出たような方だが すっきりとした言葉遣い、変な色気がない。
ここ数年 今こそ聞き時 と思う円熟の境地が続いているが 今日新内仲三郎丈との”蘭蝶”は光を受けて輝く声でなく 自らが複雑な光を紡ぎだしている語り方だった。
素晴らしい
好きな人は誰でも ここは と耳を澄ます聞かせどころも いつも同じでなく繊細な変化をたくさん盛り込んでいる。
一人で練り上げている姿を想像すると身が引き締まる。
一般の歌い手の中には 一度聴衆に受けるとそこが強調され ついには調子外れになったまま自己陶酔に陥る人が多いが
冷静に厳しい目で自分がしていることを見る というのは大変難しい。
新内を習い始めるお父様と一緒に教場に行ったら お嬢さんのほうが見込まれプロになった と伺っている。
小照先生が一にも練習二にも練習 ただそれだけ とおっしゃるのを聞き尊敬の念が深まる。
写真は劇場前 開場三十周年記念 菅原伝授に寄せた白梅紅梅
今開場四十五年記念公演の最中だが その年二階に座っていたら地震で随分揺れたことを覚えている。
3月3日
めでたく社会人になるKちゃんに お祝いとして テーブルマナー講習会を
前もってレストランの方たちに 一から教えてください、周囲のテーブルを観察できる席にして下さい。等お願いしておいた。
我らのテーブルに現れるスタッフ全員がそれぞれに何気なく ポイントをつかんでいろいろ歴史のこと等を混ぜながら上手に 嫌みなく 食事の雰囲気を少しも損なうことなく教えて下さったのには感激。私もとても良い勉強をさせていただいた。
斜め前のお婿さんを混ぜた一家四人は 母親がそこにふさわしくない話題 言葉で ぐちがとまらなくなったようだったが 父親がそれとなく彼女と一緒に席をはずして帰ってきたらケロリとおさまっていて お父さんに拍手。二人が留守の間に若い男性がホッとした感じで自分の奥さんを見ながらワイングラスを揺らしていたのが印象的だった。
私も自分の言葉に感情が倍倍になってわけわからなくなることがあるのかなー とちょっと不安になる。今度皆に聞いてみよう っと。
横のテーブルでは 老主人が老奥さんに ケーキに一本立ったろうそくを消してからプレゼントの包みを渡していた。スタッフは小さいケーキを斜め二つにきちんと分けた。
さて 付添の私は Kちゃんのお皿にいかにも おいしい と解るものが載って出てきたのを見て ”ちょっと講習会中断!私に一つ頂戴!” と言ってしまった。やれやれ
写真は音楽会が3月3日だったのでミッシャ マイスキー氏にサインしていただいた雛祭りというと身にする着物です。
3月2日
一年ぶりに書のクラスに現れたおとなしくかわいい奥さまが ”先生 本当に この教室はつぶれなかったのですね。”と真顔で言った話をしたら
Aさんが ”私が 片づけようと身支度をして12日に教室に来たら ’机の上の水差しが倒れて水が少しこぼれていただけだったよ、良かった良かった’ と余震に揺れながら筆を持っているMさんがいたのには驚いた。” と答えた。
私はそれぞれに対して驚いたが
何はともあれ助けて下さる方たちの存在に感謝するのみ。
2月27日
出光美術館 古筆手鑑 初日
今迄手鑑は中に貼られている有名なものを見て後は 目の隅で見流していたが 今日は気持ちに余裕があったらしく ゆっくりと見た自分が新鮮だった。
しっかり時間をかけて一つずつ勉強し直したいが 一作品一年とすると、、、
仮名を全くの初めから市岡弘先生にお教え頂いた。臨書のみを一作品最低一年をかけて出来れば全臨で仕上げる方法だったことが幸いだった といつも思っている。
たぶん初めて見た 谷水帖 余りの豪華な内容で アップアップ状態に
椅子に座って少し落ち着いてから 高野切一種 の前に戻り しゃんとして 会場を離れる。
グランドハイアット東京、日本料理 旬房 へ。
今年の”龍”の軸を出していただき 11名で昼食。
作品は 表具や置く場所で顔を変えるので 手を離れてから後初めて見る時は 複雑な気持ちで なんとなくパッと正視できない。
感じたことを次の糧にしなくては。
置く場所を与えていただくことにいつも感謝している。
平家の会で江戸東京博物館へ
西光被斬DVD、坂田美子さんの薩摩琵琶で知章最期。
立ち見と聞いていたので家から持参したのが写真の椅子。
今いるエムエフ両国に越したのはそれまで8年近く住んだ上落合の六畳と三畳のアパートではお客様ができなかったから
この椅子はガーナ大使ご夫妻等がいらした時座れない外人向け椅子が足りないので あわてて近所の安売り屋で求めたもの。
両国駅前の鰻屋さんの開店時間を待つ間 父が坐っていられるように と持って行ったこともある。
今回 椅子を抱えた姿ですぐ私が来たことが分かった と言われ、クロネコのお兄さんや近所の人にも 椅子を持ってどこに行くの? 椅子を持ってどこに行ってきたの? と言われ、、、
そう言えば余り見かけない姿ではある と思った次第。 持って歩いていると 捕り物の手伝いが出来るような気持になる。
椅子だけ写真に撮るのももったいないので 上に乗せたのは”今年のハイアム”と名付けて毎年湖水地方で買ってくる人形です。
急に映画を見たくなって 時間に合った ”J エドガー”を。
以前何かの本で実際のケネディ一族、フーバー長官等について読んだことがあったので驚く内容ではなかったが 丁寧に作られた映画だと思う。
子供のころ大きな人物と思っていた人々の、 考えてみれば当たり前にある個の事情。
昔アメリカ東部の一等席もない小さな飛行機にケネディ兄弟の母親と乗り合わせたことがある。晩年のことで とても年をとっていらしたが 威厳があり 普通の人とは違うことがすぐ分かった。
降りる時 それまで横になっていた座席から立ち上がり 頭の後部のつぶれた髪を両手で一生懸命整えようとされていた。 近い席の付添の女性は櫛を差し出す気の効いた秘書でもなく 勁い人の孤を感じたことを思い出す。
”何かの本”には彼女のご主人のひどさが書かれていたので 家族の負も見届ける役目だったのだ と実感した。
写真は 一月二十九日 太田の池の氷です。
江戸東京博物館「清盛展」へ。
昔 橘逸勢の「伊都内親王願文」を見た時以来の衝撃を 平宗盛、21歳の時の書状に受ける。
「伊都内親王願文」に対しては ひたすらの畏怖を覚え、その存在は 書を学ぶ上での指針、自省の糧となっている。
宗盛書状の字の形、線には 書き手の純粋さ、真っすぐな気性、健やかな息づかい があふれ出ている。
純とか素とか言うと、戦後、無垢な幼児の作品が良い、とのことで、安易な誤解のままに、今に至っては変なものがたくさん世に溢れている。
一方、勿論、技にすぐれ、智にすぐれ、情にもすぐれた人々の立派な作品も多く存在している。
しかし今回は今まで自分が書を見る基準とは違う土俵に立つ 心打つもの に出合った感じがする。
後からいろいろひどい事を言われる人物であったかも知れないが そんなことはどうでも良い。
私が観音様なら どんな糸でもすぐ投げて宗盛を引き上げ、自分の脇に置いて この字を書いた21歳の魂をいとおしむ
雪模様の中 六本木ヒルズクラブの 歌川国芳展を見る会に参加
これでも今日は観客が少ないという 人出
題材に平家物語も多い
中に清盛出世の由来があり 良い男ぶりの清盛の絵があり嬉しい
先生の解説で いろいろなことを知っていて楽しんだすごろく 絵解き を教えていただき 少しでも解れば と もったいない気持ちだった。
そのあと 神田のハゴロモビルに 平家物語のクラスへ。
一年続いているとうかがう。
DVDで新内仲三郎氏の 経正都落を見てから
長唄のワークショップ
会の進行を勤める橘社長さんが素晴らしい。
すべてを御存じで 何を私たちに伝えたいのか 伝えられるのか を熟知していらっしゃる。
演者にとって怖い存在なのがよくわかる。
世の中には解る人が必要。
良い機会を紹介していただいたことに感謝
11月私の平家もしっかりしなくては 恥ずかしいことになってしまう。
(※写真は国芳展について講演会が催された会場入口の宣伝 私 です。)
新聞に 小説を読んでその舞台を歩こう という旅行社の宣伝が目にとまり 読まなくては話にならない と 麒麟の翼 を入手。これは一体何 作者の都合のよいように話がただ進む。
読むと同時に話の展開にはらはらドキドキ、どんでん返しの連続 それもわざとらしくない、底には大きな問題点が という 読者を手玉に取る流行作家はいないのかしらん
もちろん 旅行社のプラン却下
NHK日曜名作座 西田敏行 竹下景子両人の上手な語りを楽しんでいるが 今夜からさだまさしの小説というので 期待せずに聞いていたら イギリス 湖水地方 ワーズワース と出てきて 来週が楽しみになった。
近くで少し時間があったので 根津美術館へ
百椿図
キリッと明るい色彩 盛り上がっている金
椿をどう飾るか 自分の世界に没頭、 楽しんでいる様子が 良くわかる。
新橋演舞場
國劇部で鷹之資 さんの後援会に入っているので皆で 連獅子 を拝見。
富十郎さんと親子で勤めた矢車会が ついこの間だったような気がする。
その時私は 勧進帳を見たが 判官御手を というところ 鷹之資さんの素直で美しい基本動作 姿勢が 忘れられない。 無垢の良さを身につけ 守っていくには 初めが肝要と何の世界でも言うけれど その見本をみせていただいた。
後援会長の園田先輩が解説をしていらっしゃるイヤホンガイドを耳にしながら鷹之資さんの舞台を楽しむというのも 豪華な話。
六日太田に帰ってから ビデオの早回し 2段階目くらいの身の動きが続き 小走りに会場と家を行ったり来たりしていたが 転ぶこともなく 皆で楽しく お天気にも恵まれ 八日 九日 の書初展を終了することができた。バンザイ
専門家数人に東京から来ていただくが その他のことはすべて太田の小人数のメンバーで行うので 皆の気持ちの持ち方、有能さが何よりの宝物
今年は 37人 書譜 8人 十七帖 の臨書が 主だったので 会場に統一感があり その中で いつもに増して一人ひとりの個性、性格、習い方 の違いがよく現れて興味深かった。
それは良い悪いではなく 違ったひとりひとり それぞれの 道の進み方の違いにすぎず 早く上手に見えるようになる人もいれば 長い時が過ぎてからある日突然 美しい蝶になる人も、、、ただ 良いものさえ勉強していれば大丈夫 と 私は長い経験から 実感 納得しているので安心している。