ロスアンジェルスの友人のお孫さんが2017年11月に
イケアの子供デザインコンテストで世界中から77000人の応募があった中
トップ10に選ばれた作品です。
イケア レインボークラウド で検索していただけると現れます。
寒さの日本から四年ぶりにロスアンジェルスに来て
こちらのiPadからキーをイライラ探しながら書いています。
では。
1月30日 火曜日
どこかで人身事故 とのことで いつもなら一時間十分のところ
4回乗り継ぎ 太田から浅草まで3時間もかかってしまった。
急ぐ用事がないのが幸いだった。
事故を起こした本人が悪いのに どうして放送で30秒おき位に
「お客様に多大なご迷惑をおかけして申し訳ございません」
と 謝り続ける必要があるのかしらん?
乗客は どうしたら良いのか に的を絞った案内をし
あやまる言葉を少なくしてもらったほうが喜ぶと思う。
今回 初めて電車で成田空港に来た。
名前は空港エクスプレス と言っても乗り継ぎだったりしてドキドキものだった。
車内放送は 客に聞かせるために話していない。
時々発声 発音の授業を必須とされることをこの際提案させていただきます。
11月20日
今日は朝からゆっくりお皿に字を と思っていたが 書 と違うのは いくらでも楽しく次々好きなことができてしまいキリがなくなってしまうこと。そしてそのキリのなさに飽きてパッと止める時が来ること。
今回もお昼過ぎた頃に もうここまで と思ってしまい やめてしまった。自分らしくないと思うのだが 書を書いている時とは何かが違うのだ と実感する。
短い時間 思うままに気楽にやっているのに がくっと疲れが出るのも書の時にはないこと。
さて空いた時間をどうしようと思ったら 焼き物の先生が降り出した冷たい雨の中を唐招提寺まで車で送ってくださった。
高校で 堀辰雄の文章を教科書で学んだ時 作者の写真を見て 丸いメガネも毛糸の帽子も病人のような風も嫌いだったが
エンタシスの柱に手を触れた時に感じたぬくもり という部分がその後何かにつけて自分の手が歴史を経て乾いている柱にそっと触れているように実感されるようになった。
氷雨の中 柱をただ見ているだけで 自分の手のひらに温かさを感じるのはなぜかしらん。
11月19日
京都紅葉人出の真っ盛り 競馬の野外馬券場が、、でより混雑しているらしい。
後で奈良に行かなくてはならないので荷物を持ったまま知恩院さんへ
受楽寺山門揮毫の際の奇跡的な出来事以来 大変身近に思えるようになったこのお寺は その宗派の特徴なのか ゆったりと参拝者を受け入れ そこで働いている人たちも親切な感じがする。
荷物を預けるところがありますか と聞くと ここで預かってあげましょう と 思いがけないところで言われ、また一気に改めて良いところだ と思うようになった。
帰り ありがとうございました 気持ちばかりです とポテトチップスを差し上げたら ワッハッハ と大きな声で楽しそうに笑ってくださった。
11月19日 知恩院
11月20日 飛火野の鹿
11月20日 唐招提寺
多数の皆様においでいただき、慌ただしい一週間を過ごした。
自身としては不完全燃焼だったが次回への戒めとしたい。
パーティーで、細く長くお付き合いいただいている評論家の先生と
この十二月でお店を閉じ研究生活に入られる神田清雅堂さんの御主人との対談をお願いした。
地味なお話になると思い、書の世界に本当に興味を持っているかどうかあやしい出席者の方々にどう受け入れられるか不安だった。
「あちらが痛い、誰がどうした、という様ないつでも出来る話に時間をさくのはもったいない。
今夜はこちらの話に注目して欲しい」と私が最初に頼んだのが効を奏し、耳を傾けていただけた。
お二人とも本物は何かを常に考えていらっしゃる方達なので話がぶれず、今働き盛りの方達にも共感いただけたようだ。
いままでの蘭の会のパーティーではゆっくり戴けなかった外国人記者クラブのローストビーフも
今回は抽選会の間にしっかり楽しませていただいた。
次の日からの活力を生む一日だった。
1986年 銀座越後屋ギャラリーでの最初の展覧会から 今回までなんども書展を開いてきているがこの30年間 先へ先へ と希望と嬉しさで自分の思うままに進んでこられたのはなんと幸せだったのかと改めて思った。
世間の書のプロの世界から遠く離れた場所で 好き勝手なやり方を続けている。
書く人 仕立てる人 会期の軌道に乗せる事務 写真 水屋 気分を盛り上げるイベント その他、
キリがないが それぞれの分野に適した方達の存在なしにはことが運ばない。
今までは恵まれすぎる状態できたが 需要が少なくなっている世界でのすぐれた技術の継続 がこれからの大きな課題になってくると思う。
小さい個人の力ではどうにもならないことなので 皆様のお知恵をお借りしたい。
では 良いお天気の初日 これからおめかしして行ってきまーす。
皆様会場でお待ちしております。
お声をお掛けくださいましね。
11月26日
愛の挨拶しか知らなかったエルガーだが
公演前に行われる事前攻略レクチャーに参加して
興味を持ってエニグマ変奏曲を聞く。
情感豊かな曲で会場は大盛り上がり。
そのままシンガポール生まれの若いハンサムな指揮者が
「皆様に特別にお届けするシベリウスのアンダンテ・フェスティーヴォです。」
と紹介したアンコールの曲に酔って帰路についた。
ところで、
鳩居堂さんでの展覧会は12月6日に始まります。
私は今、家の中で会場に持って行く荷物の隙間で生活しています。
三寸です
2時間かけて摩っていただいた金がのっています
12月6日〜 鳩居堂4F にて展覧会です。
お待ちしております。
小澤 蘭雪・蘭の会 書作展
平成28年12月6日(火)〜 11日(日)
午前11時 〜 午後7時
銀座鳩居堂4階
勁(ケイ、キョウ)は、字義は つよい すこやか かたい するどい
意味は まっすぐ まっすぐで力強い
直線的なものは強いので勁(つよい)と言う
勁草 つよきくさ
激しい風が吹いて、初めて強い草が見分けられる。
困難にあって 初めて節操の固いこと、意志の強いことがわかる。
勁松彰於歳寒
つよき松の節操は歳寒の時に至りてあらわる。
等と 辞書にありました。
このような思いで、書こうとしましたが
大変難しかったです。
皆さまどうぞ、おでましください。
会場でお待ちしております。
昭和3年に創業された清雅堂さんがお店を閉じ、
旦那様が書の研究生活のみに入られることになった。
私にはハッピーリタイアメントに思え、
今日、清雅堂さんからお招きをいただいた食事会に
嬉しく出席させていただいた。
天下の清雅堂さんからこのような小人数の会にお呼びいただいたことを
娘に書の楽しさを教えた両親としては、喜んでいるに相違ない。
出席者の一人の方が、「旦那様がいつもご自分のことを「手前どもが」とおっしゃっていました。
このような仕事に対するお姿が素晴らしいと常々思っていましたが これからこの「手前ども」がお店で聞けなくなるかと思うと寂しい。」とスピーチされた。
が
群馬生まれの私は「手前、生国発するところ上州でござんす。上州、上州と言ってもいささか広ろうござんす…」という台詞を思い出し、下を向いて笑いをこらえるのに必死だった。
11月4日
伊藤恵 さんのシューベルト
10分の休憩の後の21番
この曲は素晴らしいと思いながらも渦の中に吸い込まれていく感じで息継ぎが出来ず 疲れが溜まっているからか と 内心でもがいていた。もうこれ以上続いたらどうにかなってしまうのではないか と終わる頃には恐れたくらいだった。
シューベルトが大好きで 畏れから若い時演奏するのを控えていらした時期がおありでいらした という演奏者は10数年以前同じ音楽会で聞いた時もとても印象に残るかただった。
その方が 21番演奏後一旦引っ込んでから出ていらっしゃり 最後まで倒れずに弾けるかどうか不安だった と仰った。この曲の後ではどんなアンコール演奏もできません との言葉に会場のみんなは同感の強い拍手を送った。
10月28日
京の明け方の冷え込みが強く もっと寒い奈良の山奥に行く予定の私は テレビを見れば一日雨 とあるし、覚悟を決め近鉄特急に乗る。
先日書き足らなかった分を書くことと焼けたお皿に少し金を載せてみようかということからの奈良行き。
陶芸の先生が二時間もかけて擦っておいてくださったという金の取り扱いの難しさを聞いていたのだが これからその道の専門家になれる訳もなく、字 が本道なので その邪魔にならなければ良いのだから、 と気楽に 面白がってやってしまった。
と言っても
頭の芯がキラキラするのが収まらず 赤い靴を履いたような感じだったが
早く終わったから と 帰りに案内していただいた思いがけない美しい紅葉の円成寺で 運慶の若い時の作とされる大日如来像を そこに置いてある手製の紙の眼鏡のようなものをガラス戸にピッタリつけて拝見しているうちに少しずつ興奮が収まって、その後 暗い本堂に座って 室町時代に描かれたという柱の絵やご本尊様を前にしていると 敬虔あらたかな という言い回しを身を以て納得できる感じがした。
ありがとうございます。
8月17日から19日、秋田に行ったのは次の写真のような字を
書かせていただいたのがきっかけです。
十三代続いているという三浦米太郎商店さんからの依頼で
書きました。
8月17日
台風一過の青空の東京から台風を追いかけるように秋田へ。
どうにかもっていたお天気が湯沢の料亭を出る頃にはひどい土砂降りに。
’晴れ女だから大丈夫’ と気楽に言えないワイパーフル回転状態で羽後町に着くと30分遅らせて盆踊りが始まるところだった。
ふと上を見ると黒い空にまん丸なお月様が
8時には雨が上がります と言って体育館ではなく本来の会場でやると決めた人たちの決断力に感心。
連れて行ってくださった方が抽選に当たった桟敷に用意の敷物 座布団などを魔法のようにバッグから出してくださり快適に見物できた。
篝火の両側を秋田音頭に合わないおっとりした 嫋やかな動きの踊り手が進む。
もう一つの曲も踊りを合わせるのはむずかしい、 そして伴奏に歌を合わせるのも難しい と思われるものだった。
こちらは砂が撒かれている通りの上で踊り手が四分の一位回転する時にたてる ささーっとざざーっとの中間の音がなんとも言えない雰囲気を醸し出していた。
代々受け継ぐという衣装も見物だった。
隣に座った現代舞踊の専門家が 合わない曲で踊っていると踊り手は自分の世界により深く入り込める と教えてくださった。ふーむ。