貫名菘翁展

2015.1.21

仙石山テラス という素敵だけれど解りづらい場所の書壇院ギャラリーでの 貫名菘翁展へ

神谷町で降り翁鮨の角を曲がって 後から出来た霊友会の大きな建物を左に見て と 昔の書壇院へ十数年通った。

広い日本家屋 お座敷でのお稽古 お蔵があって 庭に大きな石碑

地域開発で書壇院は仙石山へ

ギャラリーを今日初めて訪れた。

伊藤先生に初めて教えて頂いたのは 菘翁の山田公雪冤碑、赤壁賦、十七帖だった。

今回の展示の目玉になっている ’本邦初 松居遊見叟四種ついに邂逅’

私が教えて頂いた松居、、、は昭和14年印刷の田代秋鶴旧蔵本でだったが 繊細 豪快 緻密 明るさ 清潔さ 、もちろんこれは菘翁の作品に共通しているのだけれど、自ずから目立とうとはしない華やかさは今の世の中ではなかなか見当たらないものなので、あらためて心洗われる思いだった。

一緒の方達も皆満ちたりてめでたく現地解散致しました。

書き初め展 太田

2015.1.8

写真をこうしていれる事が出来たので もう一言

恒例の太田市での書き初め展は11日12日10時からまちかど美術館で

昨年11月鳩居堂さんに展示した作品も並べるので 賑やかに

どうぞ皆様お出かけ下さいまし

結婚披露宴

2014.11.16

大きな結婚披露宴に出席。

このところ何回か書を長く一緒に勉強している方達の お子さん達の結婚披露宴に出席している。

昔は あのテーブルにはひと世代昔のひとたちが座っている と思ったものだが 今では自分が そう思われるテーブルに座るようになっている。

時が縦にも横にも広がっているのだと実感する場なのだと思う。

さて後一週間で展覧会。部屋の中は荷物の山。

今回はとても難しいもの取り組んだ人たちが多く、作品がまとまった時点で私はゴール感覚を味わってしまい、元々得意でない宣伝活動がほとんど出来ていない。

これを目にして下さっている皆様 もしご自身のフェイスブックとやらをお持ちでいらっしゃいましたら一言宣伝してはいただけないでしょうか?

25日から30日まで 銀座鳩居堂さん4階 小澤蘭雪 蘭の会 書作展 テーマは 異 です。

お目にかかった事のない方 どうぞ お声をお掛け下さいまし。

会場で大きな声で バタバタしているのが 本人です。

 

三四会41回生クラス会

2014.11.15

誠次さんが行けなくなってから私一人でいつも参加している。

今日も60人ほどの同窓生、そのうち20人ほどは夫人同伴 というまとまった楽しい、そして この頃は お互いが元気でいることを確認し合うことも大事な要素の会になっている。

心療内科の先生が こうして見ている限り世の中の認知症の存在比率より大変低く この同窓会出席者ほとんどその傾向が見られない とスピーチをされた。

頭のことは全くお話しにならない私だけれど、 皆さんが私を見てにこにこして ’元気そうですね。元気でいいですね。’とおっしゃっていただけることが私のこの同窓会での存在意義とおもっている。

20年ほど昔 未亡人になっても何か外での付き合いがあったほうが良い、と思った先見の明のある方達が奥さん達だけの第二同窓会を立ち上げた。来年私ともう一人が幹事となることになっていて 今日はそれ用のチラシを作って行って 宣伝した。

 

おすすめします。

2014.10.17

小泉先生の 猟師の肉は腐らない を読む。

読売の書評に 読み終えるのが残念でたまらなかった とあった。

平らな紙面に 印刷されている活字が生命を持って 内容を 生き生きとした立体感とともに読み手に届けている。

久しぶりに心に染み入る一冊だった。

のこった。のこった。

2014.10.15

半紙 という同じ土俵での皆さんの作品をどう会場に並べるか、という、一番の楽しみであり 苦しみである 最終準備段階。

今回は今まで以上の実務的手助けをたくさんして頂いたので 大変楽にことがはかどるはずだった。

異 というタイトルにして、平安初期、日本人が異国 中国の書をそのままどん欲に吸収していたことから 多くの方達に 嵯峨天皇が書かれたとされる李きょう(漢字が見つかりません)の詩に取り組んで頂いた。

この日本人離れした というか 中国人そのものの横綱格書風に挑戦したのは無謀だったのでは と ずっと思わされた毎日だった。

いつもなら 皆の作品を整理して表具屋さんにお渡しした途端、私は明るくバンザイ三唱で楽しく次の計画を立てているところだが

今回は ’おとといおいで’ と拒否される事はなかったと思うが、私は今現在も ’肩で息をするのがやっとでまだリングに残っています’

という感じがしている。

という状態なので 今夜のイギリス大使館での大和日英基金25周年パーティー のこと、その後渋谷ひかりえでのファッションショーのことなどは またの機会に

蜩の記

2014.9.30

思いがけず 蜩の記 の試写会に

落語も今はまず状況説明から と聞くが 時代劇も丁寧に 理詰めで 説明しながら 話が進む。

気になったのは 巫女さん4人の舞で そのうちの一人の身のこなしが 神様のためにでなく お客さん私に魅力を感じてね、という動きだったこと。指導者の関係者だったのかしらん。

白毫寺 新薬師寺

2014.9.19

絵付け ならぬ 字付けのため奈良へ

午前中 で終了、 窯元の近くの 白毫寺 と新薬師寺へ連れて行って頂いた。

萩が見頃の白毫寺から奈良盆地を見て 京に都を遷すまで この空間であちら こちらと遷都していたのだ と実感。

新薬師寺の十二神将、 自分の干支の大将が 左手をピッとまっすぐにあげた きりっとしていて華やかな姿なのが 誇らしい。

時間があったので 京都で知恩院さんにお参りに。平成の大改修 とかで迷路のようになっていた。

このお寺は 訪れる人たちにとても優しく おおらかな態度で接して下さる という印象がある。

広いからか 浄土宗 の体質か

何はともあれ 嬉しい事です。

マレフィセント

2014.8.30

映画の翻訳をなさっている方の推薦で マレフィセント に

余計なことには深くかかわらず 純なものに対する者も純になる という点に焦点を絞り 主役の気持ちが変わって行く様子をゆっくりと追ったので 大人が見ても という内容になったのではないかしらん。

それに 隔離 純粋培養されていた相手だったから ごちゃごちゃ がなかったのかも

と 結論を急いでいるのは 今 五目ご飯を作ったので いかが? という嬉しい連絡があったからです。

では いただきにいってまいります。

能力?

2014.7.23

ロンドンのAsia House の方が去年私に会った時 これから先あなたの作品に会員の注目が行くよう応援してあげるから新しくホームページを立ち上げて と言ってくださった。

ご親切にも東京松屋さんが協力してくださり新しくホームページを作ってくださった。

私がハシハシせず 内容がまだおおざっぱなままになっているのを 今年 又その方にロンドンで会う時どう言い訳しよう と まるで夏休みの宿題をしないで学校に行くことになったような心細さだった。

ところが 私の予定と彼女の夏休みがぶつかってしまい会えない事になり、 残念 なのだが ちょっとほっとした。

旅行から帰ったら今度こそしっかりしよう 松屋さんにも本当は出発前に今の様子をお話ししなければ などと 考えていたら、 足りないものを買いにたまたま入ろうとしたデパートの入り口で東京松屋さんのお嬢様にお会いした.

なんという幸運。

でもこのようなことは私には良くおこる事なので余りびっくりはしない。

以前 シェイクスピアの作品を題材に書展をした時 あのお忙しい小田島雄志先生に地下鉄路上入り口でばったりお会いした。”ボクちょうど暇です。”とおっしゃって お茶をいただきながら準備状態を説明したら 先生は急に出来の悪い生徒に対する態度になっておしまいになり ”こんなことで 私はもう心配で心配でたまらなくなりました。あなたのお手伝いをしてくださるという方に

こうこうしかじか この本 あの本からこうして ああして とお願いしてください。” とその後は頼りない私抜きで すっかり最後まで目を配ってくださった。

その後 しばらくして ちょっと 本当はここを小田島先生に伺えたなら と思っている時、 ただ友人との待ち合わせのため聞いた事もない新しいホテルの前に私が立っていたら ”宝塚の会に呼ばれて初めてこのホテルに来ました。” とおっしゃる先生にお会いした。もちろん伺いたい事を伺えた。

もう一つ足すなら 私の手には先生がお書きになったシェイクスピア関係の本がたまたまあった という何とも言えない 調子の良さ だったのには私もちょっと驚いた。

さて本当に驚いたことは 私と先生の間にたって、シェイクスピアの原本からどこをどうどの私の文字に当てはめるか、 細かい事をしっかりやってくださった優秀な同級生に対して、 小田島先生が まことに丁寧な文章の手紙を、あなたもご苦労様でした といったものでなく、先生が彼女にお願いして手伝って頂いたことに感謝して という態度の内容のものを下さった事だった。

明日からイギリス 書のクラス7年目 です。

パガニーニ

2014.7.19

もうじき出かける為のスーツケースの蓋をやっと締め パガニーニを見に日比谷へ。

旅の支度が積もり積もっているいろいろな事物の整理から始まる といういつもの悲しい現実。

さて映画館で前後左右に観客がいるのは久しぶり。

演奏会の盛り上がる様子が 条件の良い時の歌舞伎と同じでわくわくした。

とても良く出来た音楽映画で コンサート、 二つあったベートーベンの映画に続き 会場を出たところでサウンドトラック版CDを買う。

劇中で大事な意味を持つ歌曲の日本語訳が画面の下の決まりきったところではなく、効果的な場所に出されていた。

内容を理解しながら美しい歌声を十分に楽しむことができた。

さてCDを聞きましょう。

 

ちょっと困ったことに

2014.7.12

7月10日

大きな台風が、、、という時に、予定していた歌舞伎座夜の部へ

その日その日によって観客の層も違う事が解る歌舞伎座だけれど、今夜は今日の観客のせいとばかりとはいえないのではないかという反応を見た。

岡本綺堂の修善寺物語

昭和45、6年 太田市の出来て間もない市民会館で先々代の三津五郎丈一座の修善寺物語公演があった。

父がこの舞台を呼ぶのにかかわっていた。

当時三津五郎さんの奥様と私がお茶でご一緒だったこともあり舞台が始まるまで三津五郎さんを個人でいろいろ珍しい品を集めている小さな博物館のようなところにお連れしたり、劇場前の花輪に布団屋さんで作ってもらった座布団を組み込んで贈ったりした。

物知りの三津五郎さんは私と父にいろいろなことを教えてくださり 博物館とはちょっと言えない展示部屋にある品々にも興味を示してくださった。

夜奥様から電話を頂き大変喜んで戻りましたのでお礼をそのうち、、 と そのことについてはまたいつか にして、、、

満員の観客は芝居に感激、続く口上で ”こんなに皆様が喜んでくださるのにどうして私たちをもっと太田に呼んでは下さらないのですか?” と歌舞伎の口調で三津五郎さんはパッと見事にその場の空気を一つにまとめそれを大きな渦のようなものに盛り上げてみせた。それは見事だった。

さて 今夜の同じ出し物

最後 夜叉王の、わが娘ではあるが若い女性が死の苦しみにあるところを観察するのは面打ちの自分にとってまたとない機会 といった意味の肝心な台詞で  理解出来ない という失笑があちこちから起きた。

どうも連日起きているのではないかと思えるような 当然のあっけらかんとした笑いだった。

芝居で自分に理解出来ないことがあったら 何だろうと疑問を持つ 知らない世界を学ぶ という考えはないらしい。

自分に解るものしか解ろうとしない ということではないかしらん。

画像でよく見る 歌を聴かず観客が声を出しながら飛び跳ねている、自分の為だけに音楽会を利用する様子を思った。

ちょっと困ったことになってきていやしないかしら?

 

山茶花クラブ文芸朗読会とブライス先生の思い出を語る会

2014.7.5

学習院で題名のような会に出席

関係者は校内で優秀だった方達なので まさか私がほんの少々でも出入りするようになるとは夢にも思わなかった。

ワーズワース とバーンズ に関する書展では大変助けて頂いた。

アイルランド スコットランド イングランド の歌を原語 日本語で歌われた先生がいらして、

バーンズの ”我が心はハイランドにあり” という詩が 日本の ふるさと のメロディにぴったり合ったのにはビックリ。いつか 現地の人の前で披露しよう。

ピラミッド校舎がなくなり四角くて高い建物が校内に多くなった。

plane living high thinking が学習院のモットー と主催者の荒井先生がご挨拶の中でおっしゃる。

まさに太陽の真下で

2014.7.3

帝国ホテル レ セゾン のシェフ ヴォワザンさんがシャンパーニュ騎士団 オフィシェ ドヌール を受賞されたお祝いのメニュー をいただきに。

優しく凝ったコースの最後のデザート まさに太陽の真下で というジュレ、グラス一杯 は見事だった。

豪華な室内でなく 言葉の通りからっとした空気の中 きらめく水の面を見ながらいただいているような錯覚に陥った。

いつかアンコール をお願いしよう。

周りに他の客がいなかったので 思わず一枚撮った写真はそのうちに

ブログ

2014.7.2

数年前 ある親切なその分野で先頭を走っていらっしゃる方が、 私にホームページ そしてブログを持つよう 勧めてくださった。

言われるまま その後すぐにその場を作ったので彼女に早いと驚かれた。

今朝 東京駅近くでの待ち合わせのため準備していると ”先生 今日はお習字が、、、”というメールが

”アレー またやってしまった!” と自分では余りびっくりはしなかったが ”私がいないのを良い事にさぼらないで ちゃんと書いて送ってね” と電話をしたら こんな感じです と写真が送られてきた。

一人は書いているのにもう一人はメールかなにかしている。”メールしないで字を書いて” と返事を送ったら ”今 。。さんが 国立博物館 平成館 書譜 と調べると先生のブログが出てきたと言っています。” とのこと。

勝手なもので ”よく それに気づいて下さってありがとう!嬉しい!” と態度が変わってしまった。何ということ。

すべった 転んだ というお恥ずかしい内容の私のブログを見て 一緒に勉強したいと思いました、 とおっしゃってくださる奇特な方たちもいらして 今の世の中はこうして話が広がって行くのだ と実感しています。