去年3月 キエフ大学で 書のデモンストレーションをした時に会場にいた学生が現地の日本語弁論大会で 下記のような内容の話をしたと聞いたので 要約文章をそのまま転載させて頂く。
大学に入って日本語の勉強を始め 新しいこと 日本の文化についてたくさん学びました。
大学のワークショップで ’雪’ という漢字に色々の書き方がありニュアンスがあることに感動しました。書道家の話も面白かったです。
その後 書道の勉強を始めました。
頭の中に一杯考えることがあると上手に書けないことがわかりました。
書道は川のようです。
川の水も漢字も外から見ると変わりません。川の水が絶えることなく流れているように漢字の中にある意味も書道のスタイルによって変わってしまいます。
書道は私の生き方を変えてくれました。
’ものごとをやる前にいろいろ考えるのではなくとにかくやってみる’という気持ちが大切だとわかりました。
’私はどんな人ですか’ という問いかけの答はまだ見つかっていません。でもそれを気にしなくなりました。考えるより何かをする方がもっと大切だと思えるようになったからです。
写真の着物は20歳代のものです。畳紙に ピアノの前 と書いておきました。久しぶりに着たら前より似合う感じでした。
もう一枚の写真、これは 先日京都にご一緒した ドイツの方がこの広告を見て 通り過ぎてから 何か腑に落ちなくて もう一度よく見たら 4つの黒鍵 が混ざっていたことが分かり 大笑いした と言っていらしたもの。
実際に自分の眼で見ると 確かに おかしい。 でも 知らされていなければ 気づいたかどうかは 解らない。
せっかくなので ドイツの方と一緒にいた方にこの写真を送ったら ” 先生のご指摘をウィーン在日代表部、オーストリア観光局の友人に伝えたところ, 貴重なご意見ありがとうございました 、、、との回答が、、、” というメールが戻ってきた。
私じゃない!
小学二年の時 けんかをしていた男の子たちの一人が 廊下にいる相手の頭を教室の中からたたいてすぐに逃げ ぶたれた子が振り返った時 その光景を横でボーっと見ていた私が代わりに頭をコキンとたたかれた という事件を思い出した。 今でも他人事のように 教室の窓 腰板 廊下 おさげ髪 薄クリームのブラウス 臙脂の釣スカートの泣きもせずただ驚いていた自分の姿が目に浮かぶ。 私じゃない! という言葉も出てこなかった。
今回 学習院女子大学で 一週間ほどの展示をさせていただいて 改めて思ったことは 学内で会う方々の優しさ 親切さ
6年間の目白での学生生活を思い出しても、 みなさん 優しく 学生に相対してくださっていた。
良い人たちが集まっているところでも 同じことを言われても カチン ときたり うるさい と 内心思うことは あって当たり前なのに 学内で働いていらっしゃる皆さんにそんな思いを抱くことは一度もなかった。
何十年もたった今 これは特異なことなのではないかと思ってしまう。
大学三年生のころ ”あなたにあげようと思って 孫の七五三の飴を とって置いたけど しばらく会わなかったので食べちゃった” と言った 守衛さん、新宿厚生年金会館での歌舞伎公演に奥方役で出た時見に来て下さった守衛さん
いろいろのことを思い出している
ありがとうございました
ずいぶん昔 アメリカンクラブで10年以上書のクラスを担当していたころ
熱心に通ってくださっていた アメリカ人の方が You Tube で私が書いているところを見て 懐かしく このような勉強を日本でしたことが誇らしい と感激 Wordsworth Museum の館長さんにあて メールでこうこうしかじか といろいろ 考えを述べてくださった。
You Tube はU チューブ と思っていたほど何も知らない私だったが 他の外国の知り合いからも 懐かしい あなたの太田の家で40年前 お習字をしたり 着物を着せてもらったりしたことが忘れられない というようなメールがいくつも入ってきて ああ今は こういう時代なのだ と 納得 感心 した。
母も父も 日本に来た外国の知り合い、 知り合いが 日本にはこういう気の置けない知り合いがいるから行ってごらん と紹介してくる知り合い、 どんな国の人でも いらっしゃい と受け入れ ごく普通に 一緒に食事をし 散歩に行き お墓参りに行って ということを 喜んでしてくれた。
日本のお母さんと呼ぶ 独身女性の大使館勤めの外人も多く 週末になると私も一緒に太田へ という感じだった。
母は お風呂で体をこする習慣のない 我らより栄養のあるものを食べている外人女性と一緒にお風呂に入って あかすりで相手をこすり どんなあかがでるか と楽しみにしているところがあった。
お母さんとお風呂に入ったことが一番の日本の思い出と今も言われることが多い。
中にはあれは皮がむけたのだ と悲しそうな顔でいう人もあったけれど
両親とも 日本では日本語で とやりとりは日本語でとうしたけれど 母のユーモアは ふざけるのではなく 大変外人受けするもので 何か日本人離れした 当時の私から見るとスケールの大きなものだった
今も 私がもう一人いれば 同じような接待 付き合いが できるのに と残念に思うことがある。
You Tubeを媒体にして 何件もの懐かしさを味わうことができました。
Dear my friends of the overseas
Thank you very much for your warm mails and letters to encourage me,us.
I always think we can’t come back to the past we didn’t have the worries anymore.
I was fortunate as I was not alone in my room on the 10th floor of Ryougoku apt.
This picture shows what I saw when I opened the door.
Can you believe only one or two small things were broken in this status.
As I keep open the door of the microwave oven, the door was broken by the bookshelf fallen down on it.
It took time to make them in order again to clean the rooms. But I know it is because they were not in order from the beginning!
I’m fine and my classes are continuing.
Thinking of the damages and trying to do what we can do for them, we have to go on our daily life as usual. I believe we need to spend money as everyone has to live, not hiding in the shadow trembling with fears.
I’ll have the exhibition at the Wordsworth Museum, Dove Cottagein June.
From July 16th to 23rd I’ll have the Japanese calligraphy class at the Higham Hall in Cumbria UK. It is the 4th summer for me to be there.
And on July 26th, the workshop at the Daiwa Japan House in London.
Please come to see me.
Thank you very much again. Arigatou for your kindness.
Yours ever
Tokuko
April 5
いつも書展の会場で起こる現象だが どうしてあなたがここにいらっしゃるのよ という言葉があちらでもこちらでもあがっている
友達の友達の友達の友達が自分だった ということかしらん
会場内の各グループが一気に盛り上がり大声で話さないと聞こえない状態
私は形から入ってという格好付けがきらいなので どのクラスもおとなしくない というよりまず私がああだこうだと大声をあげている
ひとが言われていることを参考にできるのがクラスの良いところ と 私もあとから解ってきた
千賀の浦親方が奥様と
昔同じアパートだったころご自分の出身校から頼まれた書の揮毫を我らの部屋で私の筆で ”力”と立派に書かれたり、 ちゃんこの材料と作り手の若手のお相撲さんたちを連れていらして下さり10人以上のお嬢さんたちのために本格ちゃんこを作って下さったことを懐かしく思い出す
その時女の子たちが一人ずつ抱っこしてもらい写真を撮ったりしてみんな元気のもとをいただいた もちろん私もどさくさまぎれに抱っこしていただいた
本来おすもうさんはそういう福の神的存在だったのではないかしらん
今日もちょっと具合が悪かったかたに 親方の体に触れると元気になるからと勧める
今日の字は ”力” 親方ではなく私の字です
12月2日
菊鮨 の細井氏が銀座に戻っていらっしゃる。
今月中旬オープンとのこと。吉原に続き屋号を書かせていただけて大変嬉しい。
作品をお渡しした後 こちらも 同じ銀座の中での引っ越しをされた額の古径さんを訪ねたが土曜日はお休みで御主人にお会いできず。
銀座でなければ という その地に溶け込んでいる方たちが どこかに あのビルもこのビルも買われてぼろぼろになってしまいそうな状況の中でどうにか居場所を探しお店を守っていこうとしていることがよくわかる。
細井氏と 戦争しなくても捕られてしまう ということだと話しながら駐車場を横切る。
9月3日
昨夜 嵐山光三郎氏がご自分の今までと小林旭さんの歌とのかかわりについて 長いことラジオでお話になりました。しみじみと耳を傾ける というのはこういう状態のことなのだ と 他のことを何もしないで聞きました。
熱き心に の大ヒットの後 喉を痛められたとき お世話したのが誠次さんでした。
カムバックの舞台に招いて下さいました。
舞台で 病状その他 詳しく説明されるのを聞いて 誠次さんは 〝頭のいい人だね 僕たちよりよほど 解りやすく的確に話しているよ。” と嬉しそうに言いました。
当時は 医者は 口は下手でも腕があれば良い という時代だったのです。
“こうして皆さんに又歌を聴いていただけるのも 先生のおかげです。”とおっしゃって 熱き心に を歌われました。
1994年に誠次さんは亡くなりましたが 今でも季節のプレゼントをお届けくださいます。
病院のベッドでもお棺の傍でもテープを流していたことなど思い出され切ない時間でした。
セゾンのK氏にテーブルマナーについてお話をうかがう。
テーブルマナー は周囲の人を幸せにする。幸せな人々の中にいれば自分も幸せになれる。
鍵は気遣い 人のことに注意を配る余裕が持てるかどうかである ということで 話が盛り上がる。
食欲も大いに盛り上がり嬉しい時を
写真はHigham Hall
Lake District のR.夫人からメールをいただく
Although I’m not doing the calligraphy or ceramics course at Higham Hall this summer. I will be free at home that week so can help you in any way you wish.
As I don’t live very far from Higham Hall, I can drive you to meet people you need/wish to see.
と あり こちらの心も嬉しく広がる。