書譜をひとりじめ

2014.6.25

故宮博展開始二日目の今朝9時40分頃に国博の門をくぐると 白菜の列は既に庭の中グルグル状態。

申し訳ないような思いで平成館へ。”始まったばかりでまだ内容を掴めておりません” という親切な係の方達の助言を聞きながら書譜に向かって突進。

最後の部屋に全巻広げてあった。

胸高鳴り 胸ときめき どの場所のどの字を見ても懐かしい。

頭の中に描いているだけで、今まで会えなかった立派に成長した実の我が子に会うというか、良いものの存在を自分の体で再確認する というか

なんでもよいけれど 素晴らしい!

見やすい展示で 毛の先一本の表情までよくわかる。

こういうものを見ていればおかしな字は書けないはず。

30分程書譜を一人で拝見させていただきました。

バンザイ!バンザイ!バンザイ!

夏至

2014.6.21

今日は誕生日

長く使ってちょっとあやしくなってきた携帯電話、使った後 その時の内容を把握しているような動きをする動画?が気に入っているので手放したくはないのだけれど、今日 新機種に替える事とした。

私から何か知らせがないときは 新機種に振り回されているのだと同情のうえご容赦を

ボク トラノモン

2014.6.10

6月10日

明日オープンの虎ノ門ヒルズ内覧会へ。

オフィス部門とホテル部門を見せて頂く。

良いお天気で中庭の緑が美しい。

”トラ子ちゃん 何てかわいいのでしょう!” と言ったら

”違います。トラノモン です。”と優しく訂正されてしまった。

でも かわいい。

お土産用トラ子ちゃん もとい トラノモンちゃんがないのが残念!

奈良へ

2014.6.10

6月9日

奈良の山奥に陶器の絵付けならぬ字付けへ。

私自身としては陶器に字を書く事は気乗りがしない分野だが 何事も経験、と いろいろ試しているうちに これなら良心に恥じない と思う種類が出てきた。

何でもいやがらずにやってみるもの と 反省。

のめり込むものではないので 良い楽しみになるかもしれない。

その後 暑い というより 熱い日差しの中 東大寺周辺を歩き回った。

戒壇堂の階段に座り緑を渡る風の中で、豪華な時を過ごしているという実感がたまらなかった。

驚きました。偉い!

2014.5.9

5月9日

ハーバードの有力関係者である外国人女性を都内のあるところへお連れする前に、たまたま思いついて、待ち合わせたグランドハイアット東京で そこの和食堂、旬房、に案内、私の作品を見て頂く事に、、、

何と彼女は和室の入り口でハンドバッグからソックスを取り出したではありませんか。

驚きました。偉い!

とら

2014.3.25

今日は父の祥月命日で ここ二、三日いろいろな思い出を皆さんが話してくださった。

10年前のその時は庭の桜の大枝を切って飾り、もっといっぱい とお願いしたら 社長さんに ”お前どこかで切って来い”といわれた葬儀社の新入社員の方が ”僕 捕まりたくありません”と言っているのをそばで聞いていた園芸を大きくやっている知人の方がたくさんの見事な桜の枝をどこからか集めて持って来てくださり悲しいけれど美しく明るく華やかでとてもよい雰囲気になった。

さて今日さっき地下鉄の車内広告を見たせいと思うのだが改札を出るあたりで次のような事を思い出し笑いを我慢するのが大変だった。

昔 事業をしている女性が私と父を大手町の彼女のおなじみのお寿司屋さんに連れて行ってくださった。

カウンターで注文しながら食べる ということは父と二人の生活になってから久しくなかったので ”最後に先生もう一つ何か” と言われた私は しっかり木札を眺め ”私 まだ とら というお寿司を食べた事がないので それにします” と一枚の札を指差した。

彼女は ”先生 それは とらではありません。 とろ です。” とお寿司屋さんと二人で困ってしまわれた。 父は いい年をした我が娘の一言にあきれてものも言えなかった。

私は恥ずかしがりもせず ”これは とろ とは読めない どうしても とら だ” と言って、 気取って変な字を書くのが悪い、とはさすが言葉にはしなかったが、平気な顔をしていたので 傍の二人はもっと恥ずかしくなってしまったらしい。

さて この話をあとで違うお寿司屋さんでしたら ”私なら 卵焼きに焦げ目で縞を書いてお出しします。” と言われた。

父がいたら ”座布団一枚差し上げて!” と喜んだことだろう。

 

清麿

2014.3.20

3月19日

叔母の祖先が日本刀の名工 源清麿を世に出した師匠,窪田清音だということで 案内をもらい根津美術館へ。

刀匠といえば太田市に人間国宝の大隅俊平先生がいらした。お家がそのまま記念館になり市外からの愛好者が訪れる場所になっている。

私は20代だったと思うのだが 太田市に社会教育センターというのが出来た頃で、我が家の天心書道会の展覧会の準備か打ち合わせに父とそこの事務所にいた時 大隅先生の第一回の個展のための立て看板を市役所の方達が書こうとして寸法出しに大変時間を費やしていらした。

後から聞いたところによると 厳しい大隅先生のところには皆恐ろしがって出来るだけ近寄らない 御用がすむとほっと安堵の息を継ぐ というのがお役所内でのもっぱらの話だったらしかったのだが もちろんそのようなことは私の知るところではなく

私でよければ書きましょう と気楽に書いてしまった。

先生は喜ばれてにこにこしていらした。

数年前未亡人になられた奥様に先日久しぶりにお目にかかった際、 奥様も看板書きの時現場にいらしたとかで その第一印象が強く 私のことが忘れられなくなった とおっしゃられた。

以前伊勢神宮の宝物館の係の方が大隅先生の刀は素晴らしいと案内してくださる途中でおっしゃったのを思い出す。

縁あって知人の紹介で先生の刀がオマーンの国王殿下にお嫁入りした事もある。

刀との縁は博物館で見る以外はそのくらいしかないが今回の 清麿展はポスターなどに使われた 清麿 という文字が何とも言えない味わいのあるものなので親近感を覚えた。

先に山本兼一氏の清麿に関する小説から入ってしまったので酒飲みの天才刀工のイメージが出来てしまっていたところ タイトルの文字を見て感じた 清潔さ、清純さ、甘い魅力で どんな人だったのか楽しく思いを巡らせるようになった。

会場に置かれた刀は今まで博物館などで見ていたものとは雰囲気が違い これは何だ と思ったら お師匠さん すなわち 窪田清音 が 切れない刀は刀ではない と言ったことで開眼 と書いてあった。

好きになったサインの実物を探して首を直角に傾け見て回った。

角があるところに刻してあるので見分け辛かったけれど 多分これに間違いない と思ったものの説明に 源清麿銘の第一作 とあり妙に嬉しく納得するところがあった。

携帯で写したチラシの 清麿  ご覧下さい。

アレレ

2014.3.6

しばらく元気がなかったが 今日行った本屋さんに積んである 老後が何とか という本の表紙隅に 自己チェックする文章が並んでいた。

おまけが好き

必要なものでなく好きなものを買う

紙袋を捨てない

などなど 最後の

下さるものは全て頂く

まで

全て 私 その通り 一つも いいえ がなかった。

 

だから老後をどうするの という本の中身をのぞく気持ちには全くならなかったが

この表に当てはまる人はホープレス ということなのね きっと。

でもね

”希望は自分で持つものよ”

 

バレンタインの月

2014.2.22

バレンタインの月 ということで今日はスカイツリーが 淡いチョコレート色になっている。

スカイツリーは今ひとつ という方も多いけれど 住んでいるところから良い位置にあり 少しずつ 形になるところから見てきたので 情がわき、パッと姿を見せるこの家の角まで来ると ただいま帰りました と言う気持ちになる。

何度も大変な思いをした墨田区には 和蠟燭のような形で 麻布をまとっているように見え 強い自己主張がなく 老成しているようなこの塔がふさわしいと私は思っています。

納得

2014.1.29

昨夕何気なく耳にした第二放送の 明治時代の女優 についての話。

明るく若そうで元気で良い感じの女性講師が 昔の女優 について語っていた。

当時の新聞など現在目にする事の出来る資料が話の元になっている。お勉強 です。

大変素直な事柄の受け取り方で好感が持てる話の展開だったし このお授業はよしとした上での話だが、

聞きながら 過去を知る ことの難しさ 危うさ を思った。

自分で過去を体験する事は出来ないのだから 書かれているものや 人の話を参考に ということなのだが 人の話 というのが 私にはくせ者に思えてならない。

世にいわれていることとと 実相はまるで違う ということは身の回りでさえたくさんある。

頭の中で話が広がりすぎてきたのでここまでにしないと

 

 

 

利休にたずねよ

2013.12.26

あるクラスで粘葉本和漢朗詠集を書き初め展に臨書することに。

槿 という部分を選んだ方に 私がたまたま前に読んでいた 利休にたずねよ の中で大事に扱われている詩がそこにあることを伝えて本をお貸ししたところ、思い入れができ特別な気持ちで勉強ができたと喜んでいただいた。

書く字 と気持ち という点では

体は一生懸命その文字をしっかり書こうとしているのだが字の周囲 背景 また思ってもみなかった関連を感じて、体は筆と紙 墨の感触を持ちながら、心が浮遊することがある。

何とも言えない複雑な不思議さでそれまでとは少し違うものが出来ることがあるのだけれど いつも とはいきません。

立派な鰹節削り

2013.11.30

子供の頃は鰹節やお赤飯の中の小豆など口の中に違和感を感じて あまり好きでなかったけれど このところ美味しいかつおぶしのかかった子持ち昆布などをいただき 開眼。

菊鮨さんで削り器と鰹節を入手していただき けがをしない削り方を教えていただく。

ご主人が使っているものより良い品 とかで 大切にしなくては。

これを受け取りに行く寸前の出先で ”伊勢神宮でいただいた鰹節 大事にしないと罰が当たるので誰かにあげたい”という方がいて ありがたくいただく。こちらの鰹節は太田で神棚にお供えしてから新春に使い始めをいたしましょう。

新蔵丈後援会の会

2013.11.17

国劇部出身プロの役者さんとして活躍している市川新蔵さんを応援する会が今年は遅く今日開かれた。

先日團十郎さんのことで新蔵さんから私たちのところに喪中のはがきが届いたところだった。彼の挨拶も悲しい話題が多くなってしまってしんみりしたスタートだったがいろいろな思い出話などをしているうちに みんなで楽しく笑うようになりとても気持良い時間を共有していただけたと思う。

最初に歴史に現れる新蔵という名は生島新蔵だったのが 二代目市川團十郎の弟子となって市川新蔵になったとか

彼の推理では 江島生島 の事件の際 絵島の本当の相手は二代目だったのではないか?と  生島が流された後彼の弟子を二代目が丸抱えしていることが解っているらしい。

歌舞伎役者の数が大変減っていることを嘆いていらした。

現在成田屋一門の最古参の位置にいる彼は 彼自身だけでなく 大きく歌舞伎界の為にもここで踏ん張りどころを迎えている

私が??な訳がわかりました。

2013.11.14

イギリスで大変お世話になっているお嬢さんが赤ちゃんを連れ里帰りをしているので明日あちらに帰るという前日の今日大阪に会いに7時半の新幹線で。

お人形さんのような赤ちゃんと一緒に新しい大きな何かのんびりした雰囲気のビルへ。

ちょっとドバイのモールの突き当たりのような感じの内部。

下の広場を見るときちんとした洋服を着た男性が20人ほど 礼拝のような仕草の後バンザイをしたので私もいっしょに両手をあげてみた。

現場に降りてみたら昭和40年頃出来たという山形の空気神社の出張で 二礼四拍手(春夏秋冬と心に思うこと)両手を高くかざし 空気を吸って一礼 をするとか。

みんなでお祈りしてみた。 目の前からダイキンの空気清浄機数台からの風が降りてくる。

写真の巫女さんたちの二の腕までがむきむきなのはいかが と思ったが口にしないでおいた。

後から四階のダイキン展示場で あなたのストレス度をはかります という椅子に座って出てきた結論は私にはストレスがない!ということだった。アレー!!!

周囲の皆さんが私のストレスを受けてくださっているようです。

ごめんなさいね

日本で英語でデモンストレーション

2013.11.13

昨日から日本を訪れているイギリス Royal Academy of Arts の館長さん夫妻とパトロンの方々 同数の日本の芸術をサポートして下さっている方々の前で 書のデモンストレーションを

誠に嬉しい貴重な体験をさせていただいた。

でも私は日本人の方がいらっしゃるところで英語を話すのは大の苦手

内容は又いつか

明日は日帰りで大阪に行って参ります。