初日来月御園座公演のお稽古前にいらして下さった片岡秀太郎丈と書道評論家の田宮文平先生です。
一日人の渦の中を漂っているようでした。
大勢の皆様いらして下さってありがとうございます。
ネクタイをされた小田島先生がいらしてくださりびっくり
堀妙子先生の個展の後 宝塚 丸谷先生のお別れの会 の一日とか
去年の湖水地方 今年のエジンバラでの展覧会の様子を展示している写真でご報告
10年以上前に”シェイクスピアの世界を”で 私の書いたというか書けた作品の写真を小田島先生にどんどんお送りしてそれに先生がシェイクスピアの作品の中から有名なせりふを当てはめて下さって 二回大きな展覧会をさせていただいた。
小田島先生に ”私に聞いたと言ってあなたの書いたものを一枚入れて手紙を書きなさい。小田島先生が目を通して下されば後から変な事を言われずに済みます。”と 銀座の三越でコーヒーを飲むグループの中の一人の(あとで知ったのだけれど)有名なシナリオ作家の先生が助言して下さったのが ことのはじめだった。
そのあと間もなく何かの授賞式で壇上の席にこのお二人が並んで座られ、幕があくまでの間に シナリオの先生が小田島先生に直に私のことを頼んで下さった と伺った。
思えば思えば 何という御親切を私は受けてきたのだろうか と思う。
皆さまありがとうございます。
次から次へといろいろなことがつながり 広がり 今になっている。
明日からもっと もっと 今迄お世話になった皆様のことを思い出し 感謝して会場にいることにします。
皆さま お待ちしています。
雨だったが 熟練の我等は テキパキと
作品、ザッカ、食品と運び込み
飾り付けを。
今回は作品の配置をガラリと変え
その場に行ってから 小さい額24点の場所も考えたので 大変
蘭の会の会場が華やいでいるのは
会場の壁面を全て その回の為に新調するから
さあ 皆様 着飾って 位置を占めた作品を ご覧くださいまし
※写真は長年素敵な花の飾り付けを担当いただいているお花屋さん
外国人記者クラブでの今回の書展を記念してのパーティで 知章最期 を語って頂く薩摩琵琶の坂田美子さんが仁左衛門丈の大ファンだということで ハゴロモの橘さんが演舞場で私を坂田さんに紹介してくださることになった。
仁左衛門丈は体調を崩していらして22日に復帰されたばかり。
たまたま劇場前の喫茶店でおめにかかった奥さまに御様子を伺ったのだけれど 軽いものしか召し上がっていらっしゃらないとは思えない立派な舞台だった。
引っ込みは数か月前国立の花道で 熊谷の過去 現在 未来 を表現しつくした団十郎丈のそれとは違い、人生の悲しさ 哀れさ一本に絞っていらしたように思えた。
15分のお休みに 秀太郎丈の楽屋に連れて行って下さった。
ひょっとしてそういうこともあろうかと いつもははかない足袋カバーを途中で脱ぎ 新しい足袋で気持ちよく暖簾をくぐった。
ご一緒したA氏ご夫妻が秀太郎丈と一緒の食事に招いて下さった。
年をとられてから輝きを増していらっしゃる と このところ注目していた役者さんだけれど 良い話をたくさんして下さった。
橘さんと幼馴染の秀太郎丈のお二人からは京都の芸や世界の香りが漂ってくる。
そういえば斜め前の席に京舞のお家元がいらした。
デザートの席で私が ”維盛です” とこの写真をお見せすると ” やあ いいですね。私維盛大好きです。”と仰って下さった。
皆さま 鳩居堂さんにこの維盛 直に見にいらしてくださいましね。
アークヒルズの郵便局を出ようとしたら テレビの二時間ドラマででよく見る バッジがついた警察手帳を目の前に広げられた。現代風 いがぐり頭のお兄ちゃん。 私はここで 何か事件に巻き込まれるのか と身構えたら ここにあるちらしを示されたので ’そうか 私は 詐欺に引っ掛かるような人にみられたのね。 でも大丈夫’ と言うと ’大丈夫と思う人が やられるのです’とニコニコと、、、 そういえば誠次さんの同級生の方が ’息子さんが今手術を失敗して’ と言われ 危うくお金を渡しそうになった という 話を聞いたことがある。 それには 奥さんが 言われた現金を お家の中に持っていらしたので 御当人はその事実にも驚いた というふろくがつく。
さて 私が ’このことを今日のブログに書くわ’ と言うと いがぐりちゃんは ’エッ そうですか?’ と喜んだように見えたので すかさず ’だから私の展覧会にいらしてね’ と葉書をお渡ししました。
麻布警察の皆さまも それ以外の皆さまも どうぞ 鳩居堂さんにいらしてくださいね。
27日からです。
展覧会のポスターです。
一昨年 輝ける平家(I)の後 ご縁があって平家物語の学者さん、豪華なDVDの全集を作られた
ハゴロモの皆さまを御紹介いただきましたことから ずいぶん物語に対する世界が広がりました。
感心 感激している間に時がたってしまいまして 気持ちがたくさん後に取り残されるものに
なってしまいましたが
’今回はこれにて’
というところです。
そういえば 歌舞伎の舞台で 敵を追い詰め ’これで決着をつけるぞ さあどうだ’
と大盛り上がりの最中 急に 舞台上の人物が敵も味方も全員にこやかに
’今回はこれにて’ ’お客様 ありがとうございました。どうぞお帰り下さい’
という風になるのは 陰惨な気持ちを家に持ち込まずに良い気持ちで帰れる賢い演出だと思います。
何だ これからという時に、、、 と肩透かしをくった感じが演者と一体感のある嬉しい明るい気持ちに変化します。
幸せな国に育った人たちだから出来る結末の付け方なのだと思います。
これでこの文章を終えてしまいますと自己弁護が過ぎます。
皆様11月27日から12月2日 何度でも会場にいらしてくださいまし。
そして ’今回はこれまで’ ですがどうぞ 次回へのアイディアを私にプレゼントして下さい。
お待ちしております。
随分昔 あるクラスの皆さんと琵琶湖周囲の十一面観音像を訪ねる旅をしたことがある。
直前 ’良い小説があるのです’ と聞いて あわてて井上靖氏の ’星と祭’を入手した。
今開催中の 三井記念美術館での 近江路の神と仏 名宝展 に行く前に お寺と仏像を一致させようと思いもう一度 この小説に目を通した。
目を通すという読み方だったが初めて心の中に落ち着いた感じがした。
どの仏像がどこに という読み返しの目的より 身近な者を亡くした人の心の推移というこの本の主題が身にしみ 私は一生 もがり から抜け出せないのかもしれないなあ と反省した。
今でもこのように丁寧に書かれる小説は多くあるのかしらん?
直木賞の審査員の中には もし私が小説家なら自分の作品の審査をして欲しくない と言いたくなるようなどうしようもないものを平気で書いている人もいる。
築地駅改札に来るといつも 父が晩年 展覧会で 球子も元気だなあ
と言った声が聞こえてくる。
新聞の追悼抄に吉国一郎先生の記事を見る。
昔 T学園というお嬢様学校で 塩月弥栄子先生の、 お茶の教室の先生方が講師を務める 着付け教室 のお手伝いをしていたことがある。
有名な先生ばかりを集めた豪華な内容の学校で かわいい 気立ての優しいお嬢さんばかりで 私は年齢が近い方だったので 一緒に 楽しい時を過ごしていた。
このアパートにもよく皆で食事に来てくださり 誠次さんも喜んでいた。
吉国先生が学園のトップでいらして お式の時はいつも御挨拶され 後のパーティで本当に細かい字で奇麗に書かれているご自分のノートをかわいい生徒さん達にお見せになり 歓声が上がるのを楽しんでいらした。
御挨拶の時 マイクにおでこをぶつけられた時は皆で苦しい思いをした。
初めて わたしが銀座で個展をした時 帝国ホテルでのパーティの受付で吉国先生を発見。 思わず”あ! 先生 今日はどうなさいました?”と言ってしまった。”あなたに案内されて ” と仰られ こちらは きゃ! ”いやー すみません どうぞどうぞ ”と ご案内した。
出席 欠席 を伺わないままの案内状を 作ってしまった私がいけない。
誠次さんが 後から私の傍に来て ”あなたは知らないだろうけれど 今日の出席者の中で 吉国先生が一番の大物なんだよ。 何か喋って頂いた方が良いよ。と助言してくれた。
先生は 碁のお友達でいらした 柳田泰雲先生が まだその時も私の先生と思っていらしたようで 内容はちょっとずれてしまったが とても良いスピーチをして下さり ゆっくり時間をかけてその場にいらして下さった。
その後お目にかかった時 ” ’あらどうして’ などと申してすみませんでした。” と申し上げたら ”いやー 楽しかった” とおっしゃって下さった。
”元内閣法制局長官、元プロ野球コミッショナー、NTT顧問など50以上の肩書を抱えて多忙な引退後、、、” という記事を拝見して その時の様子が思い出され やはり ’大物にはゆとりがある’ ことを実感した次第です。
吉国先生ありがとうございました。
この辺りに住んでいる私たちの氏神様である牛島神社の今年は大祭
今鳳輦を待っているところ
いつぞやは鳳輦を引く牛ちゃんのストライキで大変だったとか
この暑さでは 今回も予定の時間どおりにいかないのも仕方のないことと思われる
ここに引っ越してきた昭和54年の夏まつりに 8階に住んでいらした 新婚の舛田山関
今の千賀の浦親方夫妻と 慶應の先輩ご夫婦を夕食にお呼びしたことがある
その先生はご自分でも あまり上手とは言えないが バイオリンを弾く方で お気に入りの
当時のことなのでレコードを持参していらした
こちらも ヤマハの良いスピーカーを備えたところだったので さてと 針を乗せたのは良いが
近くの公園で踊りが始まり 墨田音頭や 炭坑節 の前に クラシックはあえなく沈没
その後の夕食は大変盛り上がり楽しい一夜を過ごしたことを思い出す
さてやっと 町内会のスピーカーから 案内が聞こえたので
行ってきまーす
乗り物の中や 家から外に出た時 雑談をするのはあまり得意でなく
黙って周囲の様子を見ているのが好きというと ”ウソでしょう”と言われそうだけれど、、、
さあここで話すことを話さないと 次の機会はない というような時
自分でも驚くくらい次から次へとよく口が動いて 後であきれることがある。
もう少し話が煮詰まらないと 今日福島に何のために行ったのか書けないが
郡山で思いっきりこちらの希望をお願いして気持ちよくなったまま面会首掛けカードを
返さずに帰ってきてしまった。
駅まで乗るなら隣がタクシー会社です と聞き ”何時の電車に乗りたいの”と動き出した途端
運転手さんが車のパンクに気がつきUターン。
いろいろあったが無事郡山から在来線の各駅停車に乗り福島民報社へ
服地を通して日差しが肌に突き刺さる感じの”熱さ”
御挨拶だけと思っていたら お会いした方が大変良い方で話が止まらなくなってしまった。
初めての土地だったが 何とも言えない 言葉にならない 想いで過ごした一日だった。
”時間は元に戻らない、なかったことにはできない” という現実が身にしみる切なさを味わった。
そのうち 何のために福島に行ったのか 嬉しいニュースとして又ブログに書けますように
写真は会社の前の道で
8月一杯は許してね と 怠惰な毎日を過ごしていたが
どうもそれに慣れてしまったらしく9月1日を迎えたのに
気持ちが切り替わらない。困ったものです。
子供のころから親に聞かされてきた純粋な気持ちで相対してきた平家だったのに
今年になってから雑念が入り 失速している。
平家だけでなく このところ ‘今現在の世の中の考え方で 昔のことを判断することは
大きい間違いを生む原因なのだ’ とはっきり言って下さる方はいないかしら と 思うことしきり
さあ人のせいにしないで二年前に もう一度この題材で展覧会をと思った 私の平家に戻らなければ
二カ月ぶりにハゴロモさんの 平家サロンin神田 へ
DVDで 首渡 内裏女房 続いて平井真軌氏の語りで 法院問答
その前に 主催者の橘氏が ”平井さんのお師匠さんの仲代達矢氏は
どうしてシェイクスピアを演じて平家を舞台に掛けるないのか?”と尋ねると
”シェイクスピアの方が言葉にのせ易いから と聞いたことがある。”
と答えられた。
解るような気がする。
シェイクスピアの世界を という書展をした時のパーティーで
小田島先生の前で 父が ”次は何か歌舞伎を題材にして” とスピーチした。
その後しばらくして 源氏物語を題材にした会を開いたが
選べる字がシェイクスピアに比べると随分少ないという印象だった。
平家物語でさえ範囲が狭い感じをうけた。
範囲が狭いというのは物語の内容が狭いとか 浅いとかいうのではなく
シェイクスピアの劇中に気分転換風に出てくる 赤裸々な 汚さ
何かにまみれている 人々や状景 というものが源氏 平家にないからではないか
というのが 私の浅い考えでの結論。
シェイクスピアを題材にすると 外国の作品を相手にしているという
何か こちらがとる態度を許してもらえるような気楽さが
そのまま 自分の想像、創造にゆとり 大きさになって出てくるような感じがする。
しかし 英国のシェイクスピア学者で私が日本風に内容を解釈した文を読んで
”理解できない” と詳しいい手紙をよこした人がいたので
外国のものを知る というのはこんなものなのかもしれない
と実感している次第。
写真は 法院問答 なので 父 清盛
数年前の正月番組で 夏至は太陽の光が一番強く 先祖繁栄の光 夏至の日に明治神宮から朝日を見ると方角が浅草 そこに東で一番古い神社が存在する 夕日がさすのが表参道と聞いたことがある この日に生を受けた ということが 私の背骨になっている気持がする ジュリエットの誕生日も夏至の日です。
国立劇場 文楽 三題
その三 阿古屋
人形の方が生身の人間が演じるより真に迫る と実感したのは大学一年の時 小春が火鉢の炭をつつきながら恋人のことを考える場面だった
三つの楽器を 脇で実際に弾く演者と呼吸を合わせ人形があたかも本当に演奏しているように見せる
華やかな出し物 阿古屋に 観客は大喜び
あるパーティーでのこと モデルに選ばれた外人男性がお七の人形に恋心を告げる仕草をされて グッと心を掴まれたのを見ていた彼の奥さんの顔が引きつっていたのが忘れられない
それにしても 本場で文楽を見たこともなく 初めて見れば 二度と見たくない と言えるような人は 外人でもない ということかしらん