1971年、誠次さんと数日間立ち寄っただけのウィーンへ。
10日に市内のdesignflagshipというショールームで
Cherry Blossom Summer,The Art of Japanese Livingのオープニングパーティーがある。
2日間で組み立てられるという秋田杉を使っての日本間キットを
ヨーロッパに紹介するのが目的。
300人程の出席者だそうで、私の役はその場での日本書道のデモンストレーション。
殆どの荷物はコンテナで現地に着いているが、全て行ってみてからの話で
私は明日、小屏風を持参する。
結果はウィーンからお知らせします。
英国大使館で開催された日本スコットランド交流協会総会 に出席。
パーテーイの準備の間 廊下に出ていて 竹鶴氏のお孫さんの竹鶴氏にお目にかかる。
テレビのマッサンを一度も見ていないので私は申し訳なかったのだが お話しさせていただく。
お髭のおじいちゃまと同じ時間を過ごされたことがあるのですか? と伺うと おばあちゃまは8歳まで おじいちゃまとは26歳までご一緒だったとか。
歴史がぐっと身近なものになる。
テレビの内容に満足なさいましたか?とお聞きしたら 個人的な話ですし現在の会社につながっているということもあり難しかったと思いますが とても考えてよく作られていたと思います。とおっしゃられた。
あなたはスコットランドとどんな関係が?と聞かれたので ’11年のエジンバラでの展覧会、 ロバートバーンズの詩10点をスコットランド国籍 イランのクヲーターの女医さんがペルシャ習字で、わたしが日本の書で書いたもの の説明をしたら それはなんとも 稀有な発想ですね。と驚かれた。本当にびっくりされたようなので そう言われれば エジンバラででも同じことを言われ 内容的にも好評をいただいたことを思い出した。
パーテーイでのスピーチで 竹鶴氏は おばあちゃまの目は緑で お洋服を同じ色に 暗くなると目の色が灰色になるので お洋服の色もそれに合わせて変える方だった。家の中では日本語で話していらしたがお孫さんを叱るときは英語だった。これから北海道にあって、彼女の女性としての活躍について調べたこと知っていることを記録に残していきたい とおっしゃていらした。
6日からのウィーンへ8月スコットランドでの展覧会用資料を持って行ってお勉強しないと間に合わない!という感じになってきているのが現実!あれー!
周囲に助けてくださる素晴らしい方たちがいるので私はどうにかこうしていられるけれど 着実 堅実に一歩一歩 ということができない性格がホント 災いしております。
5月15日 歌舞伎座夜の部へ
丸橋忠弥 が 幕府転覆を考える浪人でなく ただのすっきりしない酒飲みとしか見えない。
酔っていても そのふりをしているにしても着物が体に添っていなければ乱れた美しさも出てはこない。
犬役が活躍するので 犬に会ってから思いついた行動で石をお堀に投げてみたと見えてしまう。
もし話が その時思いついた という設定になっているのなら もっと犬を利用した感じにしなければ間が持たないのではないか?
由井正雪は美しく、丸橋忠弥は苦みばしった玄人好みの男前 と決まっていたものだった。悪い方としての存在なのだから よほど魅力的でないと人は注目しない。
日本人の体型が変わってきたのが浮わついた感じになる原因とは思うけれど 化粧、鬘、着付け、身の動かし方で少しはカバーしないと。
芝居は何かお祓いをする効果がある と実感する蛇柳。
若い人もたくさんでる め組の喧嘩 もっともっと立ち姿の良さを勢揃いの場で全員から見せてもらいたかった。
鳶の衣装は誰が着てもカッコよく見えるものなのだから鏡の前ですくっと立って自分に見惚れて良い気持ちのまま舞台に出てきてもらいたい。
両国にテレビがないし 太田にはBSがないので知人に録画しておいてもらった 昨夜放送のNHKBS新日本風土記 善光寺 を見せていただく。
従姉妹の汜子ちゃんが最初から最後まで取り上げられている。
善光寺様の裏の丘、伯母や母が卒業した西高のすぐそばで伯母と同じにお茶の先生をしながら住んでいる。
母と伯母は兄弟の中で女二人だったので大変仲良く 私が子供の頃遊びに行くのはいつも長野のこの従姉妹の家だった。
晩年の伯母と早朝善光寺様にお上人様からお数珠をいただきに行くようになって今年で23年、 という彼女の様子を丁寧に取材してくださっている。
お茶にしても お参りにしても長く続けているからか 長く続けられる人だからか 気負い てらいがなく 淡々と、でも枯れてしまった感じではなく、自然でさっぱりした人柄が出て、どんな信者も受け入れる鷹揚な善光寺様をとりあげる番組にはぴったりの人選だった と思う。
母たちの実家は善光寺様の近く、門前町ではないが、で 叶屋という、 義士の誉れ というお菓子や 金平糖 を作っている店だった。
5人の幼い子供と祖父が知人の証文についた印がもたらしたものとを残された私の祖母が それでも若い女手一つで立派にやっていたが 戦争で使っていた男手を取られ などなどで叶屋は戦後にはつながらなかった。
この祖父は 善光寺様の裏に劇場を建て 歌舞伎役者と一緒に乗り込み をやったりしていたらしく これでは 財産は残らない。
母が5歳のとき亡くなっているので実感のない祖父だが どうも血はしっかり私に伝わっている感じがする。
それはともかく
”えびす講の人の流れが店の前を途切れることなく 売れたお菓子の代金を大きな籠にいれて小僧さんたちが土蔵に運んでいる風景が忘れられない、 あなたの家は幸せだったわね。” と同窓会で言われて貧しかったという意識しかなかった母は 心底びっくりしたらしい。
先日そのえびす講の元の神社に私は初めて行ったけれど それだけこんだ ということは 今のように いつも いつでも遊びに出て歩いたりものを買ったりするという時代ではなく 人が出るときはみんなが出る 買うものは皆同じ ということだったのだろう。
その神社から 厚着をした人波が 暗い闇の中、夜店の光に挟まれて 電球のオレンジ色が眩しいかなり距離のある店先迄続いている様子がふと実際に見えたような感じがした。
母も伯母も 会えば 帰る実家のないことを嘆き 善光寺様との地理上の近いつながりの一つがなくなってしまったことを嘆いていたが 今度の番組は天上の二人をさぞ喜ばせたことだろう。
汜子ちゃん NHKさん ありがとう。
そうそう 再放送が5月15日朝8時にあるようです。
どうぞご覧くださいますよう。
毎朝善光寺様の大僧正様から一番のお数珠をいただくことを日課にしているいとこについて朝4時の道を小走りに。
石畳に番取りの品をおいてから暗い境内をあちこちお参りしながら一周。
すでに境内に人々の姿があり 寺院関係者ももちろん活動していていつもの自分の生活の時間との感覚の差を感じる。
お寺から帰ってからの時間が長く 3日分のように感じられ 早起きをするのは二倍も三倍もの人生を生きる方法 と実感したけれど 4時から動き回っていたという考えが頭を離れず 次の日からのお昼寝で その日得た貴重な時間をあっという間に使い果たしてしまいました。
何年もこのお勤めを続けているいとこの朝の様子は5月8日BS3の新日本風土記 で 取り上げられるそうです。
どうぞみなさまご覧くださいまし。
大変久しぶりに桜の会に出席
式典に先立ち平野啓子さんの語りで 瀬戸内寂聴師の しだれ桜 ほか、桜と人との不思議な縁 という講演会。
今日は 昨年私がゲストで参加した会で 同じ作品を聞いた時 私が桜の女王の二代目の準だったことを 平野さんに紹介して下さった先生とご一緒する.
平野さんは舞台から私がすぐ解ったとおっしゃって 講演の最後の方でで私を紹介して下さった。というか
女王たちの活動、様子などをお話しになって ”皆様の中にも代々の方達がいらっしゃると思いますが 手をあげて” と私の方をご覧になりながらおっしゃったので手を挙げたら ”書の先生で、、、” とおっしゃって下さった。
私は 立って ”今日はありがとうございます。”と申し上げたが、今考えてみれば手を挙げたのは私だけだった というわけ。
昔から衆参議長、各党の幹事長 その他の方々が超党派で出席して という会の様子は変わっていない。
今年は宝くじ協会から26000本の桜の苗木の寄付があったとか。
昔参加者にも配っていただけた時 5本いただいて 東小学校に一本、帝国ホテルの料理長でいらした村上先生に一本差し上げ、太田の家の庭に種類の違う3本を植えた。村上先生は咲くようになってからは毎年 ”今庭の八重桜がとてもきれいです”と報告して下さった。
実はこの後立ち寄ったさきで またまた私がビックリするような出会いがあったのだけれど長くなるので またいつか。
びっくりした私はその方に ”私はとても運が良く 多くの出会いがあって皆様に助けて頂いておりまして 自分でも驚いているのです。” と申し上げたら その方は ”いいえ それは運ではありません。 その人が呼び寄せる必然なのです。”とおっしゃった。そして ”おこたにあたっているだけだったら出会いはありません。” と 確かに
アメリカの友達から今届いた手紙に
今年は愛媛県人会の創立105周年のパーティをしたいという人がいて、その時、、賞を受賞した、、さんにも声を掛けてきて頂こうということになったのですが なんと来るのに 本当は2万ドルのところを同郷だから1万ドルでよいといわれ 関係者の人たちもびっくりしたそうです。 ただ食事をするだけなのに それは ちょっと高すぎると その話は立ち消えになってしまいました。
とあった。
写真の顔を見れば解る と思っていたが、噂の通りなのだ と実感。
お金の話をするのではない 高い安いは言わない。値段は相手の事情で決まる事で 高いと思ったら 黙って買わなければ良い。と言われて育ったので人様にご迷惑をかけることもあり 反省する事もあるのだけれど 刷り込まれた感覚は直しようもなく お金がないからこそ呑気でいられる とひらきなおって私は日々を過ごしている。
新聞広告で 何故か これは行こう と思って初めてJR東海ツアー ”夜桜の天蓋 平安神宮しだれ桜 と選りすぐりの名所めぐり” に参加。
二時間サスペンスだと必ずバスの中に怪しいカップルや 犯人が乗っているけれど 同乗した方達は方達は とてもすっきりとしていて 気持ちのよい一日を御一緒させ得て頂いた。
朝6時発 夜11時半着の新幹線という離れ業だと心身ともに健康な人が集まるのかもしれない。
桜漬けの一日、行く先々で以前同じ場所で経験した事を思い出す。
これから入れようと思っている写真は祇園の郵便局。鍵善のお菓子をここから自分で送っていた。タクシーの中で父と運転手さんに荷造りをしてもらったりしたことなどが目に浮かんだ。
6月10日ウィーンで書のデモンストレーションをするパーティの題が Cherry Blossom Summer “The Art of Japanese Living.” なので今年は長く桜とおつきあいする事になりました。
どうも上手にできません。
ここに後から入るとしたら 太田の庭の桜の写真2枚と両国のアパートのベランダからの写真一枚です。
初日の 生誕300年同い年の天才絵師 若冲と蕪村 へ。
たくさんの作品で豪華な時間を過ごす。
六曲一双の屏風に大きなやさいを描いた作品、 好きな慈姑がいかにもおいしそうでそのみずみずしさが今になっても目に浮かぶ。
お昼の後、この夏スコットランドでのバーンズの展覧会について友人に助けてもらう件で打ち合わせ。
初日ギャラリートークで バーンズ記念館館長さんと作品の前で何か自分の作品の説明をすることになっている。
シェイクスピアの台詞や ワーズワースの詩とはちょっと違う感じなので これから声に出して読む練習が必要と思われる。
イギリス人にとってもスコットランド調でバーンズの詩を読める人は珍しいと聞いているので あえ あへ などとなってしまっても仕方ないのかも、、、
その後浅草に普段履きの草履を買いに。
去年の雪の後 長靴を探しに行った時 ここ十年ほど京都の賑やかな通りで まとめ買いをしていたはきやすい草履と同じに見える物を売っている店を目にした。
京の目抜き通りだと言うのに 秋に行ってみたらそのお店が閉まってしまっていたので いつかその浅草のお店に行ってみようと思っていた。
手にしてみると ちょっとすっきりした感じがなくて残念だったが そんな事は言ってられないので試しに一足購入。
お彼岸用あんこを買いに梅園へ。
チャンスなのでお腹が空いてるいないには 関係なく 粟ぜんざいをいただき 浅草寺様には通りから一礼で失礼してしまった。
新内協会主催 新内鑑賞会へ
協会に最近入会された富士松小照さんに誘われ 紀尾井ホールへ。
五人の演奏を聴く。
一人男性、以前平家物語のDVD で新内仲三郎丈と共演していらした新内剛士丈。説得力のある舞台だった。
他は女性演者の昼の部。
わかったことがある。
小照さんの芸は 競い合って もまれて身につけたものでなく 天才少女が良い師に恵まれ芸の先をのみを見て、努力を続けているものだということが、、、
孤 のきらめきを強く感じ
公 と 芸 と 団体 と 活動 などについてまた考えさせられた午後だった。
1964年夏 AFSの交換留学生 クリスティーが我が家で2ヶ月を過ごした。
ここ5年近く彼女の周囲の人たちと音信が途絶え このままになってしまうのかと寂しい思いをしていたが 物は試しもう一度 と彼女の姉に出した手紙から 今日クリスティーの旦那さん Con からメールが送られてきた。
彼女の周囲の人たちと音信が途絶え と書いたのは 以前父とウィスコンシンに彼女や彼女の家族を訪ねた時 ”実は、、、”と告げられたのは その前の年、キャンプに行って蚊に刺されて脳炎になり 命は助かったものの普通ではなくなったということだった。
頭は良いのだけれど 元々ぽーっとした、夢を見ているのではないか と思うようなところのある少女だったので ”おとーさん 、とくこ”等と言ってにこにこしていれば全く 違和感はなく彼女が作ったアップルサイダーを飲んだり 彼女の母や近所の人が手伝って作ったという御馳走でお昼を一緒にした。
別れる時、 日本にいる間は彼女に対しては一切英語を使わない とがんばり通し 人に涙を見せた事のない父が ホロリと泣いていたのが印象的だった。
この思いがけない 出来事とは別に 今日も なんと周囲の方に親切にして頂いているのか と感激するような事がいくつもあった。
巡ってきたこの嬉しい時を大事に持続したい。
いつも近くのトリフォニーホールで聴く新日本フィルを今日は井上道義氏のサントリーホール復帰というのでそちらへ。
都内復帰第一回は紀尾井ホール ミュージカルからの曲で軽やかに だったが 今回は現代音楽。
実は昨日トリフォニーでの公開練習で 何か日本の笙のようだ と曲名も知らずに聞いていたのだけれど、今日解説書を開いたら、その曲は武満 徹氏の 地平線のドーリア というもので、雅楽の笙の音色を連想させ、、、 と書いてあった。道理で、、、。
練習の時感じた事はまた後で書くとして
オリオン マシーンという二曲目の作品も素晴らしかった。
トロンボーン奏者の優れた人がいて初めて可能な 昔の大きなスクリーンでの大作映画を見ているようなスケールの曲だった。
何とその曲の作者 吉松隆氏が私の斜め前の席にいらして舞台の井上さんから紹介されて会場の大きな拍手を受けていらした。私からも特別な拍手を。本当はこのような曲を作られた御本人に触れてみたいと思ったけれど そうもいかず我慢を。
ちなみに私の前の席はお元気そうな なかにし礼氏でいらした。
万年青年のような井上道義氏だけれど とても良い年のとり方をなさっているのではないか とこのたびの選曲やお話の内容をうかがっていて思った。
この先私たちの周囲には素晴らしい大人がたくさん現れてくるのかもしれない。