初めての経験

2016.3.25

手荷物その2がヘルシンキからのらなかったらしい。
お土産と暖かいズボンくらいしか入っておらず
というかあまり何を入れたか覚えていないが、困ってはいないけれど、、
この報告は後程
恐れていたが 道路の雪がなくて安心しました。

明日からウクライナ

2016.3.23

以前ウクライナ大使夫人として書を一緒に勉強してくださっていたオレナさんはずっと いつか私にウクライナにきて欲しいと言って下さっていた。

この度個人旅行としてウクライナに私を誘ってくださった昔からの友人がいる。そして  その友人に誘われた、 と言うか 二人で行く、 と友人が話したら ’ボクも行きます。’と名乗りを上げてくださった男性がいて 結局3人での旅になった。

と言うわけで キエフに行きます とオレナさんに連絡すると 私のメールを赴任したばかりのオーストラリアで受け取った という返事が、、、

知り合いに頼んで会場を設定するのでデモンストレーションをして欲しい、 とオレナさんが現地の方たちに働きかけてくださり 大使館主催と合わせて5回の実演をすることになった。

イギリスと違い 行ってみなければ様子はわからないが まあどうにかなるでしょう。

ブログで上手に伝えられると良いのだけれど 連日着物で動いて喋って という予定なのできっとばたんきゅうの日々になってしまいそうな感じがします。

では 行ってきます。

丸善で

2016.3.2

たまたま列に並んで尋ねることになった店員さん

’ウクライナ とモスクワに行くのですが興味を持てるやさしい本を教えて’

’旅行書ではないのですね  うーむ’

’例えば私ディック フランシスのロシアを舞台の本読みました。読み終えられないような大作はダメ’

’うーむ’

’はい 探して!’

’ではまずこれなど。 あれ 私が好きなのがないなー。’

と まずドストエフスキーの ’二重人格’

オレナさんのメールにゴーゴリ とあるのを見て

’ゴーゴリ 難しいですよ。 でもこれは短いので どうでしょう?’

’帰ってから読むことになるかもしれないけれど一応 こんな時でもなければ触ることもないでしょうから いただきます。’と ’ディカーニカ近郊夜話前編’。

’モスクワを舞台にしたサスペンス とか?’

’今は妙に色っぽいの(実際の言葉は忘れました)ばかりだったりであまりお勧めできません。ちょっと面白いのがあります。’と ’犬の心臓’ を

’気持ち悪そう’

’風刺、ユーモア です。’

’ちょっと怖いけど 題を聞いたこともあるので一応’ と計三冊を求めてきました。

なんとその方はロシア文学が専門だったそうで この私の運の良さ!

さあ行く前にどのくらい読めるかしら?

行く時はやはりディック フランシスの めげず 不平を言わない主人公が活躍する競馬ものをバッグに入れて出かけます。

三味線の響

2015.12.25

6日の 今藤長十郎さんの演奏会 残念ながら私は伺えなかったのだが パンフレットを いらした方にいただいた。

チェロとお三味線の曲を作られたそうで、解説に

”歩み寄らずに融合出来る事は可能かどうか?迷いましたが、、、”と書かれていた。

素晴らしい方 と感心感激した。

和楽器と洋楽器と一緒の演奏はただ日本の楽器を使って楽譜に合う音を出しているに過ぎないものが多くがっかりする。

ただペンペン ポンポン同じ音階の音を出しているだけのように感じられる。 前後の余韻 間を取り入れる、 特性を残して異質のものと一緒に、 というのは難しいことなのだと思う。。

ただ音を合わせるのならコップの周りやドラム缶やその他の音の方がまだ楽器の主体性が残っているのではないか?

歩み寄らずに融合を という 考えのもとにできた曲をいつか聞く機会を持ちたい。

春待月の宴とムジカーザ20周年記念特別コンサート

2015.12.12

富士松小照師匠久しぶりの演奏会

数十人で聴ける贅沢な会

残菊物語、明烏雪責の段と流しの形で蘭蝶を少々。

子供の頃大映映画で長谷川一夫 と淡島千景の残菊物語を見たのだが 暑い夏の場面 西瓜をおとくと二人で食べるところで息が白く写っていたのが忘れられない。

現代の人は 師匠の言いつけは絶対、好きな人のためなら自分を犠牲にできる という当時の考え方に同調できなくても そういう考え方があった と素直に飲み込んでしまわないとしらけてしまうことだろう。

同じテーブルの方たちが ”その古い考え方は間違っている と思って聞いていても 泣けてきてしまうのですね”とおっしゃっていたがそれが芸の力なのかもしれない。

音符では決して表すことのできないこの調べ どのように伝えられるものなのか

夕方は打って変わってモーツァルトのクラリネット五重奏曲 と動物の謝肉祭

20年前同じ出し物で第一回のコンサートが開かれてから 会員制の音楽会が20年続いている。代々木上原駅近く 建物が素晴らしいので稼働率がすごいらしい。

今日はお祝いで会主がピアノを 旦那様の井上道義氏もピアノ 指揮 と全員和気藹々と大変盛り上がった。最後に ”伴奏とどう音楽を合わせて進めるか等 打ち合わせはいらない” と井上さんがおっしゃってみんなで合唱したが さすが スムーズにことが運び 少し指揮者の働きを直に理解することができた。とても気持ちの良いものだと実感。

タイミング

2015.11.7

11月7日

今ポストへの郵便物を持って下へ降りたところ ポストの前には何かの車が、、、 集配の方がポストから出した袋を持って 後ろに止めた自分の車に向かって歩いている目の前に私が手を振っていたというわけで めでたくセーフ。

今年は日本桜の会設立50周年で春に大会が憲政記念会館で行われたが 今日は桜の女王OG が十数人集まり親交を深めた。去年までお役目を務めていた3人のお嬢さんと各年代にばらけている他の参加者。

最初このOG会が出来た時 名前を 姥桜の会 としようか とみんなで明るく笑っていたが 今になってみると もしその名前だったら 悪い冗談としか思えない事態になっていたことだろう。

学校、結婚と重なり 私は地方での植樹祭には参加することもなく 都内でのパーティー、その他気楽な活動しかしなかったので 今日集まった方たちの間に入ると小さくなっていなければならない立場なのだけれど まあ遠い昔のこととしてお許しいただいている。

全体の印象は 選ばれてから改めていろいろ勉強する機会を与えられ 明るく はきはきと 姿勢良く という感じが共通している。

来年2月新女王が選ばれるが応募締め切りが近いので どなたか推薦していただける際は次のアドレスへご連絡くださいまし。アメリカ、ハンブルグ、ハワイ、サンクトペテルブルグ など訪問するそうです。

http://www.sakuranokai.or.jp

 

 

8月1日リンリスゴー

2015.8.1

ロバート・バーンズ生家記念館に行き、ゆっくり勉強して来ました。

墓地でシュミーズ姿で踊る魔女達を見た酔っ払いのタムが追いかけてくる彼女からやっと逃げて橋を渡り終わってホッとしたら馬の尻尾がちぎられていた、という話の橋にも行きました。

赤い赤いバラがたくさんバーンズ庭園に咲いていました。

帰りにこの写真のKELPIESに行きました。

30m、重さ300t以上の馬の上半身が二つ立っています。

100万ポンド以上で2年程前に出来たと聞きました。

初めていとおしくなる巨大な野外オブジェ作品を見ました。

 

 

 

 

 

7月27日 その2 お墓参り

2015.7.27

2008年夏、初めて湖水地方ハイアムホールという生涯学習のカレッジで1週間の書のコースを持った。
2009年、クラスの中の二人の女性がその地の文化方面有力者のところに私を連れて行き、展覧会をさせてあげたいと紹介した。
相手はこの地方での北に対する重要な砦 ISEL HOUSE の跡取りでロンドンの美術界で力をふるい引退した85歳の女性だった。

詳しいことが解らぬまま、作品を持ってついて行った。公開されている大きな暗い建物の裏庭で一緒にお茶をいただいた。私を連れた二人の女性は明るく普通にしてはいるのだけれど、腰を少し引き、尊敬しながら奉仕する、という態度で手伝っていた。作品を見てすぐに「まるで現代アートの様でとても良いわ。ラスキン記念館でも、ワーズワース美術館でも好きな所で来年にでもいかが?」と言って下さった。
次の日、パリに行く予定だった私は次の年では現地を見る暇もないと考え2011年にワーズワース美術館でUnadorned(飾り気のない、スッピンといった意味)という展覧会を開くことが出来た。6月8日から8月一杯の予定が飾った途端、10月末まで展示することにしようという嬉しい決定をいただいた。
2012年エジンバラでの二つの展覧会、この夏のリンリスゴーでの展覧会へと道が続いている。
2013年には所有者が留守にしている大きなお屋敷に私と、私を彼女に紹介したジェニーさんを呼んで「この景色、あの景色がそのままピーターラビットのこの本に出ているでしょう?」と案内して下さった。
子供の頃「ここを訪ねると全部が凍っていてその上を滑って遊んだものよ」とおっしゃった。
太田の庭でそこにいる方が少しの間でも手を動かして草を抜いて下さるという嬉しいことがあるが、貴族でもある年老いた彼女が友人の庭で働く姿は気の利く個人が優しい気持ちでパッと手を動かすというのではなく、そうするのだと幼少時からしつけられた固いものを感じさせた。
私がこちらに来ていると、会えない時は御自分の書いたカードを届けに学校を訪れて下さるのが常だった。
昨年亡くなられた知らせを受け、知人に相談したらこちらではカードを と言われたが知らない関係者に出しても仕方がないと思ったので昨日ジェニーさんにお墓参りに連れて行ってもらった。無人の ISEL CHURCH を雨の中、まだ石碑は立てていないかも、あの盛り上がっているところがそうではないか、等と捜したが知らない人の土の盛り上がりに花を供えてしまうのもおかしいので好きな木を選んでその下に供えたらどうかということになった。私が皆と 後でブログに書くワーズワース美術館を案内していただいている間にジェニーさんが街まで歩いて行って花束を買って来て下さった。帽子を忘れたと言って彼女の頭からしずくがしたたり落ちてたので私がゴシゴシ拭いてあげたけれどこれが我等なら肺炎ものだと思った。こちらの人達は骨でも噛める様な美しい歯をしているが体の出来そのものが違うような感じがする。この様な感想を書くとバチがあたるかも知れないけれど ホント です。

7月27日 その1懐かしいワーズワース美術館へ

2015.7.27

日本からのグループに時間を合わせ、こちらの人達と
2011年に5ヶ月間展覧会をしたワーズワース美術館を
訪ねた。
学芸員のジェフさんが図書館に私達を入れワーズワースの
死の直後、今から200年程前に出版された プレリュード の
初版本と 妹ドロシーの手紙をまとめた厚い本を広げて見せて
下さった。
御自分の世界なので 説明に熱が入り、筆跡からドロシーの
性格が解るか と 私に聞かれた。
びっしりと紙面を埋めているのは繊細な字で、間違うこともなく、
行も整い、落ち着いた感じだが 少数の字に右から左上にはね
上げる時 ちょっと変わった角度に細かく動きながら線を持って
いく くせ がある。隠しているところに鋭いひとひねりがあるの
ではないか と思った。
ヴィクトリア女王から贈られた インクと筆ペンセット も見せて
下さった。
黒い箱で紋章入りの銀のふたのインク入れ 特別と分る小さく
鋭い先を持った何とも言えぬ艶を持った羽根ペン。
先はすぐだめになるそうだが 手紙もこの位のペンで書いたも
のだろう とおっしゃった。
図書館に昇る階段脇の壁に「和」が掛けてある。もう1点「然」を
ここに置いてある と それも広げて見せて下さった。
5ヶ月 雨や日にさらされていたプリントなのにきれいに手入れ
がしてあり ジェフさんが「何と美しい!」「何と美しい!」 と
つぶやきながら紹介して下さるので ただやりました という
展覧会でなくて良かった と 安心した。
帰る時も ショップで働いている男の人が 「毎日 コーヒーを
持って 作品が掛けてある庭に行っては 良い気持ちになった
ものだ」 と教えて下さった。 良かった 良かった ありがとう

初めて衛兵交代を見る。

2015.7.26

何となく立ったのが正門前で子供達の後ろだったので様子を見ることができた。
馬は立派に揃っているが人間は長短、太細 いろいろでのんびりしている。
主催者側が 頑張って人を集める催し物でなく、見せていただくために集まるあの人数を、細かくことを運ぶ日本人からすれば、大変小人数で、大雑把に捌いて上手くいっているということに感心した。
照 りつける強い日射し、爽やかな風、多数、ごったに集まっているけれどイライラしない群衆の一人としてWhat  a  wonderful day!  の演奏を聞いていると   空は高く 青い  なんと素晴らしい日!  と大きな声で家族に呼びかけながら お昼を食べに 学校から二分の家に毎日帰ってきていたウィスコンシン州立大学学長の  私のアメリカのお父さんを思い出し、なんとも言えない気持ちになりました。

行って来まーす。

2015.7.24

隣りで子供ふたりが コーヒーメーカーのノズルの消毒は とか言っている。
そんなことよりお母さんが  テーブルに両肘を乗せて食べる姿を家族に見せるほうが のちの問題だと私にはおもえるのだけれど
というわけで 次はロンドンから

少数意見は常に正義なのか?

2015.6.26

近所に最近未亡人になった可愛い女性がいる。

角地の家で 緑が美しく家の周囲を巡り 歩くひとたちの目を楽しませていた。

急に亡くなったご主人は町内会のこと お稲荷さんのこと など一生懸命になさっていらした。

”その後元気?” と先日声をかけたら 道に緑が出ているのはいけない というひとが区役所に告げ口をして 、、、主人が元気な間は何もそのようなことは言われたことがなかったのに、、、と寂しい顔をしていらした。

”正式に区役所から何か言われてから考えれば良いので それまではそんな余計なことを言うひとのことは気にすることはない、元気を出して。”

くらいしか言えなかった。

今日通ってみたら 角のコンクリートの囲いが昔のペンキが色あせ はがれた状態でむきだしになっていて 緑は無残に刈られてしまっていた。

自分の顔を出すことなく 見えないところで文句を言って 汚くしてしまった人間  あなた と呼びかけるのも嫌だけれど あなたが一人で 大勢の人たちが周囲の風景として楽しんでいたものを取払ってしまったばかりか 薄汚い景色にした事実が判るのか?

自分は今 思い通りになって良い気持ちになっているかもしれないが  切られた植物 残念がるひとたちの想いがマイナス要因になって残るのも事実と思われる。

楽しい仕事

2015.6.20

ウィーンでのデモンストレーションの日、

準備をしていて、 このまま夜遅くまで休みなしではきっと参ってしまう と思い 店員さんにお茶を飲めるところを教えてもらった。

一分とかからない大通りに面した飲み物だけのお店で濃い紅茶を。

ふと 道に立っている広告塔、丸い筒で中に三種の記事があり 時々クルッと向きがかわるもの、を見ると、これからデモンストレーションをするお店の ”明日オープン” という広告が、、、

自分も道路の椅子に座って煙草を吸いながらくつろぐお店の経営者らしいお兄さんとなんだかんだと話を、

徳川家康が一番好きだ とポッチャリ型の彼が言う。

次の日帰る前にまた一休みに行くと、アメリカ人夫妻とわかる観光客が お金を払いながら、”いやー 良い所だった、ただ 私の後ろから煙草の煙さえ流れてこなければなー、、、”とか言っている。

私が大笑いしていると 家康くんが ”それは私なんだよ。” と言ったのでみんなでまた笑ってしまった。

顔を赤くしてその客が帰ったあと、 お兄さんは ”ここに来る人は観光客が多く、彼らは皆 心がウキウキしているので そういう人たちを相手のこの仕事が楽しくて好きなのさ。” と言っていた。

戻りました

2015.6.15

昨日6月14日ウィーンから戻りました。

今回の旅は 秋田の菊地合板木工という会社のヨーロッパ進出活動の一環。

ウィーンの家具専門店に本格的組み立て和室を作りそのお披露目パーティー。

奥様が全部の面倒を見てくださる。素晴らしい力を持った方です。

 

これから太田に戻るので ゆっくり書けないのですみません、月刊ウィーンというのをパソコンで探し6月10日分をご覧くださいまし。

いろいろ写真が出ていますが 最後の人混みの写真、真ん中下テーブル(見えないところ)に私がいます。

6−7時間人に囲まれああだこうだ といろいろ書いておりました。

私が書きたかったもの3点の作品 についてはゆっくりした気持ちの時に書きます。

ものがわかる人はいる 波間を漂って暮らす人もいる 国の性格がある 時の経過を知る などなど思うことにはきりがなく、、、 本当におもしろいですね。

チェリー ブロッサム サマー

2015.6.14

300人でも多いのに350人が出席したというウィーンの
大きな家具屋さんのパーティ
三角角店の立地を上手に使い 、道路でもゆっくり出来る様に出来ていて 、さすが人寄せに慣れている、と感心する。
私は7時間程大もて、大忙し。
デモンストレーションは地下の会場で。
余り多くの人に囲まれているので用があっても近づけなかった、といわれた。
そこをかき分けよばれたところにいけば 主役の菊地さんのスピーチが始まっていて、次が駐オーストリア名誉公使のスピーチ。 ドイツ語なので全く解らず、ただニコニコしていると 私の書の面での割と詳しい紹介、それもニコニコして聞いていたら急に話をと振られてしまつた。
アラ私急にそう言われても 何を言ったら良いかわからないけれど 下で書のデモンストレーションをするので皆様いらしてください。と、
次にこちらの社長さんが話出したとき ああそうだ、と思いつき、マイクを返して貰って この様な展示の機会を菊地さんや秋田の皆さんに与えて下さって感謝していると慌てて割り込んだ。
危ない 危ない、言わなければ後悔の種になるところだった。
実際のデモンストレーションで私が得た大きなものについては また落ち着いて